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境界線探し


これ赤かな?
赤ちゃう?
ピンクやろ?
いや、マゼンダやろ?
じゃ、赤紫ってこと?


数ヶ月前、我が家でこんな会話が繰り広げられたことがあった。

発端は、チビ用に買った幼児向けの大きめのブロック。
たぶん、赤青黄と分かりやすく色分けされているんだろうけど、その「赤」にはまるだろうブロックの色が、なんとも微妙な色合い。

赤と教えるべきか
ピンクと教えるべきか

あーだこーだ言い合うのを見て、お嫁ちゃんの目が少し泳いだ気がした。
……なに?ここの家族…と。


…………


就職したての頃、色味を見分ける同僚が神に見えた。同級生にその話をすると

「そんなのは、慣れだから」

と言われた。慣れか?だとしたら、アタシもいつかそう成れるのか?

結論として、ある程度はなれた。

青み掛かってるとか、黄みが勝ってるとか…青みが勝ってると醒めた色目、黄みが勝ってると少しレトロな感じにアタシには思えた。赤みはどうだったっけ?思い出せないや。

ともかく、「慣れだ」と言い切った同級生男子が今度は神に見えた。アタシの周りホント神だらけ。


朱色か?橙色か?いや赤でいいのか?とか、どうとでも取れるような色もある。人それぞれなんて言ったらそこで話は終わっちゃうけど、色の境界線ってすごく曖昧。


信号の青って緑じゃね?なんてのはよく言われる話で、そのルーツを探るなんて番組もよく見かけたりした。そもそも昔の日本に緑の概念が無かっただとか、昔の技術では青が出せなかったからだとか、色んな説を聞いたことがある。どれも正解でどれも不正解なんだろう、たぶん。

「白馬」と書いて「あおうま」と読んだりすることもある。これも理由を探せばあれやこれやと出てきてパニくる。

「青々とした若葉」なんて表現も「青」を色としか捉えてなかったら「はぁ?葉っぱが青いってなんだよ」ってなるはずなのに、そう思わないのはいつのまにか言葉として丸ごと飲み込んでるからだろう。


………


綺麗な日本語

まだママパパも言えない頃に、息子に聞かれた。女言葉っていつが起源?とか、そんなの即答できるかよ!ってことをいろいろ。

言葉を男女で分けるのは、もはや時代錯誤も甚だしいとは思いつつ、彼の悩んでることも分からなくもない。

男女問わず「私」は使われるし、語尾の「ね」や「なの」なんていうも話の流れや会話の場合だとイントネーションなんかで違和感を覚えなくなってる。結局はTPOで使い分けがされてるからだろう。何でもそんなものだ。


大声でいわないで!と思う言葉を面白がって使うのが子どもという種族だし(うんち期なんて名前までついてるらしい)そこはいつか通り過ぎる。


結局、彼らは出来るだけ赤ちゃん言葉を使わないように話しかけてる感じがする。それも標準語で。
こちらも、幼児用に言い直さなくていいのは楽だけど、つい言っちゃうんだよな、昔人間だから。ただ、「だめよ。」と柔らかく言うだけで済むのは助かる。一度「.めっ!」と大きめの声で言ったらその声に反応して驚いた顔でまじまじとこちらを眺めてた。

あぁ、これは脅かしてることになってたんだ

と、30年以上前のことを反省させられた。

威圧的な言葉や態度はだめだよね。何がダメなのか分からなくなるもんね。それじゃ、「おばちゃんに怒られるよ」と他人さんのせいにして言うことをきかせようとしてるのと何ら変わらない。何故ダメなのか が伝わらない。


幾つから理解する?何歳から叱る?
こんな話題もよく聞く。けど…

ある日突然ダメなものが出来るって変じゃないか?

危ないものは幾つの子にも危ない。きちんと取り扱えるようになるまでは。
物を投げたり壊したり、誰かを叩いたり、…年齢による注意の仕方に違いはあっても、ダメなものはダメ。

言葉が分かろうが分かるまいが、話せようが話せまいが、そこに違いはないはずなんだけど。

分かるように、分からせるように話してきかすことを諦めちゃだめだと。いつもと違う雰囲気、それだけでも子どもは察すると思うんだが。


ちょっと色々手伝ってやらないといけないだけで、子どもも同じ1人の人間。親のコピーロボットでも、ましてや持ち物でもない。

境界線をどこに引くか…


色にだって明確な境界線はないのかもしれない。

ヒトが線引きをしたがるってだけで






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