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火葬、土葬、鳥葬!?沈黙の塔で考える、異文化が共生する難しさ

イランで、鳥葬が行われていた跡地に行ってきた。
鳥葬とは、遺体を鳥に食べさせる葬法
だ。
伝統的にチベットや内モンゴルで行われ、過去にはゾロアスター教でも採用されていた。

鳥葬と聞いてどんなイメージを持つだろう。
怖い?グロい?
私もはじめはそんな風に感じていた。
でもイランの沈黙の塔に行って、考えが変わった。
今まで見たどの宗教施設よりも神聖さを感じた。

沈黙の塔は、ゾロアスター教で有名な鳥葬・風葬をしていた施設だ。
世界史の勉強などで聞いたことのある人もいるかもしれない。
ゾロアスター教は別名拝火教とも呼ばれ、世界で初めて一神教を唱えたとされる宗教だ。
善悪二元論や終末論が特徴で、救世主や最後の審判などの考えがのちに、ユダヤ教キリスト教イスラム教などに影響を与えたといわれている。

ゾロアスター教では、火・水・土を汚すことを厭って火葬や土葬を嫌った。
そのため、葬法としては鳥葬が行われていたのだ。
(1930年代に禁止されて以降は、イスラム教徒と同じく土葬になっている。)

実際に塔に登ってみると、
円形の石積みに囲まれた場所に入った瞬間、周りの音が消えた。
聞こえるのは上空の風の音だけ。
空がとても近い。

ああ、だから”沈黙の塔”なんだ。
英語でtower of silence。
なんだかすごく神の気配が近い。
私には信仰する神はいないが、そう納得する何かがある。
こんな清涼な空気の場所で自然に還ると思えば、信徒は幸せだっただろう。

荒涼とした土地で生まれた宗教だからか、
一神教と言いつつ、強い強い自然崇拝を背後に感じた。
鳥や風を介すことで、地球に還るということ。
以前千の風になってという曲が流行ったが、あの歌詞がある意味自然に還るということの描写に近い気がする。
鳥葬は、感覚としては散骨を希望する人に近いのかもしれない。

沈黙の塔を見てみて、自然に還るのもいいかも、それも素敵かもしれない、と思った。
でも私が実際にそれをしたいとまで決断できるかはまた別の話だ(法律的に難しいのはおいておいて)。
私の個人的な感覚では火葬があまりにも当たり前すぎて、他の葬法、例えば土葬などでも正直抵抗がある。


そこで少し調べてみた。
日本は火葬がほぼ100%だ。
(2021年火葬率99.97%。火葬151万2511件、土葬462件)。
数字を見てわかるように、実は日本でも法律で火葬が必須と決められているわけではないらしい。
とはいっても、他に認められると明記されているのは土葬のみ。
その土葬が認められる自治体も限られるようなので、数は少ない。
日本も元々は土葬が多かったが、仏教伝来とともに火葬の考えも入ってきたそうだ。
そしていまや世界で火葬率1位。

でも調べてみると、世界的には土葬の方が好まれる国や宗教も多いようなのだ。
キリスト教では、故人は復活して天国に行けると考えられている。
そのため受け皿となる肉体を燃やしてしまう火葬は避けられがちだ。
カトリックほど遺体を焼くことに抵抗がある人が多いため、イタリアなどでは火葬率は30%代と低い水準のようだ。

イスラム教では戒律上、土葬のみ。
こちらもキリスト教同様、死後に魂が復活すると考えられているからだ。
日本のように土葬のハードルが高い国に住む信者は、墓地を確保するのに大変な苦労をするようだ。
(調べる中で、NHKでこの問題を取り上げた記事があった。)
https://www.nhk.or.jp/d-navi/note/article/20220221.html

ヒンドゥー教では水葬。
火葬したあと、遺灰を川に流す。

このように、国や宗教によっても葬法はずいぶん違う
(ただ新型コロナウイルスの蔓延によって、世界的に火葬が増えているようだ。)
世界各地で好む葬法が違うことを考えると、私の火葬以外への忌避感は、ただ私の近い親族(親や祖父母、曽祖父母世代)が火葬しているという馴染みがあるかどうか、ただそれだけのことのような気もしてくる
私には宗教上の教義などはないので。

日本にも、たくさんの外国出身の人、いろんな宗教の人が暮らしている。
感染症などの問題があるときは別にして、日本に住むそれぞれの人が好む葬法を選べるといいなと思う
そこでネックになるのは、きっとこの”忌避感”だ。
仮に”忌避感”が馴染みのあるなしによって生じるなら、そこには他者に説明できるような明確な理由がないことも多いと思う。
私のなんとなく土葬は嫌な気がする、というように。

これが遠く離れた土地での出来事なら、いろんな文化があるから、で済ませられる。
でもその文化を持っている人が、隣人になったときには自分への利害が生まれる。
自宅の近くに、例えばムスリムの大規模な土葬の墓地ができた時にそれを許容できるのか、とか。

こうして細かくみていくと、多様化とか、異文化を尊重するというのは言葉で言うほど綺麗でもなく、泥臭くて難しいことだなと思う。

でもそれはだから諦めるという話ではなくて、そんな中でもどうにかお互い折り合いをつけて一緒にやっていきたいよね、という話。


今日は毎日投稿40日目でした。

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