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徒然なる想い その十一〜万年筆の奥深さ〜

 万年筆と聞いたとき、一体どのようなイメージを頭に思い浮かべるだろう。普段から万年筆を使っている方であれば肯定的な意見が多いかもしれないが、そうでない方にとっては昭和の遺物といったイメージや手間のかかる面倒臭い道具といったイメージがあるのではないだろうか。

 後者に述べたような否定的イメージは、確かに事実の一端を捉えている。仄聞によれば、昭和の中期頃までは万年筆が一種のステータスのように扱われており、多くの人が万年筆を使っていたそうだ。しかし、今はキーボードを使った文字入力が主流の時代である。手書きが衰退しつつある時代において筆記具がステータスとなることはないため、必然的に万年筆の利用者は減ることになる。このような時代背景の変化に加えて、今の時代はもっと手軽なボールペンがある。万年筆と違って何のメンテナンスも必要ないし、何より値段も安い。安価な万年筆も存在するが、それよりも安いボールペンは幾らでも存在する。こうなれば、安くて手間のかからないボールペンの方が主流となるのは当たり前のことであり、万年筆を使うのは一部の変わり者という話になる。そのため、万年筆が昭和の遺物で、また使う理由が見当たらないという意見は尤もなことであると思う。

 しかし、万年筆は昭和の遺物で、万年筆ユーザーはただの変わり者という意見は万年筆の全てを表現したものなのだろうか。私の狭い範囲内での経験をお話しすれば、確かに万年筆を使っている人は変わり者の私を除いてほとんどいない。しかし、普段から万年筆を使っているからと言って、不思議がられることや奇異な目で見られることは特にない。また、ごく一部万年筆に興味を示してくれる人もいて、二人ほど万年筆ユーザーにしたこともある。ここで、少し考えて欲しい。万年筆が単なる昭和の遺物であれば、平成生まれの人間は誰も万年筆に興味を持たないのではないだろうか。本当に何の価値もない遺物や面倒臭いだけの道具だったら、誰も使わないのではなかろうか。物心ついた頃には当たり前のようにボールペンがあり、当たり前のようにボールペンを使ってきた。このようにボールペンの利便性を当たり前に享受してきた中で、ごく一部とは言え万年筆が新規ユーザーを獲得している。このことは、万年筆には利便性を多少犠牲にしてでも使う価値があることを意味していると解釈できる。つまり、冒頭に述べたような否定的意見は万年筆を取り巻く事実の一端を見ている一方で、見ていない側面もあると言える。見ていない側面とは、まさに万年筆にまつわる奥深さであると思う。

 さて、万年筆の奥深さとは一体何だろうか。勿論、奥深さを感じる部分は万年筆ユーザーの中でもそれぞれだと思われる。例えば、万年筆本体に興味があってもインクには余り興味がない人もいるし、逆にインクに強い関心を抱く人もいる。そんなわけで、万年筆本体と万年筆インクに分けてその奥深さを見ていきたい。

 先ず、万年筆インクについて見てみることにする。近年静かな万年筆ブームがあり、万年筆の売り上げが少し伸びた時期が10年ほど前にあった。このような万年筆ブームに一役買ったのが、まさに万年筆インクの豊富なバリエーションだったと考えている。

 インクの豊富さというだけならボールペンでも同じでは思われるかもしれないが、最近の万年筆インクのバリエーションはボールペンのそれを明らかに上回っている。セーラー万年筆ではインク工房という百色の染料インクを発売しており、パイロットでは色彩雫という二十四種類の染料インクを発売している。また、外国メーカーのペリカンではエーデルシュタインというこれまた結構な種類の染料インクを販売している。そして、ここからはボールペンにはできない芸当であるが、セーラーとプラチナ万年筆ではインクを混ぜて好きな色を作れるインクも販売している。つまり、ボールペンのように決められた色を使うのではなく、自分で使いたい色を調合して使えるわけである。勿論、これらのインクを使用するためには手軽なカートリッジというわけにはいかず、コンバーターというインクを吸い上げるための部品を別途用意するか、或いは吸入式の高価な万年筆を買わなければならない。しかし、インクを吸い上げるという一手間が加わるとは言え、これは中々凄いことではないだろうか。このインクの豊富さに魅了され、あらゆるインクを買い集める人もいるほど(これをインク沼と言ったりする)である。

