鑑賞後は苦み強めのコーヒーを ~映画『娼年』を見て~

最近手相を勉強し始めている。
きっかけは、友人の「骨格によって似合う服って違うんだよね」という一言だった。
手を見るだけでもだいたい見当が付くらしい。
手首と手の感じや、手の甲の肉の付き方でもパターンが分かれるものらしい。

そこで思い出したことがある。
手相は手のひらだけを見るのではない。
手の形、指の長さ、それも含めて手相だと。
それらの情報でどんなひとかわかるのだと。

また、自分の中にもそれとつながる感覚が最近の出来事であった。

職場の同僚のAさんがベリーダンスをやっていて、その発表会に行った時に感じたこと。

布よりも肌の露出が多いかもしれない、踊り手たちの姿。
肉体そのものが衣装なのだと思った。
肉体は衣装であると同時に、踊り手がどんな人間なのかも伝えている気がした。
スタイルの良い悪い、という単純なものではなく、
骨と肉のバランス、肉の偏り、皮膚や脂肪のやわらかさなど、
個々に違い、それぞれがそれぞれの人物を語っているように思えた。

やはり、精神はふさわしき肉体に宿るのだと思った。
どんなひとがその体の持ち主なのか、その体が示しているのだと。

裏付けになったのは、同僚の彼女である。
普段は見せない、露出された体を見て、ああ、Aさんらしいと感じた。
彼女のことを知らなくても、きっとこういう人なのでは、と想像できたのではと思う。

なので、体の一部や全体を見ることでその人がどういう人なのか、というのは
かなり信憑性があるのではと思っていたのである。
手相も、きっと正しいメッセージをくれているはずだ、と。


…と、手相の話から始めてしまいましたが、遅ればせながら映画『娼年』を見まして、その感想を書きたいと思います。


以前から気にはなっていたのですが、過激な性描写を想像すると物怖じしてしまい、見れずに気付けば長い時間が経ってしまっていました。


肉体は人物を語ると思っているので、女優さんの体を見て色々と想像してしまいました。
(どんな人かなという意味ですヨ)

おっぱいやお尻の形など様々ですが、またひとつ思い出したことがあります。

美大出身の知人が2人いるのですが、彼女らがヌードデッサンの話をしていました。
ヌードのモデルさんは体がきれい、といった話です。

一方の知人が
「でも、私、なんだろ。人も癖がある人が好きだけどさ、
 体もそうでさ、ちょっと癖がある方が好きみたいで。
 形がきれいな完璧なおっぱいよりも、
 そんなにきれいじゃない、ちょっと離れちゃってたり、特徴があるおっぱいの方がなんか魅力的に感じてたんだよね、当時。」
と言っていたのです。

やはり体にはらしさが出る。きれいかきれいじゃないかという見方じゃなく、このひとの体好き、という感情があれば(性的なものでなくて)
きっと体だけじゃなく中身も魅力的に感じられたりするのかもしれないと思いました。


堂々たる肉付きは、服を着ている人の背筋がのびて、姿勢がよいさまを見ているのと同じで、見ていて気持ちが良い。
裸を見て応援したくなる、ということもあるかもしれないと思いました。
(=冨手麻妙さんを応援したくなりました)


映画の冒頭で登場する、試験のセックスシーン。
よくある台詞を思い出しました。

「まずエッチしないとどういうひとかわかんないし。エッチしてから付き合えるかどうか考える。」

たまに耳にする台詞です。
というか実際私も最初の恋人にこう言われました。
当時、えっ、となりましたし、いまも人ごとでもこのような台詞を耳にすれば、
やはり、えっ、となってしまいます。
ですが、この試験のセックスシーンを見て、この台詞の主が言わんとしていたことがわかった気がしました。

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