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4分の3の感情線。


団塊ジュニア以上の世代は

学生時代1クラス40人くらい。


それが学年で10クラスで

ざっと400人くらいか。


地域や時代によってはもっと

多かったり、少なかったり。


マンモス校なんて呼ばれる

ところもあったでしょうね。


でね、クラスにいる40人。

そのうちでカースト的な意味で

うまく学生生活を有利に

立ち回れているのは

男女合わせても10人くらいか。


あまり多くてもオサマリが悪い。

だから人数の規模の大きさを問わず

4分の1程度に落ち着く。

なんとなく、そんな感じがする。


中学のときと、高校のときは違う。

中学のときは悪さをするような

やんちゃな子が中心にいる流れ。


高校のときはオトナになって

偏差値等の違いによっては

悪いだけではない

人気の質が変わってくる。


上に行くにつれて

より社会全体のオトナの

ちょっとずるがしこいような

イメージに近づく感じだ。


時間がくれば社会という荒波に

後ろから押し出される形で

次々と海に放り投げられる。


あとは自分で泳ぎなさい。

サバイバルの海へ。


やっぱりなんというか

いま考えれば「大雑把」です。

おおざっぱ状態でも、

しかたなかったのだ。


だから、いまの学校に対しての

ちゃんとやってくれという流れは

なんか複雑な感情を持ってしまう。


このしくみの延長にある社会に

出ていって、しくみのなかで争う。


別の方法で活かせるなら

別の方法を探ろうよ。

という考えがあってもいいが

なかなか生まれてこなかった。


うまく学生生活を送れていた人

というのは実は4分の1程度。


でも中学時代の4分の1は案外、

高校などで止まってしまいがち。


うまくいってない人、

悪さをして、落ちこぼれた人。

さまざまいる。


気づけば社会に出てから

4分の3の側の人間に逆転されて

地位や経済力などで追い越されている。


頑張って勉強に打ち込んでたり

マジメにやってきたことが人生の

中盤以降に活きてくる成功パターン。


4分の3の子は高校さらに大学と

登らないと人生の成功という意味での

4分の1(=勝ち組)には入れないしくみ。


そうやって地位を築いてきた親がいる。

その親は子どもにそう指導していくだろう。

そしてその子も、親になり、自分の子へ。


勝ち組が勝ち組仕様の調教をしながら

レールから外れないように育て上げる。


地方では結局、公務員が一番で

小さな世界で偉そうにしてる(笑)


子どもとしては自我が芽生えてから

生まれながらの性格、親のキャラ。

なんだかんだに、気づいていく。


羨ましさ、でも妥協しつつ。

どこかに逃げ道を探しながら

学生生活を送っていたりする。


いまの学生はまた違うだろう。

いろいろ他で興味を示せるものが

世の中にたくさんあふれているから。


オジサン世代からみると

ネットがあるだけで

だいぶ違っただろう。


ただ、いまの時代なりに逆に

ネットのストレスもあるだろうけど。


自分がうまくいきそうにない

状態だと理解すると

そこから他の分野に

力を入れていく修正ができる

その材料にあふれている。


早い段階であきらめたり

違う可能性を探したりという


武器が手元にある状態で

人生を並走してくれている。

これはすごく大きいメリット。


40代やその上の50代は

そんな情報や考え方を

得られない人が思っているよりも

たくさんいたはずだ。


もっと不便でも、人数だけは

多かった世代であり

思っている以上に4分の3に

滞留している人が多い。


この世代の人たちは、その後

自分のポジションを得られただろうか。


全部は伝わらないし、全部はできない。

同じしくみで争うには全員が全員、

全部は無理だと知っている。


納得するポジションにはつけずに

最後まで4分の3にいて

やりたいこともやれないまま

の人が多いのではないだろうか。


なりたいポジションには

既に人がいて、願いは叶わない。

その人に敵わないわけじゃない。


そのしくみのなかで生きるなら

下のポジションでもガマン。

それが染みついている世代。


人生において成功への道のりは

長くて果てしなくてもいい。

だが、多種多様であっていい。


目標に取り組めることがこそが

大事なことではないか?


目標もなくただ日々を過ごす。

貧乏よりも何よりも苦痛だと思う。


各自の裁量により打開も可能な時代。

しかし、裁量に慣れていない中年世代。

もっと上の高齢世代も基本的に同じ。


やりようがないとあきらめた人が

市中感染してしまっている。


いま思うと社会の器に対しての

分母の大きさというか。

しくみが大きさに対応しなかったのだ。


分母が100のしくみで始めたものが

分母が1000になっても

100のしくみで対応してた。


100が満員電車になりはじめ

乗車率400%超えくらいになる。


乗れない人がたくさん出るけど

対応するための動きは出てこない。


1000なのにしくみは100のまま。

この混雑も予想していたはず。


しかし何もできませんでした。

行き着く終着駅

動こうとしても周囲が乗らないか

勢いを無くして自然消滅だろうか。


なんだかんだ、変わらない。

学生時代のカーストはその後

しっかりと社会のしくみの中で

メンツは変わっても生きている。


しくみというのはそこに

乗っかる人が定住しているぶんだけ

動かしづらくなっていく。

スロースターターで、変わらない。


だから私たちがこうしたいと

思っていてもすんなりとは進まない。


私たちはずっとモヤモヤしながら

それでも生きている。


ああしたい、こうしたい。

でもできない、できかけていても

潰され淘汰されてしまう。


人口が爆発的に増加して

右肩上がりの時代や

その後落ち着いた時代になって

将来の課題として

言われ続けてきたことだ。


やっぱり数十年経っても

私たちは、しくみから逃れられず

解決できないままなんだなぁと。


潮が引いていくまで待つ。

団塊ジュニア、氷河期世代。

このあたりは多くが犠牲になって

淘汰されていくんでしょう。


この4分の3を全体として

動かすのは不可能ですから。


これから打開するためには

各自が小さなコミュニティで

点をつくって、線にするしかない。


いまの時代は最初から

線を描こうとしてしまうから。

だからうまくいかない。


その線はホントは理屈じゃなくて。

感情とかが主成分で。

人間っぽくて感情的。


でも,なんとかしないと。

このご時世、飽和状態を

打破するにはとにかく

声を上げて動かそうとしないと

気づいたときには

からだが動かなくなっている。


そして誰も動かなくなる。

それが現代の人間の縮図。


大きくしてきた世代には

逃げきる気持ちだけでは

いてほしくない。


社会全体が分母を大きくして

富を分配しながらでないと

全体が干からびてしまう。


これは全体の流れとして

もっと社会全体に主張して

変えていくべきだろう。


たとえ私たちオジサン世代が

犠牲になろうとも。

やらなきゃ変わらないし、

やらなきゃ動かないのだから。






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