深い森

長男と私の2年間

こんにちは。

2019年。新たな年となりました。今年もどうぞよろしくお願い致します。

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冬休みが明ける。新学期。
私は自分が子どものころから新学期と新年度が嫌いだ。

2年前、小学校一年生だった長男がついに集団登校ができなくなった。1月の寒いあの日。
私は元不登校児だ。登校拒否児でもある。
私は息子たちに学校に行くことを強制する気は無かった。無理に我慢して行ってもどこかで臨界点が来ることは私自身が一番よく知っている。

それでも集団登校が出来なくなるその日までもその日からも長男は学校へ行きたがった。友達と過ごすことも、学習も彼は好きだった。
行きたくなくて学校に行かなかった私、と、行きたいのに学校に行けない長男。
私自身と前提条件が異なることと、長男の気持ちのモヤモヤが本人の思うレベルで言語化されることが当時難しくてすったもんだした。

小学校一年生の三学期は毎日学校の下駄箱まで付き添い登校をした。(集団登校が出来なくなる前も学校についていくことはあった)
小学校二年生の1年間はほぼ連日教室まで付き添い登校をした。
「なんでお母さんがついてくるの?」というクラスメイトからの質問が私には始め辛かった。長男に必要な支援なのだ、と割り切るようにしていた。
誰かのいる教室に入れなくなってしまった長男と学校側と相談して、教室を早めに開錠してもらい、集団登校よりも前に1年間登校した。教室についてから朝の支度を自分のペースで行うことで少しずつ落ち着いていった。自分の身の回りのことが落ち着いていればクラスメイトが登校してきても合流できていた。そうじゃない日ももちろんあった。
小学校三年生に進級した時に、次男が小学校一年生に就学した。次男は長男を見ているので、通学は母とするものだと思っていた。次男は集団行動が柔軟に取れる性格なので兄弟の通学をどうしたものかと私は頭を抱えた。
夫と相談し、長男自身の意見を尊重し、「兄弟で集団登校をできるようにしていく」という方向で家族として動くことになった。
次男は班長の横、長男は集団の中央という列順で、長男は出鼻をくじかれて登校できない日もあったが、今は集団の最後尾を歩いていくという形で通学途中まで付き添うことで登校できるようになった。

2年越しの新学期。私は今回も少し不安だった。なんと声をかけたら彼は嫌な思いをしないだろうか?先回りをして学校の準備を手伝うことも執拗に確認をすることも、もう管理育児は嫌だ。彼の選択する行動を如何様にも信頼していると伝えたい。信頼しようとしていることを未熟な母親なりに子どもに知ってほしかった。

早寝をした方がいいことも、持ち物を確認することも堪えて待った。
私は私のことをした。「明日から新学期だね。3学期はお母さんどうしようか。自分で行ってみる?」とだけ声をかけた。
「うん。そうしてみるよ」と短い返事があり、自分で身支度をしていた。
もし行けない時はどうするの?と少し前なら聞いていただろう。少しでも私自身の見通しを立てることが最優先だったから。そして息子の要望は全て聞き入れないといけないと思い込んでいたから。

結局、新学期1日目は「●●のところまで付いてきてほしい」と依頼があり、それに応える形で始まった。約束の地点でアッサリ別れて登校していった。その日の下校は集団下校だった。集団下校の日は登校しぶりをしたり、遅刻したりしていたのに。しれっと下校してきた。

2日目。今日は昨日より少し長めの付き添い。私の体調が悪くて息子の要望にすべては応えず。2人で交渉しながら約束地点を決めた。

互いにずいぶん成長をしたと思う。
自分の要望を言葉にして伝えることと、断られることを彼は学習し。
私は子どもからの要望があるまで勝手に手出し口出しをやめて、無理なことはキッパリ断ることを学習した。

そんな私たちのやりとりを見ている次男は私への依頼や確認が抜かりない。

私が新年度や新学期が嫌いだったのには他愛のない訳がある。その時点の自分よりも過剰に高い目標やプレッシャーを背負いがちだったというだけだ。それはそれは自ら重圧をかけて月経が来るようになってからは生理が半年止まるほどの年もあった。

学校にすんなり行くようになったことがゴールだとも、最良のことだとも思わないが、息子が自分で切り替えることができるようになり、私の時間はずいぶん増えた。行くか行かないか分からない息子と家の中で言い争ったり、通学路を行ったり来たりしたり、やっと着いたと思った校内を追いかけまわったり、送り届けて出勤してしばらくしたら勤務先まで来てしまったり、自分で通学すると言って脱走してしまい教職員の方から地域の方を含めて捜索したり(通園していた保育園近くで保護された)それらが無くなってほんの15分の付き添いで完了する機会が増えた。

今日というこの日が来るまでに親子で苦しんだし、夫にも、両家の両親にも近所の方にも苦心してもらって助けてもらって今日がある。

初めて長男が脱走した日。「ああもうなんで!」と思った。「私の何がいけなかったのだろう!?」と自分を責めたときに先輩ママが「何が起こっても自分のことを責めなくていいから!とにかく出来ることをするの。いつだって最善を尽くしてるんだから!助け合えば大丈夫!」と貰った言葉を私は大切にしている。