 そうは言っても、万年筆インクは染料インクだから水に弱いんでしょうという意見もありそうだ。これは私自身も経験したことがあり、ちょっと濡れた手で触ると文字が読めなくなるということが何度もあった。普通の染料インクは実用性を重視するとどうしても使いづらく、学校や会社という場面で使うには正直向いていない。そんなわけで、私は上で挙げたような染料インクは使わないことにしている。どんなインクを使っているのかと言えば、顔料インクと没食子インク(古典インク)を専ら愛用している。顔料インクは日本の三大メーカーからも発売されており、一度乾いてしまえば耐水性や耐光性を獲得する。つまり、顔料インクは染料インクに比べてバリエーションは少ないが、実用的な場面でも十分に使えるわけである。そして、聞きなれないであろう古典インクは一部のメーカーからしか販売されていないが、顔料インクと同じ耐水性や耐光性があるインクである。しかし、古典インクの魅力は顔料インクのように耐水性や耐光性を持つというところにあるわけではなく、時間をかけて色が変化して行くところにある。興味がある方はプラチナのクラシックインクシリーズの動画を見て欲しいが、最初は染料インクのような明るい色(黄色や緑色など)のインクが徐々に暗い色に変化していき、最後は黒色として紙に定着する。そして、この黒色の文字は水や光によって消えることはない。これは古典インクに含まれる酸化鉄(II)の酸化現象に由来するもので、染料インク中の酸化鉄(II)が酸化することで酸化鉄(III)となり、紙にしっかりと定着するわけである。そのため、染料インクの色味は時間とともに抜けていく一方、酸化鉄(III)の黒色は最後まで紙の上に残る(注 1 )。時間とともに色が変化していくということは万年筆で時の流れを楽しめるということでもあり、私が万年筆を愛用する理由の一つに古典インクが使えるところにある。このように、嗜好性を重視すれば色数が豊富な染料インクを楽しむことができるし、実用性を重視しても顔料インクや万年筆ならではの古典インクを楽しむことができる。これはまさに万年筆ならではの楽しみと言えるだろう。

 次に、万年筆本体について見ていこう。この辺りは万年筆を実用道具と捉えるか、或いはコレクションの一つとして捉えるかで楽しみ方が変わってくる。真正の万年筆コレクターであれば、100本以上もの万年筆を持つのが当たり前らしく、万年筆沼に浸かっていることを楽しんでいるほどである。しかし、私の場合はどこまで行っても万年筆を実用的な筆記具と見ており、万年筆の収集を考えたことは一度もない(それでも普通の人から見れば多くの万年筆を持っていたように見えるかもしれないが)。そのため、本記事においても実用道具としての万年筆の奥深さに焦点を当てたい。

 万年筆を取り扱っている文房具店であれば、必ずショーケースに入った万年筆があると思う。このようなショーケースに入った万年筆の多くは値段が一万円を超え、ニブが金(14金、18金が主流)でできた万年筆である。万年筆を少しでも扱ったことのある人は、店員に頼んでショーケースに入った万年筆を試筆してみると良いだろう。きっとその書き心地に驚くことと思う。実際に、私が初めて金ニブ万年筆を試筆したときは、その書き心地に心奪われた。メーカーやニブの形状によって書き心地にかなりの違いがあるが、セーラーの一般的なニブであれば紙あたりの柔らかさに驚くと思うし、パイロットの一般的なニブであればニブのしなる柔らかに驚くと思う。ボールペンであればペン先がしなるなどということは絶対にあり得ない(あればそれはただの欠陥品)ことであり、また紙あたりの柔らかさも大分改善されてきたとは言え万年筆には及ばないのが実情である。そのため、書き心地は筆記具の中で一番優れており(文字の表現という点では筆であるが)、またメーカーごとの書き心地の違いから自分の好みの書き味(私はパイロットの3号ニブとS系ニブの書き心地が気に入っている)を見つけて行けるのが万年筆の魅力であると考えている。そして、書き心地に直結することとして、万年筆は書き手の癖に応じてニブの書き心地が良くなって行くという奥深さもある。これもボールペンにはない点で、何十年どころか数年ほど使用しているだけでも新品の書き心地とちょっと変わってくる。ボールペンであればそのボールペンに合わせて筆圧などを変化させなければならないが、万年筆であれば途中でペンを眠らせない限りペンの方が書き手に合わせてくれるようになる。これは万年筆ならではの特徴であり、一本の万年筆が一生付き合っていける相棒のような存在になる。

