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嫉妬という水に、ありがとうの水を注いで

高校の同級生Kさんは成績優秀でスポーツ万能、生徒会でも部活でも活躍し、常に人が側にいた人だった。文化祭で彼女はグループを作り、ファッションショーを主宰していた。

当時の私が通っていた文化祭のファッションショーは、自分たちがつくった服をモデル役の子に着させて歩かせるだけ(それでもすごい)だったが、Kさんはそこに「お菓子の国づくり」というストーリー性を持たせた。
モデルの子たちにカラフルで大きいケーキや飴のおもちゃを持って歩かせ、ステージの上に置いていくことで、ショーのラストにはお菓子の国が出来上がる。
他にも、ショーの中で新体操部のモデルの子に躍らせるような振りをいれたり、従来の「ただ服を見せるだけ」だった文化祭のファッションショーを、彼女は「エンターテイメントのショー」として提供していた。

今どうしているのかなと、ふとKさんの名前をググってみると、名だたる企業と取引して活躍している様子が、さまざまなWEB媒体で紹介されていた。Kさんは今でもこの世界で大活躍しているらしい。

ひきかえ、自分はどうだろう。成績は中の下・運動神経壊滅・人付き合いも下手で、図書館が安らぎの場所の高校生だった私。
大人になった今も、契約社員としてお給料を毎月18万円受け取りながら、結婚もせず、誰にも期待されずにプラプラとしている。なんだか書いているだけで息が苦しい。

この人生の差はどこで出来てしまったのだろうかと考えると、一番は自己肯定感じゃないだろうか、と思う。
私ならきっとできる、という根拠のない自信と、私は長らく無縁だった。

大人になっていろいろな学びをしていく中で、遅まきながら自分自身と向き合うことになり、私の自己肯定感は少しずつ育まれていった。その中で一番簡単で効果があった方法は、ホ・オポノポノというものだった。
ただ「ごめんなさい・許してください・ありがとう・愛しています」を心の中で口にするだけというシンプルさがよかった。

研修講師をしているある知人は「ありがとうと1万回言ったら必ず性格が変わりますよ」と色んな研修で言っていたところ、本当にそれを実行した受講生がいたらしい。その人は100円ショップでカチカチと押す計測器を購入し、本当に1万回「ありがとう」と言って、その後、性格も表情も別人のようにガラッと変わったとのことだった。

汚い水が入っているコップに綺麗な水を注ぎ続けると、いつかコップの中は綺麗で透明な水でいっぱいになるように、正しい言葉を使うことはその人を本来の正しい生き方に戻していくのかもしれない。

他人と自分を比較してしまう癖はやめられない。世界で活躍するKさんの写真を見ると、ざわざわして手足が落ち着かない感覚がある。でも、今の私だから届けられる言葉を待っている人が世界のどこかできっといる、という根拠のない感覚も今はほんの少しだけ、ある。

文章は闇を描き切って初めて行間に光が差すと言われている。
今は自分の闇にありがとうの水を注ぐことでいっぱいいっぱいだけど、いつか誰かにスポットライトを当てられる人になりたいと願っている。