勤務時間を急遽交代してもらって息子を探しに行った。そして勤務途中の母に早退してもらって保護されてからその日は欠席をした息子の面倒をお願いして仕事に戻った。あの日の私は相変わらず甘えていて何にもこちらから言わなくても母にあれもこれも手伝ってほしかったのだ。そうやって愛情を確認したかったのだ。何かを無償でしてもらうことと、愛情の量を同義だと思っていたあの頃の私。笑ってしまう。そんなわけない。私は頭を下げて母に仕事を休んで助けてください、と頼んだ。母に自分が出勤したいことを伝えた。その日の母は快諾してくれた。

母と私の関係は実は少し難しい。父と母と私の関係はもっと難しい。

息子が脱走した日、私はたくさんの人に迷惑をかけてしまったことが恥ずかしくて息子に「2度とこんなことはやめてくれ」と言わんばかりに叱責し、説き伏せた。それらの時間にいったい何の意味があったというのだろう?

この3年間、息子との関係に悩み、両親との関係に悩み、ジプシーのようにたくさんの講座やセミナーに通った。「支払いの良いカモになるなよ」と言う人もいた。応援してくれる人もいた。わからないままに生活を繰り返した。覚えたことと納得したことを即座に生活に反映した。時に家族と衝突した。何度も話し合った。落とし込めるまで人より何倍も時間が必要だった。おかげで今日まで生きてこれた。

泣くに泣けない日があった。慟哭する日があった。理解されない日も、拒絶される日も全部全部やり過ごした。

随分回り道をして、たくさんの人にずいぶん優しくしてもらった。

身勝手な自分は知らない間に迷惑をかけて、貰った優しさに気がつけないままふてぶてしく暮らしてきた。傷つけた人もいる、離れてしまった人もいる。ごめんなさい、が届かない人もいる。

以前よりも息子たちと話しやすくなった。子どもたちの年齢的な発達段階でもあるのだろうが、息子たちが話しかけてくるようになった実感があり、今まで私ばかりが制圧的に話していたんだなぁと恥じた。

長男に「ごめんね」と話の流れで伝えた。長男は「いいよ」と笑って続けた。「お母さんは、今まで狭い世界で、限られた人しか付き合ってこなかったけれど、今はたくさんの人と話したりして、できることが広がったね、良かったね」
私は長男の言葉にビックリした。「ありがとう」というと長男はなんてことない顏をして遊びに戻っていった。

昔から長男は「誰かが何かを出来ないこと」を責めない。兄弟や友達同士のじゃれあいの中で悪ふざけは年相応に増えてきたけれど。
「今できないだけで、やろうとしてないわけじゃないでしょ?」と彼は言う。彼の言動は一見分かりにくいけれども他者への信頼に溢れている。相手を強制しない。長男が2歳ぐらいの時に、ノイローゼ気味だった私に「どうしてママは自分が嫌いなの?ぼくは自分のこと好きだよ!」と教えてくれたことがある。目から鱗だった。自己肯定感がミニマムな親からも自己肯定感マックスな子どもが出てくるとは。人はどのようなきっかけで自己肯定感や自己効力感を失っていくのだろうと思った。残念ながら今は「僕は僕のことがいやだ!」ということもある。心の成長ということにしておく。

ここのところ、発熱して私が寝込むことがあると子どもたちは率先して家事を回してくれる。普段はぐうたらしているけれど、母が倒れたときに彼らは頼もしい。

私の中にあった理想の母親像は全く持って遂行されていない。良い意味で息子がぶち壊す機会をたくさんくれたのだと思う。

何事もなくストレスフリーで順風満帆な日々だったらば、今これを読んでくれている人たちに会ったり関わる機会は訪れなかっただろう。

まだまだ井の中の蛙の私ではあるけれど、困った出来事にありがとうと思って暮らしている。

私は不出来な自分を恥じて、両親に申し訳なく思うことが実は多いんだけれど。今回の一連のことをきっかけに「そんな私もかけがえのない大切な娘」であるに違いないと思い込んでおくことにする。

思い返しても両親からあまりにも子ども扱いされた記憶がないので、先日両親に不服を伝えたらば「口が達者すぎて、子どもとは思えず、対等だと思っていた」と言われた。うーん、私はもっと甘えたかった、とぼやくと「そうねぇ、もっと言葉にして伝えらること、あったねぇ、ごめんね」と言われたので「大人になった今でも絶賛募集中です。嬉しくなる言葉はいつだってもらえたら嬉しいよ」と伝えて笑いあったことは余談。

子育てをしているときに、周りと比べてしまって苦しくなることは多分にある。そんな時、私は私の過去と現在を比べることにする。ミリ単位のほんの少しでも歩を進められていたら大丈夫。後ろを向いて、戻ってしまったとしても、やり直しをした分だけきっと強くなる。

大丈夫、と声をかける。自分に。まずは、そこから。

両親からもらえなかった想いに嘆かない。

私が渡したい想いを贈り物にする。

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