「フェイブルマンズ」はスピルバーグのお母さんの話がメインじゃないか、傑作じゃないか

ICレコーダーに話したものの起こしです。

アカデミー賞作品候補作になっております。スティーブン・スピルバーグ監督の「フェイブルマンズ」を見てきたので、その感想をお話ししたいと思います。

と言ってもすいません。私。あの映画関係のライターもやってますが、映画専門というわけでは全然なく、それこそ学生時代、出版社にいた頃はもう年間何百本っていう洋画を見ていましたけど、どんどんどんどん見る本数が減っちゃって、最近は年間50本見てるかなっていうぐらいで。

2023年のアカデミー賞授賞式が3月13日の朝から行われますけど、その前に駆け込みでばばばばって候補作を見るようなことが、この5年ぐらいは続いてますね。本当はもっと洋画見たいし、仕事しているメディアでも洋画を洋画、アメリカ、ヨーロッパ、または他のアジアとかの国の映画取り上げたいんですけど、なかなか今媒体としてもそういう記事を出してもページビューは取れない。特にウェブメディアは厳しいですね。提案しても却下されることが多いです。なので、すごく今、大変な時代だと思いますけれども、やっぱりでもアカデミー賞候補作になるほどのものは面白いし、もっとたくさんの人が見てくれてもいいんじゃないかな、と思います。

で、これはもう「フェイブルマンズ」はもうスピルバーグっていう看板もありますし、結構、劇場にも人入っているのかなと思ったりもするんですけれども、私が見てみて、ありかなしかで言うと、すごいありだと思っていて、すごく満足して見終わりました。

優等性的な映画でもあるんだけど、これあのスピルバーグ自身が、スピルバーグって、もう75歳ぐらい。1946年生まれ。76歳ですけど、76歳のスピルバーグが初めて割と赤裸々に自分の家族、育った家族のことを描いた自伝的映画っていうことになってるじゃないですか。
本当に20世紀、21世紀の偉大な映画監督、まぁ、テレビというメディアと共に、またはブロックバスターというような概念と共に活躍してきた監督だと思いますけれども、なんか、そういう監督の自伝的映画であるということがまず皆さん、宣伝でよく聞いてると思うんですけど…
もうここからもうネタバレ、最後のラストシーンまでありですけど、半分ぐらいはそうじゃないですね。

この映画の内容っていうのは、スピルバーグ監督のお母さんの話になっていて、それに当たる人をミシェル・ウィリアムズが演じてるんですけど、そこがすごい良かったですね。だからちょっと上から目線で言うと、あの、珍しく女というものが描けているというか、スピルバーグにしては。
そこがすごく価値があって、この「フェイブルマンズ」の良さっていうのは、半分以上そこにあるんじゃないかな、と思います。

この「フェイブルマンズ」っていうのは、フェイブマンという名字がありまして、ユダヤ系に本当にあるんですかね。「フェイブル」っていう言葉は作ったらしいですけれども、スピルバーグという名字に当たる。
フェイブルマンという一家の話で、サミーっていう主人公の男の子がまスピルバーグに当たるんだろう、というようなことで描かれてます。だから、お母さんの名前もそのままではないんです。そのサミーの母をミシェル・ウィリアムズが演じているんですが、多分、ミシェルってユダヤ系ではないですよね。多分違うんだろうなと思ってるんですけれども、設定としてはよユダヤ系の一家の話で、もうハヌカとか、そういうのがいっぱい出てくるんですけれども、その中でサミーの母が、スピルバーグを筆頭に、下に女の子が3人いて、4人の子を持つ母親なんですけれども、要は不倫をしちゃうっていう話なんですね。
で、多分これすいません。ソース押さえてないですけど、おそらく本当のことだろう、と。スピルバーグのお母さんにはそういうことがあったんだろうと思います。で、それをその当時、高校生ぐらいにはなっていたスピルバーグ少年が気づいたっていうのも本当のことなんじゃないかな、と思いますね。