 ここまでは書き心地の話をしてきたが、万年筆は購入する前の楽しみもある。ニブの違いをから好みの書き味を探して行くということも購入前の楽しみであるが、万年筆ではニブの違いが全てではない。当然、軸という点でも様々な違いがある。例えば、全体的なデザインという点では、昔ながらの黒軸に金色の丸クリップがついた万年筆もあれば、ペリカンのスーべレーンのように軸に特徴的なストライプ模様がある万年筆もある。また、軸の太さや長さも千差万別で、軸が短いショートサイズ万年筆もあれば、軸が太く長いスーべレーンM1000のような万年筆もある。このように万年筆の軸は枚挙に遑がないほど千差万別であり、自分の好みに合った万年筆の軸を見つけるのも万年筆を選ぶ際の楽しみになる。例えば、私の場合は一番最初に高級万年筆に興味を持ったとき、書き心地の違いなどがあることは全く知らなかったものの、マーブル軸を持つパイロットのレガンスという万年筆(今は廃盤となった商品)に一目で心奪われてしまった。ショーケース越しの万年筆に一目惚れしてしまったようなもので、その年にレガンス89sというレガンスのショート軸万年筆を両親にねだった経験がある。余りあてにならない経験談であるが、万年筆軸は本当に多種多様な種類があるため、サイズやデザインという観点から好みの一本を見つけて行くことは非常に楽しい。

 以上のように、万年筆の奥深さは万年筆を選ぶときから始まる。軸のデザインやサイズといった中から好みの一本を見つけ、店頭で試し書きをして好みの一本を決める。そして、好みの一本を手に入れ、熟考して選んだインクを万年筆に吸い上げる。書ける準備が整ったら、メンテナンスもしつつ毎日万年筆を使い続け、自分の好みに合った書き味に仕上げて行く。これが万年筆との付き合い方であり、この付き合いは他の人に譲ったりしない限り一生続いて行く。つまり、万年筆を買おうと思ったその瞬間から万年筆との付き合いが始まり、そして選んだ万年筆を一生の相棒として使い続けて行くわけである。勿論、途中ではメンテナンスなども必要となるが、長い付き合いになるのだからそんな作業に面倒臭さは感じないし、寧ろその作業に愛着さえ抱くようになってくる。忙しい中で字を書き続け、時折万年筆のメンテナンスをする日常は、心にゆとりを与えてくれると個人的には思っている。

 長々と万年筆の魅力について綴ってきたが、このような理由から万年筆には現代でも使うに値する奥深さが存在しているというのが私の見解である。手書きよりもキーボードのほうが楽で早い、手書きならボールペンで十分。このような考え方があるのは当然であるが、キーボードよりも書くことを楽しめるのは万年筆であると思うし、またボールペンよりも愛着が湧くのが万年筆だと思う。万年筆は単なる作業に楽しみを与え、そして書き道具に愛着を吹き込んでくれる。勿論、今や万年筆は嗜好品であり、もっと利便性の高い道具を使うという人もいらっしゃるだろう。しかし、万年筆にこのような魅力を覚え、万年筆という筆記具に拘りを持つ人もいるということは是非頭の片隅に留めておいてほしい。そして、もし万年筆に興味を抱いたという方がいらっしゃたら、一度万年筆に触れて頂ければ幸いである。


注釈

1:万年筆でもボールペンでも、必ずブルーブラックという色がある。現在の感覚で言えば黒みの入った青がブルーブラックであるが、これは本来ブルーからブラックへと変色するインク、つまり古典インクに対して使用されていた言葉である。現在では古典インクでもカラーバリエーションが増えているが、伝統的な古典インクは必ず青色の染料インクを用いていた。このような古典インクをブルーブラックと呼んでいたわけであり、万年筆の歴史の中ではブルーブラックが標準の色とされていた。万年筆のインクで黒、青に加えて必ずブルーブラックが存在するのはこのような歴史的背景に起因し、万年筆ユーザーの中には必ずブルーブラックを使用するという人もいるほどである(実は私もその中の一人である)。また、万年筆のニブ(ペン先の金属部分)が金で作られているのも、歴史的には古典インクによるニブの腐食(金属の酸化)を避けるためであるとされている。勿論、現在では鉄ニブでもニブが酸化することは余りない(実験済み)が、使用する場合は自己責任で使用しなければならない。

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