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日記1/24 好きな曲にはだいたいBメロがない

Bメロとは、Aメロとサビの間のセクションのことで(異論認めます)自分の好きな曲には、なぜだかわからないけれどBメロが無いことが多い。

嵐のone loveを思い浮かべて欲しい。

伝えたくて 伝わらなくて
時には素直になれずに
泣いた季節を 越えた僕らは
いまとても輝いてるよ

どんな二人が登場人物で、どんな出来事を経てきて、
いまどんな状態なのか提示するのが始まりのAメロとすると、

それぞれ描く幸せのかたちは重なり
今 大きな愛になる
ずっと二人で 生きていこう

Aメロを受けて、いまの僕らの状況を示すのがBメロ。
「それぞれ」だった僕らが「二人」で時間を共にしていこうという決意が現れ始めているのがわかる。
そして、「百年先も愛を誓うよ……」というサビを説得力をもって始めることが出来る。サビは言わずもがな、一番言いたいことが詰め込まれている。

ここでバレーボールをしてみよう。
リスナーの心に突き刺したいサビを「アタック」とすると、リスナーの日常と曲世界を繋げるために前提となる情報を伝え、調整をするAメロは「レシーブ」、曲のテーマへ迫るためにギアをあげていくBメロは「トス」の役割を担っていると言えそうだ。

ところが、自分の好きな曲にはBメロがないことが往々にしてある。
つまりトスなしで、レシーブからいきなりアタックするようなものだ。
これができるのは、
1.レシーブがめちゃくちゃうまいか、
2.アタッカーが
めちゃくちゃうまい

1.レシーブがめちゃくちゃうまい

こちらのパターンは、前奏とAメロだけで、サビ世界へ進むのに必要な前提を完璧にリスナーに伝えられている場合。
例えば、サカナクション/さよならはエモーション。

そのまま深夜のコンビニエンスストア寄り道して
そのまま忘れたい自分に缶コーヒーを買った
レシートは レシートは 捨てた

ドラムが細かく刻み、鍵盤がゆらゆらなるサウンドでこの歌詞。
やぶれかぶれ、なにかがあった、深夜、むしゃくしゃ、自己嫌悪、……十分すぎるくらいの世界観の導入。そして、

さよならはエモーション
僕は行く ずっと涙こらえ こらえ
忘れてたエモーション
僕は行く ずっと深い霧の 霧の向こうへ

「さよなら」から生まれた、いままで「忘れてた」「エモーション」によって、僕は「涙こらえ」ながら「深い霧の向こう」と思えるくらい、先の見通せない明日へと「行く」。これ以上なにが必要だろうか。

2.アタッカーがめちゃくちゃうまい

踊ってるだけで退場 それをそっかそっかって言って
お幸せについて討論 なにが正義かなんかって思う
……

イントロが明けて、ながれてくる言葉は飛んだり跳ねたりキャッチーだけど、少し意味が取りにくい。

踊ってない夜を知らない
踊ってない夜が気に入らない
踊ってない夜を知らない
踊ってない夜が気に入らない
気に入らない夜なんてもう僕はもう知らない
踊ってない夜を知らないなんてとってもとっても退屈です

これは、フレデリック/オドループ。
繰り返される、粘着質なリズムの歌詞、中毒性で有名だが、その通り、これらの要素がサビを「屈強な激ウマアタッカー」に育て上げている。
Aメロは、忌憚なく言うと、一度聴いてもなかなか漢字に変換できないし、(風営法改悪に反対するという)テーマに馴染みの無いリスナーはなかなか当事者意識を持てるわけではない。1.の例のように、Aメロが万人を惹き付ける世界観の導入をしているとは言いがたい。
だからこそ、「どんなときもアタックが打てます」という万能アタッカーことサビのよさが引き立つ。たぶんあなたはもう口ずさんでいる。

特に好きな曲ふたつを取り上げたわけで、
きっと曲の数だけ「この曲がいい理由」はあるだろう。
自分が好きでBメロらしきものがない他の曲はこちら。↓

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ひとつ思うのは、less is more という言葉があるように、
シンプルなものってやはり良いのだ……という気持ち。
転調とか、拍子変更とか、あの手この手で楽しませてくれる曲はもちろん好き。全力で惑わせれてロマンティックな気持ちになりにいく。
でも、シンプルな構造な曲には、それがゆえの強さがあると思う。贅肉をそぎおとした細マッチョな名曲たちを愛していきたい。

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