やっぱりスピルバーグが今76歳ですから、これも調べてないですけど、おそらくお父さんお母さんが亡くなっているのではないかと思いますね。親が亡くなったから初めて描けたことなんじゃないかな、と。ご存命中に描いてたら、映画にしてたら、お母さんも傷つくしお父さんも傷つくっていうところで遠慮してたけど、やっぱり少年の原体験としては非常に心が傷ついたことで、人生のままならなさを知った出来事だったと思うので、それをやっぱり大人になる時の原体験みたいなことだと思うので、それを描かずに得られなかったんだろうなと思いますね。
それを描いたっていうことが、やっぱすごいいいことだし、SF映画いっぱい作ってるスピルバーグですけど、戦争映画とかも…。これは自分の内面に向き合ったっていう点で素晴らしい映画なんじゃないかな、と思います。

で、そのお母さんの生き方っていうのが、また今の女性から見ると非常に共感できるし、まだウーマンリブより前の時代に結婚して子供を産んでっていう人なので、すごく大変辛いこといっぱいあったんだろうなと思います。映画を見終わって夫も見たんですけど、夫と話してたんですけど、あのお父さん、スピルバーグのお父さん、つまり夫はすごくいい人なんですよねで、エンジニアで、転職を繰り返してコンピューターの先駆けみたいなマシンを作った人で、小さい会社からIBMに転職し、IBMからGEに転職しというような、すごい、もうエリート理系サラリーマンなんですけれども、お母さんが元々ピアニスト志望の女性で、ピアノをずっと弾いてるんですけど、お母さんが4人の子供を見ながらも、お母さんのそのピアノをやってることをすごい尊重している。全然こう家庭に閉じ込めていないんじゃないかと。

お母さんテレビに出たりとかして、そういう活動も少しはしてますし、なんか全然理解ある。よく言えば理解ある夫という感じで、結構印象的な描き方がフェイブルマン家では、お母さんがピアニストなので、指が大事なので皿洗いをしないんですね。皿洗いをしないために、だからと言ってお父さんがするわけじゃないんだけど、この1950年代から60年代だなと思うんですけど、紙皿で食べると、ご飯を毎晩紙フォーク食べておかず載せて食べ終わると、もう全部テーブルクロスも紙で、もう全部こうくしゃくしゃってして捨てるっていう、全然エコじゃないんですけど、でも、お母さんがやっぱり指をこうダメにできないので、それはしないで、それにお父さんは文句を言わないんですね。で、そういうのも全然許容しているし、多分、お母さんが私はやっぱりピアニストとしての仕事を外でしたいって言ったら止めない。

最終的にお母さんが夫の同僚であり、友人である男の人とまあ、結局、結びついてしまう。離婚して彼を選ぶんですけど、そっちの方を選ぶんですけど、なんかそのそれもちゃんと一応あの理解を示し、あのお母さんのことを子供たちの前で悪く言うことはなく、「送り出してあげよう、お母さんのために」ってすごいいいお父さんなんですよ。人間としてできているお父さんなんですよね。お金も稼いできてくれてますしね。じゃあ、何が不満なんだっていうことなんですけれども、やっぱり、芸術家としてのお母さんにとっては女性の抑圧的なものがある。50年代、60年代ですから。当然、社会的な抑圧として、あるわけですよね。で、お母さんは自分はピアニストとして、あのリベラーチェみたいな…映画もありましたけど、マイケル・ダグラスがやった映画がありましたけど、あれ結構面白い映画なんですけど、マイケル・ダグラスとマット・デイモンからのちょっとあの男同士の恋愛もあり、面白いので暇があったら見てください。それで、そういうポピュラーなピアニストに、テレビに出るような人になりたかったのかもしれない。

芸術家気質っていうのが、また1つこの映画のテーマになっていて、それがスピルバーグ少年、サミーに引き継がれるんですね。だから、初めてその映画を見て、映画という世界に魅せられたサミーに8ミリカメラを買ってあげたのもお母さんなんですよね。お父さんはやっぱり技術者なので、その社会にコミットする技術、実際にその生活の中で役に立つ技術っていうのを目指してるので、なかなか理解してくれない。だからと言ってすごい怒ったりするわけじゃないんですけど、そういうのがあって、お母さんの芸術家気質が、サミー、つまりスピルバーグ監督に流れていたっていうようなところもストーリーラインとしてすごく面白いとこなんですけど…。

