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頂点は有頂天にすぎず、代表は無頂点なり。


先日、情熱大陸にサッカー選手で

セルティックの古橋が出てましたね。


すべてのプレーを観てるわけじゃない。

でもイイヤツなんだろうなって伝わる。


他の、常に代表に入ってきた連中とは

ちょっと地味で雰囲気も華やかではない。


芸能人の影もなく、母親との会話や

料理をふるまう場面を観ても安心する。


それがなによりもほっこりさせる。

SNSでさりげなく嫁アピールするとか

違う意味のムダ走りはしない。


古い人間は、とりあえず髪切れ

と言いそうだが笑


苦労して上がってきて

でも代表には何故か無縁。

今回も森保のヤロウに選ばれず。


かつて佐藤寿人もそんなイメージ。

あちらはタトゥー嫌われもあったか。


いまとなってはね、メッシみてみ。

だらけだよ、だらけ。

あれで何もかも決まるわけではない。


ポストプレーヤー重視なのか

おさめるスタイルに固執するのか

まだまだ戦術にハメこむ意識が強い。


だが、セルティックで中心選手として

熱狂的なサポーターやファンに囲まれて

プレーして生活する日常には代えがたい。


何より結果を出し続けている。

日本はどうしてもまだ日本代表が

頂点だと譲らない。

もう違う時代になってるはずだが。


代表の存在やプライオリティを高くおき

クラブは欧州に一応、ブランド意識をおき

主要リーグ以外を低く見る雰囲気つくる。


代表が頂点の国はまだまだ大国とは

言えないし、なれないんだろうな。


クラブで活躍する選手自体が

代表より上位に評価される時代に

代表ブランド頼みの国で。


メディアもブランド志向の塊。

主要リーグ上位の展開や構図のほうが

序列をつけて優先順位をつけやすい。


選手を紹介する際、決まりきって

所属するクラブを言うがアレも

あんまり意味ない言葉なんですよ。

間を埋めるためくらいでね。


もっとプレーを描写したほうがいい。

そのほうが観る側のレベルも上がる。

実況はそのスキルを上げるべきだ。


どこの所属か活躍かは、みんな知ってる。

なんなら調べればわかることだから。


いまだに進歩しないのは、協会含め

取り巻くメディア、あとは応援1本の

サポータースタイルも原因だろう。


選ばないのはハタテもそうですし。

森保のサッカーに合う合わないは

ホントに正しい基準のかなと感じる。


呼ばざるを得ない結果を出してれば

他の国の監督なら確実に呼ぶし使う。

それが一番選手がモチベーション高く

プレーすることにつながるのだから。


森保は自分のやりたい戦術

サッカーに合わない選手を

使う器量がないのか?

だとしたら失格だろう。


どうやらサッカーも日本人は

型を無意識に重視しがちだ。

もう種目関係ないんだろうな。


国民性も大きく影響してるし

考え方や欠点は前回書いた

内容と共通する部分も多いのだろう。


直近の代表の試合も観たけど。

ずっと声出して歌うのもね。

相変わらずやらなきゃいけないと

思い込んでいるのだろうか。


はからずも堂安が発言した

Jリーグっぽいサッカーには

観客が醸し出す雰囲気もある。


歌ってばかりいて試合観てる?

プレーはあとで録画で楽しむのか?

いまは応援するのが使命なのか?


ずっと流れる歌は応援なのか

そもそも歌うことは応援なのか

いや、もっというなら応援って

歌うことで表現することなのか?


堂安が言うJリーグっぽいサッカーは

戦術や型どおりを好む志向が

無意識に優先される日本人の

欠点をうまく表現しているように思う。


そう考えると選手選考だってそうだ。

どこの国もほとんどは最高の選手

結果を出している旬の選手たちを呼ぶ。


試合の重要性にもよるが、今回はもう

単なるスポンサー接待試合にすぎない。

相手を読んで本気でやらない相手に

勝っても負けても優劣はつかないのに。


テレビの放送もムリヤリな盛り上げ。

つまらないやり方で型どおりの放送で

サブい雰囲気満々の中、さらにずっと

歌うサポの音すら、邪魔に感じた。


日本のスポーツは鳴り物や音がないと

楽しめないのだろうか。


素直に観てプレーに一喜一憂して

感情的な反応、歓声を上げればいい。


骨格などの違いもあるのだろうが

相変わらず東アジア圏は声が甲高い。


腹に響くような野太い声が出ないので

相手に対しても重厚なアウェイ感が弱め。


試合を観ているよという雰囲気が

どうやら歌でしか表現できない。


むしろ声出し応援を解禁とか

恥ずかしい話題も論外だし。

逆にキッカケにして

歌うの禁止にして、自由に素直に

ラクに試合を楽しむほうへ

シフトするチャンスだった。


日本人はいつもこういうチャンスを

逃しているのだろう。


サッカーに限らずだが

元の型にすぐに戻したがる。

元の型に慣れてるから、ラクだから。


選考の段階から

選手ありきより戦術ありきを

踏襲しているままでは

まだまだ高い壁を眺めて

改善もせずぶつかり続けるだけ。


跳ね返されても工夫もなく

反省も効果なく戦術ありきを

続けていくのであろう。


賞味期限のある選手が

かわいそうでならない。







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