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[~のために] 行うことをやめる

どれほど良いことに見えても、『~のために』行うことは、卑しく貪欲な事だ。
誰のためでもあろうとも、もしくは事情や何かのせいにする心が生まれるし、うまくいったと思える時には自分の手柄だとする慢審が生まれるのだからだ。
つまり、本当は自分のためにだけ行われているのだ。
けれど、純粋に能動的な愛から行われるときには、『~のため』という言葉も考えも出てくることはない。

『ツアラトルストラはかく語りき』
#020


結局は周りに惑わされてはダメ。
自分が幸せと思う時はどんな時?
それを作るには、
幸せに満たさせるにはどうすればよいか?
そんなことを常に考えながら生活すること。

お金がすべてではない、
でもお金は大事。

結局お金をもってても不幸せな人はたくさんいて、
お金は少ないけど幸せな人はたくさんいて。

何が正解化はわかんないけど、
でも、毎日が幸せだなーって思えることが一番大事。だと思う。


超絶に偽善者な自分がずーと嫌いでしょうがなかった。
でも、そんな誰かのためにの何かができる自分がちょっと好きでもあった。

小学校の時、サッカー頑張ってて
他地区の選抜チームとの試合でいつの間にか
『いい人』とあだ名をつけられていて、
よくわかんないけどちょっぴりうれしかった。

少し時を経て、あれは完全に馬鹿にされていたということが分かった。
『いい人』って、時にとてつもなくイヤらしい言葉でもある。

『いい人』ぶってると、いつしか『どうでもいい人』になってて
自分がそう演じているのに、そうしたいと思って偽った行動のお陰様なんだけど、寂しくて、切なくて、むなしくなるんですよね。

中学校、高校、社会人になってから30代もそうだった。

大人になっても、
会社のため、仲間のためってどれだけ頑張っても
みんな意外と何とも思っていないんですよね。
あの人、頑張り屋でまじめでいい人だよね!?
むしろ余計な事すんなよ。空気読めよ。
頑張ってる感じがだりーみたいに思われる。

え!?なんなんこれ。

41歳おじさん、やーっと気づきました。
~のためには、自分のために心から思えることをやらないとだめだ。

こころに噓をついて誰かのためにしていると
結局その誰かのせいで自分が不幸せだと原因にしてしまったり
周りを恨んだりしてしまうことになってしまうんだよね。

だからこそ、やっぱり自分のために人生を生きよう。
それが、周りの人も幸せにするための秘訣なのかもしれない。

人生半ばでまだ答えはわからんし失敗もたくさんしていくやろうけど
自分が幸せ、家族が幸せ、周りの仲間が幸せになれるよう
精進していきましょう~!!

みんな頑張って生きていこう。



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