見出し画像

地酒の反対語は何か?

日本酒を飲む旅で「灘から来ました」と言うと、「わざわざ酒処の灘から」という反応をされることがある。そのような灘の酒を、灘の日本酒ファンは意外と飲まない。

自分や周囲の人だけなら「標本の偏り」かもしれない。客観的な事実として、灘にある立ち飲み屋さんでも、他の地酒と比べて売れ行きが鈍い。また、菊正宗が百黙を生み出した背景として言及されていることも裏付けとなる。

新ブランドの誕生の背景には、「地元で灘五郷のお酒があまり飲まれていない」という危機感があった

「菊正宗」の名をあえて冠さない130年ぶり新ブランド
インスタキャンペーンで百黙が当たったので灘民と一緒に飲んだ

今年は灘の酒を飲んで理解を深める旅に出ようと決心した。ランニング圏内の旅。そんな矢先に、産学連携の「灘の酒文化講座」があると知ったので聴講してきた。https://www.city.kobe.lg.jp/a05822/daigakurenkei/914745234136.html

灘の酒プロジェクト

第1回目は剣菱の社長が登壇され、人類の歴史から順を追ってお酒との関りを学ぶ内容であった。

会場であるKOBE Co CREATION CENTER

アルコールを分解してできるアセトアルデヒドは有害だが、なぜ人は酒を飲むのか?暖かい地域でおこる感染症を退ける働きがあり、酒飲みが生き残ったのではないか説が紹介される。そういえば南国の人々はお酒に強い。

時代は進んで、交易でお互いに武装を解除して嘘をつけない状況をつくるために酒が役立った話もあった。古くから酒は交流の手段だった。

話題は日本へと移る。秋が長いと甘い果実が腐敗するので、でんぷん質が少なくすっぱい果実が多い。そのような果物は酒造りには適さないので、手間をかけてでも米から酒を造った。

以下、小ネタとして話したいものを備忘録として書き留めつつ、読んでくださった方に「灘の酒を飲んでみたいな」という気持ちを抱かせることを目指す。

地酒の反対語は何か?

地酒ファンが灘の酒を飲まない理由も、大手企業が作る画一的な量産品への反抗心はあるだろう。クラフトビールや、サードウェーブコーヒーのように、画一的ではないものに価値を感じる文脈もある。どこでも飲めるものを有難がらない。

投げかけられた「地酒の反対語は何か?」という質問は最も刺さった。自称地酒ファンであっても、地酒でないものとの線引きが即答できないとすれば、地酒が何かを知らずにファンを名乗っていることになる。

反対語の答えは「下り酒」であった。江戸時代に江戸での需要に応えるために、上方から船で下るために作られた酒。

これが灘の酒の本質に迫る。郷土料理だけではなく、どんな料理にも合うことを想定しなければならないこと。輸送で劣化しない要求に応えて、火入れ熟成させて美味しくなるよう設計されていること。

利き酒師の4タイプで言うところの「醇酒」だろうか
流行の真逆を突き進んでいて逆にイノベーティブ

食事をしながら飲むのに適した
濃い味わいの伝統的な食中酒

料理と酒の相性は
「似た味や香りがあるか」
「足りないものをお互いに補えるか」
で決まる

酒の味を複雑にすればするほど
合う料理は増える
剣菱の目標は
「どんな料理とも相性70点以上」

剣菱のパンフレット

マリアージュは結婚と同じで上手くいかないこともある。でも、醇酒であれば、お米が欲しくなるおかずはだいたい合う。役割と味わいを対応させることで、灘の酒や剣菱への理解が深まった。

一方の地酒は、もともとは「わざわざ江戸まで下るほどの価値がない酒」であった。「下らない酒」として蔑むニュアンスにあるので、知っている人は「地酒」と呼ばないとか。

くだらないことにこそ価値があると気付く話

ただ、最近では下らない価値が重視される。冷蔵・運送技術の進歩と人々の意識付けにより、地元まで足を運ばないと飲めなかった搾りたてでフレッシュな日本酒が他の地域でも楽しめるようになった。

生酒のシュワ感を味わってもらうため
冷やしたまま揺らさず届けることを啓蒙した風の森@奈良

プレミアムが付いて東京ばかりに出荷するようになり「地元の人が飲めなくなった」と反感を買う地酒も現れたりする。下る地酒というのは、下駄を入れない下駄箱みたいなもので、時は言葉の意味を変える。

下り酒と地酒のルーツを対比させることで、両方への理解が深まった。日本酒ファンを名乗り、どちらも愛してゆこうと決心した。

神戸の産業は水車が回してきた

灘五郷のある神戸〜西宮間の土壌は、水捌けが良すぎ、海からの潮風も強い。農業に適さない不毛の地であった。山が近く河川に高低差があったので、水車を回して菜種油を絞るような産業が中心であった。

山から撮影のため左から今津郷→西宮郷→魚崎郷→御影郷→西郷

江戸時代にお酒の需要が高まると、伊丹だけでは供給が追い付かなくなり、白羽の矢が立った土地が灘であった。水車の動力は精米にも転用できる。しゃぁなしで菜種油をつくっていたので、まとまった土地を酒造りに充てることにも抵抗がない。

左に向かって精米歩合が高まる

産業革命以前から、機械化とスケールメリットを効かせて灘の酒が発展した。最初は密造酒であったけれど、供給不足は解消せねばならないし、税収が増えるならばと認められた。

