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子供はなぜ素晴らしいか

私は出産するまで1mmも子供に興味がなかった人間なので、世の中の人たちがなぜ子供というものをこんなにも絶賛するのだろう、といつも不思議に思っていました。しかし自分自身が出産をして、確かに子供は素晴らしい、と感じるようになりまして、今日はなぜ子供は素晴らしいと私が思うのかについて書いていきたいと思います。

子供は過去である

子供を見ていると、自分の小さな頃に思いを馳せることがよくあります。喜んだり悲しんだりしているのを見て、「自分も同じようなことが嬉しかったな」「自分もこういう時に悲しかったな」ということを思い出すのです。


大人になるにつれて、自分の感情に鈍感になってきている気がします。

怒りや悲しみという感情は自分も疲れるので、ある程度のところで蓋をして、折り合いをつけて生きているのだと感じます。
ただ、子供は怒りも悲しみも全力です。ちょっとしたことで大号泣して、そして少し経つとケロッとして今度は大爆笑をしていたりします。目の前の出来事全てに全力の子供達を見ていると「自分ってどんな人間だったっけ?」ということを改めて考えるきっかけになり、自分の過去と向き合うきっかけになるのです。

子供とは未来である

子供とはわたしにとっての過去でもあると同時に、子供自身にとっての未来でもあります。子供の成長スピード、記憶力、観察力、回復力、その全てに目を見張り、自分が何人束になっても敵わないだろうなと感じるくらいすごい成長スピードです。

子供って未来そのものだなと思います。これからどんな人間になっていくか、どんな人間になりたいかは子供達自身の中にしか答えはないし、その可能性はまだまだ無限に広がっているのです。

子供にとっては「今」しかない

子供とは、私にとっての「過去」であり、子供自身にとっての「未来」であると書きましたが、肝心の子供自身がフォーカスしているのは、「今」だけです。
6歳になってちょっとだけ先のことも意識できるようになってきました。例えば、宿題が終わらないと友達とくもんに行けないから、先にちゃんと宿題をやろう、とか。
でも基本的に子供が意識するのは「今、自分がどう感じるか」のみです。

大人は生きていると忙しいので、何か作業をしながら別のことを考えていたりします。例えば、子供と遊びながら仕事のことを考えたり。けれどもそんな時に、子供達が真剣に遊んでいるのを見て、なんだか私は生きるのに真剣じゃないな、なんていうことを反省したりするのです。「今ここ」の積み重ねが現在であり、過去にもなり、未来を作っていくのに、その「今ここ」に集中できない人生って、自分の中に何も残らない空っぽなものになるんじゃないか、ということを子供を見ていて初めて思いました。
なので反省してからは、できる限り自分の気持ちを「今ここ」に集中させることにするようにしました。それでもまだまだ、子供達のように真剣にはなりきれていないのか、子供が気付けるわずかな違いのようなものに目がいかず、反省することが多いですけれど。

子供とは「人間の本質」である

以前に創作で書きましたが、赤ちゃんは教えなくても寝返りをして、二次元の世界を経由して三次元の世界を手に入れます。

子供を育てていると、人間の本質に近づくような気持ちになります。教えなくてもミルクが飲めるし、歩くし、話す。本能と模倣でどんどん成長していくし、成長していくことへの喜びがある。大人である私はずっと横になって寝ていたいのに、子供達は「お手伝いさせて!」と横でガンガンリクエストしてくる。褒められたら嬉しい。誰かの役に立てると嬉しい。今ここに集中して、全力で行動する。

赤ちゃんを育てている時、とても不思議な気持ちでした。どんなに社会が変わっても、赤ちゃんって何も変わらないんだろうなと思ったので。だって、読んでいる絵本だって私が小さい頃読んでいたものとほとんど変わらないし、童歌だって一緒なのです。
それならばこの人間の本能に近いものをよく観察しておこうと思いました。100年前の赤ちゃんも1000年前の赤ちゃんも同じ動きを見せていたのかと思うと、自分自身がタイムスリップしたような不思議な気持ちになります。人間は変化し続けるかもしれないけれど、この変わらない赤ちゃんという本質的な生き物がどんな生き物なのかということを興味深く見続けてきた育児生活だなと、育児をしながら思うのです。


note毎日投稿チャレンジ中です。曜日ごとにカテゴリを決め、毎朝6:00更新予定。火曜日は子育てコラムでした。

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