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合流地点のない列車に乗る松本人志


裁判ってそういうもんだ的な

常識的知識マウントの流れも

あるんでしょうけどね


このわかる人だけわかればいい

路線に持っていくのをやめたら?


裁判は意外と進歩はしない

進歩しなくていいのが常識か?


一般的な感覚としては松本側の

主張しているA子、B子って

誰かハッキリしてないとさ?

っていうのは、ごく自然です


文春側の主張もわかるのだが

常識的な裁判での立ち回り

それと合わないことをするなんて

みたいな嫌悪感を示す弁護士


この時点での個人のプライバシー

どっちの言い分が自然かと言ったら

松本側にあるのが当たり前に感じる


裁判ってルール上で立ち回ると

弁護士らが運びたい路線へ

有利に運ぼうとするのは自然だと


勝手に道をつくられ先導されていく

勝つため負けないためこねくり回す


だがそうしなきゃ仕方ないだけ

では進歩せずで、停滞してるだけ


法律どおりに人をあてはめ

その結果、法律が人間より

上位に置くことがいかなる場合も

正しく間違いでないと


これからもそのスタンスで

進めていくのだろうか?


松本が求めるものは法律に

根拠を明記できない影響の話

文春相手ということはそういう事


その損失が法律に根拠がない場合

法律と人間、法律と社会のどちらに

裁判官は重きをおけるのかなって


文春側は負けないのは法律至上で

ルール通り負けない要素を揃えたら

自分たちに罪はないとするが


法律や判例をなぞれば良くて

人間や社会の影響はまったく

考えなくていいの?


勝つ材料を揃えたら勝ちとしても

裁判によって特殊な仕事の性質上

大きなダメージを被ったのは松本


文春の姿勢って暴きたいとか

巨悪的なものを倒したい狙いで

その後、影響がどうなろうが

関係ないみたいな思惑が見える


松本のネタを投下して大きな

ダメージを与えてやろう的な

趣旨を文春側の編集長かな?

彼もしてましたけどね


それって法律的にまだ明記ないから

といって許してもいいのだろうか?

裁判で踏み込む判断はそこでしょう


表現の自由は認めるべきだが

法律に則ってるからといって

その相手のダメージが必要以上で

看過できない場合において


やりすぎですよ?って判断を

裁判所はすることはないのか


様々な影響を受ける松本を介した

メディア側の変更や対応に

追われた事に責任はまるで無いか


紅麹の一件だって含まれた物を

自主回収せざるを得なくさせた

各社の結果的なイメージ損失もある


それと同じ麹ならぬ構図でいけば

松本が仕事にならなくなると

判断したのは笑ってもらえなくなる

それでは仕事にならないからで

これは特殊な状況ですよね


単に仕事は問題なくこなせば

済む性質の職業とは違うと思う


笑わせる職業をしてる以上

職業の出来不出来に影響がある

その事は無関係で通せるのか


仕事をストップした責任は

週刊誌側に無いと言えるのは

仕事の性質上、現実的ではない


合理的な判断を法律をなぞるだけ

それで困る性質上の問題でも

すべて当てはめて受け入れろと?


ただ法律に明記していないから

法律どおりに裁くしかない

だけでいい、許される時代なのか


文春側は法律路線の列車に乗り

松本側は人間や社会路線の列車に

それぞれ乗っている状況


どこにも合流地点がなくて

平行線でなおかつ融通も利かない

英断できるのは裁判官しかいない

人間である裁判官しか


人間が苦しむだけのルールって

現実社会では不条理すぎる気が


法律をこえた判断が必要な領域に

裁判官は踏み込めるのだろうか

そこが一番気になりますね










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