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にわか雨はどうしてすぐやむの?

幼稚園への登園時に子供から聞かれたので #子供の疑問 シリーズ。このシリーズも7本目となる。

今回の疑問は疑問として成立していない。どう接して何を答えればよかったのだろうという話。それから、頭の中ってこうなっているのかもと言う話。

すぐに止むからにわか雨なんだよ

質問した子供の意図について推測したのが以下となる。

1. 何かしらの性質を持つ雨を「にわか雨」だと呼んでいる
2. 何度か遭遇した「にわか雨」において「すぐに止む」性質が観測された
3. 「1.」と「2.」を繋げるメカニズムが分からないので教えろ

実際そこまで理路整然としてはいないだろうけれど、「1.」のところに誤解がある。「にわか雨」の定義そのものが「一時的に降る雨」だから、理由もクソもなく定義の中に「すぐ止む」ことが埋め込まれているという説明でQ.E.D.となる。

分かっていること分かっていないことを分けるのは難しい

確かに、幼稚園の年長さんにとっては難しい話ではある。でも、それを曖昧にしてしまうと、「なぜ?」に対して用意した答えが意味を成さなくなる。

なぜなら「なぜ?」に対する答えは、「説明されなくても分かっていること」を道具のように組み合わせて筋道だてて繋げることで、「まだ分かっていないこと」を説明しなければならないからである。これが崩れると、何をもって何の説明をしたのかが分からなくなってしまう。

子供の「なぜ?」に対する答えには普遍的な模範解答があるのではなく、子供がどこまでを理解して受け入れているのかによって開始位置を変えねばならない相対的なものだと気付く。ちゃんと疑問を突き止めようとするほど、質問を質問で返すことになる。会話が必要になる。

我が子は「にわか雨はどうしてすぐやむの?」という疑問を通して、いったい何が知りたかったんだろうか。もしかすると「にわか雨が発生する仕組みが知りたい」「にわか雨のすぐ止む性質に関係する雨雲の特徴や働きが知りたい」が上手く言えなかったんじゃないか。次があれば対話を通して疑問の輪郭を発掘することを試みたい。

ちゃんと意識したのは中学数学あたりから

自分を振り返ると「分かっていることを使って、まだ分かっていないことを説明する」を明確に意識したのは、中学数学で定理証明を学んだ頃だった。分かっていることとして「定義」「公理」「(証明済の)定理」を使って、まだ示されていない命題を証明し、それが「定理」に仲間入りする。

混同してしまう人はそれなりに多く、「平行線はどうして交わらないの?」という疑問を持つ人もいた。疑問としては、我が娘の「にわか雨はどうしてすぐやむの?」と変わらない。

結論を使って説明を試みてしまう人も多かった。ビリヤニの作り方を知りたくてレシピ検索したのに、「まずはじめにUberEatsでビリヤニを注文します!」と書いていたらレシピとして成立しない。それと似たようなことを、証明問題の解答欄でやってしまうのだ。

公理に「なぜ?」を投げかける人は、ユークリッド幾何学に一石を投じる厨二病っぽい。作者の気持ちになって考えると「そのように公理を定めるのが美しかったから」という答えは言えるかもしれない。そんなユークリッド幾何学を学ぶ意義が、分かっていることと分かっていないことを区別しながら、分かっていることを増やす訓練にあるとすれば、題材は何だって良かったのかもしれない。

最近読んで面白かったのは「1+1=2」の証明だった。何一つ難しいことは書いていないのに難しく感じるとしたら、何を前提として何を導いているのかが整理できていないからだと思う。

日常生活では関連が把握できれば事足りることも多い

上の節に書いたような「既知→未知」を導く順序を重んじるのは科学の話であって、普通に生きている上ではそこまで意識しなくても事足りる。

にわか雨の例だと:
・止んだ後になって「すぐに止んだので、にわか雨だったね」と振り返る場合は、既知のことを当てはめただけのパターンになる。
・止んだ後から振り返って、「にわか雨って急に天気が変わるよね」という関連を見出すのは「既知→未知」を観測するパターンになる。
・目の前の天候と過去のパターンを当てはめて「この空模様は、きっとにわか雨だから、すぐに止むよ」と予測する場合は、「未知の観測結果→この既知のやつと同じ」に遡るパターンになる。

列挙したものの、普通に生きていて違いを区別しないのだろう。「いきなり降り始める」「激しく降る」「すぐに止む」のような性質が、「にわか雨」という名前にタグ付けられていれば、生活の知恵としては定義と性質を区別しなくても事足りる。おそらく子供の頭の中もそんな感じだろう。

にわか雨を認識できるって尊くない?

いきなり情緒的なお話になるんだけど、日本語の天候に関する表現は多い。粒度もまちまちだけど「にわか雨」「夕立」「霧雨」「雷雨」「五月雨」「天泣」などなど挙げだすときりがない。それらを一単語で表現できるだけの解像度を持つのは、日本人の美的感覚だろう。

本で読んだわけでもなく、いち幼稚園児が「にわか雨」を他の雨と区別しながら認識して、「すぐ止む」という性質と対応付けていることが親馬鹿ながら尊いなと思った。

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