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帰省のこと

 下りの新幹線は10分遅れていた。私は当日でも余裕で指定席が取れる上り列車を待ちながら、そのアナウンスを聞く。自販機で買った温かいお茶は、手に取ったそばから冷めていった。

 満席の車内を何時間も耐え忍んで帰省をする乗客のうち、だいたい何割が久しぶりの家族団らんを心待ちにしているのだろう、と想像する。地方の小さな町にある最寄り駅のロータリーにも迎えの車が列をなしていて、30分無料の送迎用駐車場は埋まりかけていた。いつまでも変わらない山野と緩やかに綻びゆく集落が佇む故郷は、親元を離れて頑張る子どもたちを暖かく包み込む。

 12月28日の夜に仕事を納めるやいなや、一目散に実家へと帰る元彼の気持ちが私には一切理解できなかった。できることならわかりたかったし、羨ましかった。家族とどうしても上手くやっていけないことへの罪悪感が、私の心に暗い影を落とし続けていたからだ。

 家族といっても、いつも話をするのは母ひとりだ。母には私の一言一句が攻撃的に聞こえるようだし、私は私で、苦労ばかり積み重ねてきた母の卑屈な言葉を受け止めるのが辛くてたまらない。本当は「大変だったよね」と心から寄り添いたい。しかし、寄り添えば最後、「大変さ」に引きずり込まれて、私は自分の人生を選ぶことができなくなるのをよくわかっていた。実際、物心ついてから家を出るまでは「私は苦しむべきなのだ」と信じて疑わず、自分の価値を必要以上に低く見積もっていた。

 周囲の人の助けを得て心の枷をほどき、いくつもの楽しみや喜びを知った今も罪悪感は消えない。年に一度くらいは忘れた痛みの中に身を投じるべきだ。痛みこそが家族の「絆」の唯一の手触りなのだから。だが、普段それなりに幸福に暮らしている私にはもはや、これを黙って拒絶する以外の選択肢はなかった。黙らないなら、それは攻撃にしかなりえない。私はなんて思いやりの欠如した、不出来な子どもなのだろう。2年連続で、実家の布団の中で泣いた。


 事あるたびに思い出すのは、私が敬愛する宇垣美里さんの、地元の幼なじみとのすれ違いを綴ったエッセイだ。

 東京の全てが新鮮ではしゃぐ私は振り返るとどう考えてもうざい奴だったし、そのはしゃぎ様はきっと、どうしても馴染み切れなかった故郷への当てつけもあった。その土地で生き、結婚し、やがて死んでいくことを違和感なく受け入れている彼女が、少し羨ましかったのかもしれない。家から徒歩十分の海辺を裸足で駆け回っている頃から私を知っている彼女は、テレビに映る私の姿にどうも違和感があったみたいで、それを指摘されるのもしんどかった。私は好きで、この顔に生まれたわけじゃないんだよ。ただ少しでも生きやすい道を選んでいたら、こんなところまで来てしまった、それだけなのに。上手に受け流せなくなった私は、もう傷つきたくなくて、何を言われても反論せず、乾いた笑い声をあげるようになった。
宇垣美里『愛しのショコラ』株式会社KADOKAWA,2021年,pp.71-72.

 宇垣さんは、美容雑誌の表紙を華やかに飾ったかと思えば、ラジオ番組ではありとあらゆる文化的事象に鋭く言及する、才色兼備のお手本みたいな芸能人である。それなのに彼女の書く文章は、平々凡々な同い年の私を引き付けてやまない。
 私だって「ただ少しでも生きやすい道を選んでいたら、こんなところまで来てしまった」。本当に、それだけだ。道に優劣も模範もないのだから、これからも生きやすい道を選んでいけばいい。

 実家付近の洪水ハザードマップは赤く塗りつぶされていた。せめてこれからも、大きな災害が起きないことを祈るくらいはしていきたい。精一杯の、傷つけ合わない罪滅ぼしだ。

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