灘五郷には水車、宮水、海運の三拍子が揃っていた。このうち、宮水は西宮えびす神社の南側で採取される。山や海が近いのでミネラルが豊富であると同時に、酸素を含んだ伏流水が鉄分を酸化鉄に変えて除去することで鉄分が少ない。酒造りに適した奇跡の水だそう。

西郷にある沢の鶴でさえ西宮から宮水を運ぶ
背後に見えるのは阪神高速神戸線

海と山が近い神戸には坂道が多く、材料などを運搬するのは骨が折れるので、牛に運ばせていた。神戸牛、バターやチーズなどの乳製品、それが転じてスイーツなど、牛×神戸で連想されるものは多い。

六甲牧場の牛

酒蔵の御曹司に良い教育を提供しようと生まれた名門の灘高校をはじめ、地元の名士が嗜んだハイカラな文化なんかも遡れば日本酒であり、水車が回してきたものかもしれない。

灘で灘の酒を飲みたい人にお勧めする灘五郷酒所
もともと剣菱の酒蔵だった

文化は産業と深くかかわることを学んだ。

坂本龍馬を助けるため勝海舟が受けたアルハラ

山内容堂という酒乱の藩主が土佐におられた。坂本龍馬の脱藩を認めてくれと、勝海舟が直談判した相手が山内容堂である。

家族旅行で訪れた高知城

酒乱の山内容堂は、お酒が飲めない勝海舟に対して「日本酒イッキできたら認めたるわ」と言う。勝海舟が男気だして飲み干したことで、坂本龍馬が脱藩できた。

このアルハラエピソードに登場するお酒が剣菱だったそう。500年を超える企業となると、史実にもちょくちょく登場するのが面白い。

千年以上生きた魔法使いが
仲間との想い出の風化を憂う話

坂本龍馬と言えば、船であれこれ策を考えた「船中八策」という日本酒がある。他にも酔鯨、久礼、司牡丹、桂月など思い浮かぶ土佐酒は多い。司牡丹は江戸時代からあった。

土佐酒の飲み比べセット

それなのに藩主である山内容堂が「剣菱にあらずんば即ち飲むべからず」と他地域の酒を持ち上げるものだから、地元からは総スカンだったとか。

時代は巡り、灘民が灘の酒を飲まないのも因果めいたもの感じる。

止まった時計

剣菱は社訓レベルで「止まった時計でいろ」を掲げて、味を変えないことを目指している。流行を追うといつまでも遅れるが、止まった時計でいれば1日に2度は合う。

止まった時計 by 飛鳥涼

落語にも新作と古典があるように、剣菱は日本酒界の古典だと話しておられた。変わらないことが永続のための戦略でありながら、同時に使命を果たしているようにも感じられた。

「亡き父は剣菱が好きでしたが、現行品は当時と同じ味でしょうか?」というような問い合わせに対して、自信を持って「同じです」と返すエピソードが紹介された。

山内容堂や勝海舟、赤穂浪士、徳川吉宗も同じ味を堪能したかもしれないと思うとロマンがある。変わらないことで、時代を超えて想いが共有できる価値が生まれる。

言葉、映像、声は技術によって後世に残しやすくはなった一方で、味や香りは入出力ともに技術が追い付いていない。講演の中では「舌で繋ぐ」のだと語られており、酒造りが媒介となって伝承されている。

日本酒の生産管理への応用も検討されているにおいセンサー
(講演の内容とは関係ない)

洛中の酒蔵が応仁の乱で途絶えたように、担い手が居なくなると伝統や文化は丸ごと途絶える。現代に戦はなくとも、市場経済で淘汰されることもある。これでは、産業を媒介とする文化ごと途絶えてしまう。

剣菱では、酒造りにまつわる周辺の産業を取り込むことで、次の世代へと残す役割を果たしている。木樽の職人を雇い入れて継承する。廃業する藁縄業者から機械を買い取って自社製造する。跡継ぎの居ない農家に、求められれば返す条件で契約を結んで畑を借り、酒米を作る。

暖気樽や甑など、大手でも意外と木の道具を使っている。熱容量の大きさや、結露が付かない機能性から、わざわざ手入れの手間をかけてまで木の道具を使う。

木工所を持ってまで酒造りのインフラを整え、他の酒造にも提供している。木樽の国内シェア15%、藁縄のシェア100%が剣菱だそう。

中身とパッケージは白鶴でも、木桶と藁縄は剣菱かも?
藁縄で邪気を寄せてどんと焼きまでが儀式のためビニールでは駄目

上場した株式会社であれば、株主から利益追求が求められ、流行りのフルーティー生酒の路線に向かうだろう。文化を守る大儀があっても、儲からないM&Aをする判断は難しい。同族経営の大企業だからこそ出来ることもある。

剣菱飲み放題の様相を呈した懇親会

こういうエピソードを聞くと、大手メーカーの量産品だと飲まず嫌いするのではなく、「下り酒」という1つの方向性として敬意を持って味わうべきものだと考えになった。

社長が直々に燗酒をお酌してくださる贅沢
黒松剣菱瑞祥と黒松剣菱は燗でいただきました

剣菱のラインナップの説明については、こちらの記事が分かりやすかった。また、精米歩合の記載がないくだりも解説してくださっている。

ここまで読んでくださってありがとうございます。読んで日本酒愛が深まったり、灘の酒に興味が湧いたりできていれば本望です。


この記事が参加している募集

ご当地グルメ

ふるさとを語ろう

「文章でメシを食う」の道を開くため、サポートいただけると励みになります。それを元手にメシを食ってメシレポします。