見出し画像

光と影

人間て、
綺麗なものだけで構成されているわけではないなぁと改めて実感した。

ちょうど一年ほど前私は交通事故にあった。

真っ昼間、
大きい交差点、
横断歩道上で、
ゆっくり自転車で横断していたら、
信号無視の、
直進車に。

しかもその加害者は私が救急車で搬送され病院痛みと闘っている最中にこともあろうか

『自分の信号は赤ではなかった』

と警察官に話していた。

私は右鎖骨粉砕骨折、
鎖骨が砕けていた。

最初に運ばれた病院はなかなかひどい対応だったので知り合いに頼み込んで他の信用できそうな病院を探した。
入院費するまでの数日、
不安と痛みにに耐えながら家で過ごした。
結果、手術してチタンとボルト7本で鎖骨を固定した。

我ながらすごく上手に回避したので、ほぼこの怪我だけですんだ。
回避の仕方を間違えていたら死んでいたと思う。

怪我がよくなっていくまでの間、
私はとても苦しんだ。
痛みをこらえながらの保険会社とのやり取り、
生きてて良かったと思う反面、
いろんなことが不自由になって頼らないと生きていけない悲しさ、
生きててすいませんとも思った。

相手のことも恨んだ。

恨みながらなにか事情があるのかとワケのわからない思いやりも持った。

相手は相変わらず信号の色を認めず、起訴になった。

裁判の日が決まったという連絡があった。

一年の間、
いろんなことがあり、
コロナも。

もう自分の中でだいぶどうでもいい話になっていた。

。。と、
思っていた。

違った。

私はまだ相当相手に怒っているようだ。

苦しみ、
痛みを与えられ、
しかも自分の過失すら認めていない。

やっぱり許せないわ。

そんな気持ちはもう消化したかと思っていたが、

まだしっかり残っていた、

というか、

相当怒ってるということに
今日気づいた。

綺麗じゃない部分も
自分の一部である。

誰になんと言われようと

自分がその部分を認めてあげないと、
自分がかわいそうだ。

#日記 #自分 #光と影 #交通事故
#自分を大事にするということ
#怒り #悲しみ # エッセイ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?