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2018/10/29の日記~絨毯、ガイドライン、縦走~

すっかり乾燥してしまった唇の薄皮をそろそろと剥がしながら、秋の夕暮れを見つめている。そこにはある種の矛盾が生じているような気がする。イチョウ並木が黄金に染まり、紅葉は煌々と燃えている。灰色のコンクリートは暖色の落ち葉の絨毯の下敷きになり、そしてダメ押しとばかりに並木道は色鮮やかにライトアップされる。だけど、そんな色使いの温かさとは裏腹に、街はどんどん肌寒くなっていく。もうじき雪も降ってくるだろう。気づけばもうすぐ11月。

数日前、風が轟々と吹いた日、そこには眠れない夜があった。その日は何か誰かとの大事な記念日だったはずなのに、思い出すことが出来ないで悶々としていたのだ。記念日候補を指折り数え、両手の指じゃもう足りなくなり始めた頃にやっと思い出した。

10年前の2008年10月26日、僕らがまだずいぶんと傷つきやすく、浅はかで、それでいて感受性がとても深かった中学3年生の秋、合唱部の全国大会で銀賞を貰った。今思い返してみると、それまでの15年もそれからの10年も何か人に誇れるような賞を貰ったことなんてほとんどない。あの時ほど誰かと喜怒哀楽をぶつけ合い、分かち合ったこともない。人生における一つのピークであり、その後の道程を照らすガイドラインであった。

それなのに、表層心理(なんて言葉があんのか知らんけど)ではすっかり忘れていた。とは、まぁ少し申し訳ないようにも思える。近頃は、火で炙れば浮かんでくる宝の地図もないと知ってはいるけれど、時にひとり旅してみたり、あるいはひとりで呑んでみたり。どこかに宝はないものか、と。自己完結に拍車がかかる。

あの頃「みんなで見る夢は現実となる」といったことを掲げて邁進していた。そして、はて?、と思う。では、一人で現実に投影したい夢はなんだろうな、と。なんでしょうね。

で、凛と空気の澄んだ朝にスッキリと目が覚めた時に思ったわけである。なるだけ、これまで以上に人と関わって、甘えて、頼られる道も歩もう、と。それは10年前のあの日からずっと示され続けてきたガイドラインなのだ。んで、そこから自分だけの夢も見つかりやしないかなと、改めて期待している。


とあるお笑い芸人が小説に書いたという。「バッドエンドはない、僕たちはまだ途中だ」と。なるほど、と思う。クレバスに落っこち、谷の底で酷く泣いた夜もありはしたな、と振り返る。だがそれも今は昔。縦走に励んで、次のピークを目指している今は、途中なのだ。

唇をぺろりと舐めると、生温かく、暖かい鮮血の赤を感じる。後でリップクリームを塗らなければと思う。

周りの大人たちが口々に世の中辛いことばかりだ、そうだろう?と、ダルマ落としみたいに他人の幸せの横棒すらも叩き落とす、そんな寂しすぎるほど哀れな毎日に、笑おう。

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