映画館で感涙

どうも、この前ボヘミアンラプソディーを観てきたんです。
そんな話を前回少し書いて全く内容に触れずに音楽の話だけしたんですけども、今回は内容には触れず映画館でみる映画について書こうかと思います。

映画館って良いですよね。
あの甘ったるいポップコーンの匂い、たくさん人がいるのに静かな感じ、なくしそうな位ペラペラな券、固くも柔らかくもない椅子などなどあげればきりがないですが、なによりも映画館でみる映画は家で同じ内容のDVDをみても全然ちがう。

何がそんなに違うのか、まず当然画面が大きい、音が大きい、これも当然、そして家ではない。
これが大事、家ではないのだ。

小さいころは公園でショッピングモールで遊園地であらゆるところで転んでは泣いて、喚いて。
恥ずかしさなんてない。
これが時間がたち大きくなると家以外で泣けないし、人前なんかではもちろんできれば一人で泣きたい。

なのに映画館は公共の場の中でも珍しく泣いてもいい場所。

でもこれがそんな簡単ではない。
僕の場合。

来るものは来る、しかし垂れない。
目頭が熱くなって、自然と冷める。
そんなころ、周りからはすすり泣く声が。
それがまた正気に戻す戻す。
自分の冷静さに引いてしまう。

しかし、もしそのような映画を個室ビデオならぬ個室映画館なるものがあったとしてそこで一人観たとしても泣けない。
そういう映画特有の「泣けるだろ?なぁ、どうよ。これでどうだ。このBGM泣けるだろ。どう?」というような製作側から受けるあの圧。
椅子ごと沈む重力で押し潰される感じ、それでも泣かないと今度は隣の人からのまたは一緒に観にきた友人の涙を手で拭く仕草が視界の端に映る、鼻を静かに啜る音が微かに聞こえた時、自分は人間ではないのではないかと自分自身に感じる形容しがたいあの感情。

そして映画が終わり友人のまたは周りの人々の一言「泣いたわー」
ほんとになんなんだ。
とりあえず出るまでは噛み締めろよ。
陳腐な言葉で片付けるなよ。
映画館は別にあなたの感受性の豊かさを見せつけるところではない。
泣くのが悪いとは一切言ってない、とりあえず出るまで「同じ映画をみた人」から「ただの通行人」になるまではお互いに黙っていようよ。

取り乱してしまった。
これはただの僕の意見であって映画館に涙を流しにデトックスにくるのは僕とはちょっと違うけれど否定はしない。気分を害してしまったことをまず謝ります。申し訳ございません。

とはいえ、僕も泣いてしまうことはある。
最近でもないがファインディングドリーを観て静かに泣いた。映画自体とてもよかった。しかしあれは気が抜けてた。まさかあんなに来る映画だとは思わなかった。

映画ではないが高校3年のとき、このCMを朝御飯を食べながらみて涙し、母に「もしかして気を許せる友達いないの?」と「大丈夫、大学にはいろんな人がいるわ」と言われ朝から号泣した思い出がある。

気が抜けてるとき、まさかの展開に僕は弱く。また内容が友達、家族愛ものにも弱い。

じゃあボヘミアンラプソディーをみて泣けなかったのはなぜ?

この謎だけを残して締め括ろうと思う。

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?