迷惑系YouTuberのビジネスモデルが美しすぎる
私は常々、迷惑系YouTuberがトレンドワードに乗るたびに
迷惑系YouTuber本人ではなく、それを叩いて悦に入っているだけの社会に怒りが湧く。
私もYou TubeやTwitterなどで配信している中で、様々な同業者と接する。
その中で多くの配信者が、他の配信者を視聴者として食おうとしている姿を目にする。
そして、多くのリソースがRTを貰うこと、宣伝をしてもらうことに消費されている様も多く目にする。
そして、それが成功への近道であることも事実でその人達を否定することもできないし、
私も少なからず同じ事をやっているだろう。
情報、エンターテインメントの発信者が
その作業に没頭する環境が開始初期であればあるほど整っていない。
例えば、歌う人が現れて、
聴くだけの人たちが歌を聴いてお金や賞賛を与え、
歌う人はそれを活力にまた歌うか新しいパフォーマンスをする。
この仕組みがより美しい仕組みだと思う。
だが、多くの場合現実的に行われてるのは、
歌う人Aと歌う人Bが現れて、
AがBの所へ行きお前の歌を聞いてやるから私の歌も聴いてくれと(暗黙的に)言いに行く。
AとBが褒め合うことに時間を浪費し、聴くだけの人たちはそっぽを向いている。
競争だから敗者が出るのはしょうがないにしても、
AとBが交わるときは、
二人でデュエットをし、どちらかが聴く人を多く獲得するという形で競争が行なわれるべきだろう。
私はこのクリエイター同士で行われる消耗戦に実のところ飽き飽きしている。
どうにか、社会的にこういった無駄な消耗戦を解決できないものかと嘆いている。
そんな中、ふと迷惑系Youtuberに目を向けた時、そのようなクリエイター同士の消耗戦は見られないことに気づいたのだ。
Youtuberやクリエイターと呼ぶべきではないと貶められているのに、
実のところ一番パフォーマーとして自分のパフォーマンスに集中している。
純粋なYoutuberでありクリエイターなのだと。
このような現実を目にし思ったのだ。
淡々と皇居にロケット花火を打ち込み、
淡々とスクランブル交差点の真ん中にベッド積み上げ、
淡々と墓場で地蔵の頭をリフティングする事が宣伝になるのであれば、
情報発信者達がTLを自分の本当に発信したい情報と関係のない情報で汚し続ける姿を目にするより、
どうせ元々汚れている社会に、
花火の残骸だらけの皇居と、
ベッドで埋め尽くされたスクランブル交差点が現れ、
歌に出てくるような夜の墓場のエブリデイ運動会が開催されてる方がよっぽど健全だし、
少しは面白い社会になってくれるのかなと
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