で、お母さん、何が不満だったのかなと思うんですけど、私もわかるんですけど、結局のところ、いくら理解がある夫でも、女性が外で稼がず、4人の子供を育てて、もうお母さん自身が「育児で手一杯」とか言ってたりするんですけど、どうしてもそのお父さんは家庭に閉じ込める側の人間ですよね。家庭から出ちゃいけないとか絶対に言わないし、もし出てっても怒らないと思うんですけど、その自分を家庭に閉じ込めた男性社会というものの側に立ってる人なんですよね。お父さんっていうのは。で、そのお父さんの親友っていう人は、結婚してない独身の男性で、フェイブルマン家と親しく交わりながら、一緒にキャンプとか行きながらも、あくまで妻でもない母でもない個人としてのお母さんを見てくれる人だったという。だから、その不倫相手の彼は家庭とかそういうものを背負って接しないですよね。お母さんに。だから、そういう存在がお母さんにとって必要だったっていうのは、今の女性にもめちゃめちゃ頷けるところなんじゃないかなと思いますね。で、それがすごく良かったです。だから、この映画はそれが面白いんだよってなんか宣伝した方がいいんじゃないかなと思うんですけど、全然そこはすごい頑なに、事前情報としては隠してますね。それは面白い。そこが評価すべき点の映画だと思うんですけれども、それがちょっと残念。残念っていうか、もっとそういう風に売ってもいいんじゃないかな、と思います。スピルバーグの話じゃない、お母さんの話だと私は思うんですけど、特に私もあの母親であり、少年、息子がいるってところで、その息子と母親の衝突とか。結局そんなお母さんを理解する息子とか。その辺にぐっと来るものがありました。

キャストはそのミシェル・ウイリアムズは多分ユダヤ系じゃないけど、あえて起用された。それだけの存在感があると思いますし、ミシェルも大好きなんですけど、いわゆる例えばマーゴット・ロビーみたいな。もうキラキラの美人じゃないですよね。そんなに美人じゃないっていうか、そう素敵なんですけど、あの他の映画では、あのー、マリリンモンローの役とかやってましたけれども、なんかね、その辺がすごく、普通っぽいところがすごくいいですよね。私は結構好きです。その強さみたいなものにスピルバーグも惹かれてキャスティングしたって言ってますね。

お父さん役のポール・ダノは、ちょっと面白い顔してる人なんですけれども、彼もいいですよね。なんかこう顔の表情で訴えかけてくるものが深いというか、多いというか、なんかちょっと変な顔だから、面白いみたいなところもありますし、すごくこうエリートにも見えるし、よかったですね。あとは子役の子とかいるんですけど、やっぱでも1番キャスティングとして面白いのは、これも本当、ネタバレもネタバレですけど、最後の方に出てくるジョン・フォード監督役のデイヴィッド・リンチですね。

デイヴィッド・リンチ。1番有名な作品ってなんだろうか。ドラマの「ツインピークス」とか「イレーザーヘッド」「エレファント・マン」「ブルー・ベルベット」。カルトの帝王と呼ばれている人ですけど、「ワイルド・アット・ハート」(ヒロインの首が飛ぶんですよ!)とかで、カンヌグランプリも取ってるし、異色作、ちょっとこう怖いような作品を、残酷描写も結構ありあり、こう心理的に追いつめられていくような作品を取る監督で、映画好きの人なら、みんな認めてる方だと思うんすけど、そのリンチ監督がジョン・フォードを演じるってのは、めちゃめちゃ面白い。あのジョン・フォード監督は古き良き時代の監督なので、西部劇とかとってますし、リンチとは全然違うじゃん。なんで、ジョン・フォード役にリンチなんだ?みたいな…。実際に何回か断られたらしいけど、結局、引き受けてくれたらしくて、それがめちゃめちゃハマってるというのが1番面白いキャスティングなんじゃないかな、と思います。
これは夫が言っていてそうかと思ったんですが、スピルバーグは「未知との遭遇」でもフランソワ・トリフォー監督を出していたよねと。そうでした。そういうサプライズ、したがる人なんですね。

