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自らのエナジーフローに逆らわず。


坂本龍一さんが亡くなった。

ワタクス世代はYMO時代より

ドラマ「ケイゾク」の主題歌

中谷美紀のクロニック・ラヴ。


ダウンタウンとの企画での

ゲイシャガールズの曲なんかが

印象に残ってる。いずれも90年代。


コントでライオンの着ぐるみの中とか

ボールペンだかシャーペンだったか

ニューヨークまで浜田が取りに行った

罰ゲームなどの記憶もある。


これから在りし日の昔の映像なんかが

またYou Tubeに上がってくるんだろう。


個人的には昔、アルバム「1996」を

なんとなく買ってしまってたんですが笑

どれも当時、歌詞入りの歌に飽きたとき

よく聴いて、ハミングしながら楽しんだ。


生活に窮していた当時、その後に売った。

恥ずかしながら。結構、他の邦楽に比べ

高値がついたのを記憶してます。


近影のYou Tubeに上がっていた動画

戦メリの曲を弾いている姿も観た。

個人的に口もとがすごく気になった。

患う前の精悍な姿と対照的で印象的。


病気になったこともあるのだろう。

口もとに老いと病人そのものを感じた。

こうなるんだなぁと思わされた。


この人はどこか人間くさいところ

老いを逆に自然に受け入れてた印象。

あるがまま、不自然な皮膚感もなく

シワも白髪も、佇まいさえも優雅で。


必死に若づくりして維持するでもなく

なんだか受け入れるというよりは

受け止めていた感じなのかな。


個人的にはすごく理想的だ。

ヘタにいじらず、あるがままを

受け入れたい気持ちはワタクスも。

恥ずかしさなどあるものか。


言葉は悪いが自然に朽ちていく姿

変化を受け止めて見せてくれてた。

時の流れを感じさせないように

するのでなく、逆。感じさせても。


世間的には若さや老いを怖がる

そういう年代なのだろうけれど

まったく怖がるどころか逆を見せた。


見た目より大事なものが

音楽家としての矜持がある。

しんどかっただろうに。


最後に映像として残ったその姿は

年老いたが、すべて超越したような

伝説の終身名誉「教授」のような姿。


言っちゃ悪いが、ヨーダに見えた。

年を取ると誰でも老いてシオレていき

やがて役目を終えるのだろう。

ジェダイマスター。スターウォーズのね。


本人にとっては見た目なんか

もうどうでもいい。

音楽を奏でることに注力したい

そういう姿勢があの映像に出ていた。


病気をして表に出せるものとして

ギリギリの状況での演奏だったのでは。


噛みしめるように、ゆっくりと魂込めて

病とともに生き、衰えゆくなかでの

恍惚さも感じ取れるような不思議な映像。


あのとき人生を受け入れた本人の

強さや儚さ、無常観、なんか重かった。


あの年齢や病の状況に置かれる

人間を思うとき、まだワタクスは

想像の域を出ない。


最新の曲のタイトルも日付だったり

自分の中のこの時点での記録みたいな

ニュアンスを点で表したような。

それもこれもいまの時点の自分と。


昨日カウントダウンTVも30年と。

昔の歌をいま振り返りどんな気持ちで

私たち視聴者は受け止めているだろう。


「1996」の当時といえば

日本のミュージックシーンは

いわゆるJ-POPの全盛期だ。


あの当時、もうCDは買ってない。

90年代前半はよく買っていたが

95年あたりはもう世間はいろいろ。


ただ流れてくる曲は大震災や大きな

社会問題や大事件もあったあとで

なんかいろんなことあるけど

頑張ろうよ、行こうぜ進もうぜ的な。


恋愛ソングで妙にごまかされていた

そんな感じを「いまは」感じる。


アーティストに罪はないのだが

気持ちいい曲先行で選んでたし

その歌に寄せることで満足して。


難しい社会問題には向き合わずに

(考えても何も変わらないと)

どこか逃げるように楽しいことや

恋愛ソング、ドラマ主題歌など

ピークを迎えていた時期なのかな。


頑張ろうよ、ついていこうよ。

各自人生、いろいろあるけれど

俺らこれ作ったよ、これどうよと。


食べたい気分じゃないのに

豪華な食事を出されてしまって

もったいないし食べようっと


食べたらおいしくてなんか

いろいろ忘れられた、みたいな。

そんな感じのズルズル感。


もっと時代をいい意味で

変える、引っ張る人はいなくて

ビジネスが全面に出ていた。

いい歌で終わる、それだけ。


バブルをどこか引きずっていながら

勢いついたぶんは突っ走るみたいな

そんな駆け抜け方を見せられてた。

それに付き合わされていた気もする。


夢や希望に向かって進めと

歌を通して伝える流行歌を

人によっては、どんな気持ちで

受け止めていたのだろう。

そしていま、どう感じるだろう。


受け手の大衆もなんか窮屈さを

どっかに逃したい衝動があって。

それはいまも変わらないのかな。


アイドルに夢中になった人も

多くいたんだろう、彼らはどうだろう。

なくなく当時逃げてしまって、でも

まだ対象を替えて同じままなのか。


解決できない問題に向き合わずに

個人ではどうしようもできないまま

社会全体も結果的に逃げの姿勢に

覆われていたように「いまは」思う。


あの頃、結果的に救われなかった

氷河期世代は自然淘汰されながら

数十年経っていま、何を思う。


ワタクスは個人的には暗黒期で笑

それもこれも自分のせいでしたが。

いろいろとあってそれでもいま生きてる。


もう時間は戻らないし、後悔しても

仕方のないことなので前を向くだけ。

やりたいことをやって死にたい。


歌は勇気づけもするけど、ときには

必要のない、邪魔すぎるときもある。

メロディーだけでいいときもある。


人生は流れるまま流され

エネルギーは不規則に進み

加速減退して繰り返していく。


最期、何か遺したいのは

坂本龍一のような才能あふれる人たち

だけの特権ではない。


誰しも遠慮なく表現していい。

各自が自らのエナジーフローに

逆らうことなく生ききる大切さ。

見せてくれてたような気がする。


ありがとう、マスター・サカモト。










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