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言葉じゃなくても。

息子が、
療育手帳、という
知的障害の手帳を持ったのは、
2歳の頃。

まだ持病が確定できていない
1歳頃からずっと欲しかった手帳。

なんで欲しかったのかは、
多分、
病気もなにもまだ色々分からない息子に
「この子はこういう子です」っていう
証明になるものが欲しかったんだと思う。

持病の確定だってそう。

まあ、

認められたら認められたで
落ち込んだんだけど。
(ハンデっ子の母親の気持ちってそんな感じ)

療育手帳は、
発達検査をして、
実年齢に対し、どれくらいのレベルなのか
で、重症度が変わってくる。

息子の場合は、2歳時点で、
(通常2歳でできることをDQ100点満点として)
DQ 34 (生後8ヶ月程度)

4歳時点で、
(通常4歳でできることをDQ100点満点として)
DQ 23 (生後11ヶ月程度)

2歳から4歳の間に
少しずつできることは増えていると思うのだけど、
実年齢も上がり、レベルも上がるので、

点数はどんどん低くなる一方です。

(息子の場合、2年かけて3ヶ月の成長…!)

こういう検査は仕方ない、
数字で見える化しなきゃいけないから

と言いながら一旦は
ショックを受けるわたしです。。。


検査をすれば、
はっきりと「今ここです!」が
分かってしまうけど、

この長い年月を重ねて
少しずつ少しずつ成長していく様は、
本当に毎日毎日奇跡を見ている気持ちです。
(キレイに言うとね。実際の毎日は波乱万丈。)


そして、今5歳の息子は、
今のところしっかりとした会話ができない。

言っている言葉は、
なんとなく
伝わってくる程度だけど、
8割くらいは、
独自語や日常で聞く言葉の繰り返し。

そして最近は、
場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)
というのがあるのではないかと
疑っているこの頃。

そんな息子と最近、
少しだけ、ほんの少しだけ、
言葉のやりとりができている気がしている。

でも、初めての感覚ではなくて、
別に日常の繰り返しで、
今までも言葉という言葉は無くても、
この5年間、やりとりはできていたと思う。

息子の嫌だなと思う気持ちや
今はこうして欲しいんだなって感じ取ったり

毎日すぎて気づかなくなっているけど、
言葉じゃなくても、
気持ちを通わせること、読み取ることって
できていたんだなって
改めて思う。

当たり前って何一つないんだなって
改めて思う。

これからも彼なりのスピードで
少しずつでいいから成長していってくれたら
親としては、
それ以上に嬉しいことはないと思う。

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