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足もとのもっとモト

今日から6月。そして、台風が近づいていますね。予報が流れると、今年もこの季節がやってきたなと感じます。それぞれの場所でどうぞ安全に過ごしましょう。

さて今日は、先日法事の際にお寺の和尚さんから説教をきいたのでそのお話。

はじめに
−「説教」。馴染みがある方もそうでない方もいると思います。説教とは「神仏の教えを説き聞かせる(コトバンク)」こと。つまり、お説教をきくというのは、お坊さんから仏さまのお話をきくことです。

桜の根を尊ぶ人はいるか
−さて、今回和尚さんのお話は、お花見の話題からでした。

”コロナ流行以来、今年は久しぶりにお花見を楽しんだ人もいたでしょう。私もそうです。桜の木の上の方を見ながら、あぁ綺麗だなぁと。

ところで、花見をしている時、その木の根について「立派な根だなぁ」と思いやる方はいらっしゃるでしょうか?

・・・まぁそんな方、なかなかいないですよね。
私たちは、目に見えるもの、目の前にあるものに、心や意識を向けます。ですが、桜の美しさも、枝や幹をたどり、そして目に見えない根っこの部分があってこそ存在するんですね。”

そういうと、和尚さんが袂から一枚の紙を私たちに向けて差し出しました。

足元のもっとモト
−その紙には、4つの文字が書かれていました。

”「尋源培根(じんげんばいこん)」という言葉があります。源を尋ねて、根を培うという意味です。どんなことにも必ず根にあたるものがあります。私たちの存在。その源をたどると、必ずご先祖さまたちに繋がっています。根を培うというのは、ここでは念仏を唱えること。念仏を唱えながら、それぞれの想いを根にしっかりと届けてください。
そして、これは皆さんの日常に置き換えても同じです。私たちの足元のもっとモトには何があるでしょうね。どうぞお考えください。”

「足元のもっとモト」をみるために
−一言一句同じ、とはいきませんが、お話の概要はこんな感じ。
お読みくださった方、どうでしょうか。今感じたこと、考えたことはどんなことでしょう。



このお話はどんな視点からも解釈できますよね。なので、それぞれの心や頭に浮かんだこと、全て「◯」だと私は思います。

ちなみに、私が今回説教をきいて考えたこと。それは今考えてくださった方のように、ちょっとだけ立ち止まるということです。

例えば、私自身を一本の木と考えた時、
今の私の根はどんな状態か?
今の根を支えてくれているのは何か?
これからもっと自分の根を伸ばし、太くするには何が必要か、不要か?
どんな肥やしを与えるのか、与えないのか?
など

様々な問いが生まれました。また、「できること」と「(今)できないこと」、「変えられるもの」と「変えられないもの」いろんな軸を頼りに、物事を整理したいと思いました。でも、慌ただしく何かの最中にできるか?と言われると、少なくとも私には難しいな、と。

毎日、勉強や仕事、家事など、私たちにはやりたいことだけでなく、やるべきこともたくさんありますよね。なので、1時間も2時間も考え込む必要はないのです。通勤通学、入浴、お散歩、お茶の時間、あるいは今日食べた物を思い返しつつ、まずはちょっとした時間に、自分の内側で立ち止まってみる。そうして「根」をみて、浮かんだ気持ちや考えを眺めてみる。

意外と難しいことではないと思います。

自分のためにも、そして誰かのためにも
−自分のためにちょっと立ち止まる。それは、きっと誰かのためにもなる。
和尚さんのお話を少し広げて考えたら、そんなことにも行きつきました。

6月の始まり。一年の半分が過ぎようとしています。あっという間だったという方も、そうでもない方も。時折立ち止まり、足元のもっとモト、たまにみてみるのも良いかもしれません。

お読みくださった方、目をとめてくださった方、どうもありがとうございました😊


宗教の教えに関して、文中の解釈等には諸説あるかと思います。私自身は専門ではありませんので、どうぞご容赦くださいませ。

ちなみに、我が家は昔からご供養ごと等があると、和尚さんに家まで来ていただき、その際説教をきくというのが普通でした。
私が子供の頃は、お寺も遊び場の一つ。友達と遊んでいると、元気でよろしい、と和尚さんがお菓子をくれたりもしました。地域や暮らしの中に溶け込んでいたんでしょうね。懐かしい。
それだけお世話になっておきながら、私に強い信仰心が育っていないのは心苦しいですが、今の私に繋がっている歴代の和尚さんたちに心から感謝しています。

和尚さん、ありがとうございました。


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