だからリンチの作品とフォード監督の作品内容を比べると真逆なんですけど、頑固に自分のスタイルを貫いているとか、そういうところはすごい2人の監督は共通するんじゃないかな、と思いますね。いいですよね。最後に「ホライズン、地平線はその絵のどこにある」ってスピルバーグ少年に問うて、画面の中で地平線が上か下にあると面白いけれど、真ん中にあったらつまらないと…。結構、西武劇が、フォードの時代いっぱい量産されていて、そういう風に、地平線を真ん中に置いてその前に役者を立たせて延々演技させるみたいな映画が多かったと思うんですよね。それをすごいクサしてるっていう、本当にもう大事なことなんだけど、映画監督としてやっていくんだったら、デビュー作から最後の作品まで、心がけるべき絵作りのコツみたいなことを教えてくれて、それだけみたいな感じで、あとはお礼を言われたら「マイプレジャー」って言うだけで他には何も言わないみたいな。これから映画監督になろうとするサミーにそう言うっていうのがすごいめちゃめちゃかっこいい。そのフォード監督のアドバイスの言うこと聞いてみましたよという感じのラストカットもよかったですね。

スピルバーグって、私はもちろんずっと見てますけど、すごい好きな監督ってわけじゃないないんですね。「俺たちのスピルバーグ」と言うぐらいだったら、「俺のデイヴィッド・リンチ」と思っている人の方が、いっぱいいると思うんですけど、この作品はスピルバーグが内面をさらけ出してるところが良かったのと、あと、「シンドラーのリスト」とか「ミュンヘン」とか、もう人がどんどん死ぬ、愛は死にますかbyさだまさしみたいな、そういう映画ではなくて、誰も死なないので、そういうところがすごい好みでしたね。

で、やっぱりスピルバーグ作品を支えているのは、脚本のトニー・クシュナー。
うまいですよね。これをこう仕上げてきたかと、スピルバーグがなんか色々話したことを、結局クシュナーが脚本にしたらしいのですが、その構成力たるや。みたいなところで素晴らしいですね。
あとやっぱり撮影のヤヌス・カミンスキー。本当にこの10年ぐらい、もっと前からですかね、スピルバーグ映画を見に行こうというよりはむしろ当代一の撮影監督であるカミンスキーの「絵」を見に行こうみたいなモチベーションで、私はスピルバーグの映画を見に行ってますね。だから、やっぱりおっきい画面で見たいし、映画館で見たい。「ウエストサイドストーリー」とか描かれてる内容、物語、元々リメイクですし、新しい発見ってすいません。私はもう1ミリも何もないんですよ。
もちろん、いい物語だから何回見てもいい物語なんですけど、なんかでもそのもう、本当にカミンスキーの絵を見に行く。これ、フィルム撮ったんか、みたいな。そこまで技術的なことに詳しくもないんですけど、それがすごい楽しみですね。

今回も映画を撮る少年の話を取ってるわけなので、少年サミーが荒野で戦争映画を撮っていて、死んだふりしていたエキストラたちが同じワンカットの中で移動してもう一度死ぬみたいな。そういう面白い絵もあるんですけど、それをカミンスキーが外側からまた俯瞰して撮ってたりするっていうのが、なんか面白かったですね。ちゃんと調べてませんけど、エンドクレジットにやっぱり35ミリカメラと16ミリと、それからスーパー8って書いてあったので、やっぱフィルムを駆使して取ってるんだなっていうのがすごい。このデジタル全盛の時代に、仕上がりがわからないものを…。「ウェスサイスサイドストーリー」の時に仕上がりがわかるようにしてフィルムで撮っているって書いてあったかなと思うんですけど、その辺がすごいなと思って、もうなんかひとつのアートとして素晴らしいですねっていうのを見に行ってるという感じです。

で、「フェイブルマンズ」は明日のアカデミー賞作品賞を撮れるかどうかわからないですけど、ちょっと微妙なとこかなと思うんですけど、ハリウッドの流れとして女性をきちんと描いたみたいなところが評価されるとあるのかなと思ったりもします。けれども、何かしら取るけど、主流ではないのかな。作品賞とかではないのかな。あと、やっぱり『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』が強いって聞いてるので…。エブエブも今日見に行くので、また感想アップできたお伝えしたいと思います。


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