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悲劇の末

一度目の悲劇に
玉かぎる仄かなる望みを抱く
過ちを次の世の鍵にすれば良いのだから

二度目の悲劇に
沖つ波の頻くことを呆れる
鍵を何処かに棄ちたのだから

三度目の悲劇に
瞋恚を感じ始める
二度も鍵を棄ちたのだから

四度目の悲劇に
深愁の念を抱く
遂に迷宮に入ったのだから

五度目の悲劇に
苦が蔓延り始める
迷宮の出口をまがないのだから

十を数える頃は
漸う喜劇に転化する
迷宮にくくられたのだから

何如程か数えられぬ頃には
何如なる念も抱かなくなる
うばたまの闇の何処にいるのかさえ解らぬのだから

悲劇の末に在るのは
村肝のこころの死
其れ爾だ。


一言メモ

この作品も高校 3 年生の時に製作したものです。この作品は実体験を取り入れて制作したもので、悲劇的なことを繰り返すと段々悲劇が悲劇でなくなっていく様を詠んでいます。そういう意味では悲劇という言葉は誰しもが当然のように使っていますが、それが果たしてどんなものなのか、私は未だに悩み続けています。悲劇が悲劇でなくなる時がいつか来るのですから。皆さんは悲劇についてどう考えますか。

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