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「夫・中村倫也」という字面がリアコ勢ではないオタクに与えたダメージを言語化してみる

まさか久々のnoteの更新がこんなテーマになるなんて、誰が予想できただろうか…。(松村北斗の日本アカデミー賞に関する記事を下書きしていた矢先)
一晩経って、ボディーブローのようにダメージが広がるこの出来事について、言語化せねば、このまま私はノックアウトされそうなので、急ぎ殴り書きのように残します。先に伝えておきますと、言語化しても全然立ち直れていません。自然治癒しかないのかもしれない、もう時間が過ぎるのをただ茫然と待とう、と思っています。きっと仲間がいると信じて。


3月25日(土) 13:32。
自分のiPhoneが鳴り続けることに違和感を覚え、二度寝から起床。Twitterの通知かと思いきや、見るとLINEが大量に来ている。「応答して」「生きてる?」「何これ!?」というトークの羅列の中に、上司からの「大丈夫..?」という文字があり、あれ?私なんか仕事やらかした?と思い、心臓をバクバクさせながら、トークを開くと、「中村倫也と水卜麻美アナが結婚」というLINEニュースが。
こういう時、人間はテンパると思いきや、G-DRAGONと水原希子の熱愛報道の時もそうだったのだが、変に冷静で、文字情報は意外とすんなり脳に入ってくるものなのだ。
ほーう。倫也さんがミトちゃんと結婚したのか。別に偏見があるわけではないが、女優さんやモデルさんではなく、ミトちゃんを選ぶあたりはわかるな、倫也さんらしいな、と思ったのが、ファーストインプレッションだった。
だが、ある一つの情報を目の当たりにした時、突然取り乱し始めた自分がいた。

関係者によると、中村が共通の知人を通じて「紹介してほしい」とアプローチしたという。
(スポーツ報知)

おいおい、待て待て、この情報は…ちょっと…聞きたくないぞ…と思った。
というのも、倫也さんがそういうタイプの男性であることはもちろん知っている。なんせ私は倫也さんのそういうところに惚れたのがファンになったきっかけだったのだ。高校時代に1人の女性に6回告白したというエピソードをテレビで話しているのを聞いて、倫也さんに興味を持ち始めた。
「好きって思ってるうちは好きなんで」と颯爽と言い放つ。振られたとしても、アプローチをやめない、誰にどう思われても想いがあるうちは諦めないという話を聞き、自分と近い価値観の人かもしれないと直感的に感じ、それが推すきっかけとなったのだ。

だからこの事実には何も違和感もないし、むしろ倫也さんらしいな、と思うはずなのに、嫌悪感の方が強かった。

なんでだ?と思った。
ちなみに私の28年間の人生において、推しの結婚発表という経験は初めてだ。G-DRAGONに命を注いでいた時期に水原希子や小松菜奈との熱愛報道が出たことはあったが、リアルタイムに推している推しが結婚したのは初めてである。未知との遭遇、初めての経験、抱いたことのない感情。「困惑」の2文字でしかなかった。あれ~、、、、G-DRAGONの熱愛報道の時は大丈夫だったんだけどな~、、、、と思った。

こうなれば、一つ一つ考えるしかない。
私は中村倫也に対して、リアコと呼ばれる感情を抱いたことはない。人として尊敬する気持ちが強く、倫也さんがなぜそう考えるようになったのか、考えられるようになったのかという倫也さんの哲学・思想に興味があり、惹かれている。倫也さんのように生きていきたいと思っているファンである。

そんな私が真っ先に思ったことは、お相手の水卜アナから倫也さんのお話を聞くことが今後発生する、そしてそれに耐えられないということだった。なんなら、3月25日(土)25:00~の『オードリーのオールナイトニッポン』で若林さんが話すかもしれない水卜アナサイドの話を聞くことすら耐えられないと思った。(若様……話さずにいてくれてありがとう……)
何故だろう。倫也さんには幸せになってほしいし、いつか結婚するとも思っていた。そしてお相手が水卜アナであることに安心している自分もいるのに、何故だろう?と考え始めた。何がショックで自分は凹んでいる?と。


考えて考えて、一言でいうなれば、“結婚”という事実の重さがしんどいということに気付いた。相手がどうのとかではなく、あの“中村倫也”が“中村友也”として結婚したという事実に重みがあるのだ。

私自身、“中村倫也”の人間味が好きだった。あの永遠に少年である感じ、と言えばいいのだろうか。少年心を忘れていないが故に、変に大人になっていないが故に、世の中で起こることをどう受け止めるか、試行錯誤しながら、時には諦めたり、それでも期待したり、自分の中で折り合いをつけながら物事に取り組み、生きている姿が好きだった。
でも倫也さんを応援しながら、私自身も年齢を重ね、自分を取り巻く環境の変化を考えると、きっといつまでもそうしてはいられないだろうな、という気がしていた。心のゆとりが欲しくなったり、自分以外の誰かのことを大事に想う時間が欲しくなったりする気持ちもあるだろうなと思う。そう思えるようになればなるほど、水卜アナを人柄で選んだであろう、倫也さんも年相応の一人の大人の人間であるということを思い知らされた感じがした。そして冒頭の共通の知人を通じて「紹介してほしい」とアプローチした事実が、よりそれをリアルに感じさせるのだ。

そんなことを思いながらも、倫也さんと水卜アナが2人でいるところをなんとなく考えてみると、楽しいだろうな、ということもわかる。倫也さんが作ったごはんを水卜アナがモリモリと食べているのを、倫也さんは目を糸にして、見守っているのだろうなと、容易に想像できる。そしてその想像をしながら気付いた。
私は倫也さんのそういう姿を知りたくないということに。確かにこれまでも倫也さんの交友関係や俳優仲間の方々から倫也さんの姿を聞くこともあったが、正直そこまで興味がなかった。私は倫也さんが自分で自分自身を語る姿が好きだし、倫也さんが見せたいと思う姿を見ることが好きなのである。
でも結婚となると話は変わってくる。家庭での姿や奥様とのエピソードといったこれまでに知り得なかった倫也さんの姿を見聞きするのかと思うと、それがいちばんしんどいと思うのである。
実際、追加情報としてもたらされた「発表を経て、2人でお出かけできることが、とても楽しみだ」「夫の好きなところはおいしいごはんをつくってくれること」「結婚発表にナーバスになっている時にふわっふわのだし巻き玉子を作ってくれた」という情報にも耳をふさぎたくなったのが、正直なところである。表舞台で作られた世界で生きる“中村倫也”だけが、私が知りたい倫也さんだったのだと気付いた。

そして一晩経って思うのは、これまで自分の人生に寄り添ってくれていた倫也さんが知らない人になってしまうという畏怖を抱いているということだ。
もちろんこれまでだって、友達でもないし、知らない人ではある。ただこれまでの倫也さんが歩んできた道のりにおいて、表舞台で話してきた言葉は一つ残らず拾ってきたつもりだ。その中でも、もちろん倫也さんは変化している。生きていれば、人は様々な出来事を経験し、刺激や影響を受けるので、変化することは当たり前である。その出来事は仕事かもしれないし、作品との出会いかもしれないし、人との出会いかもしれない。
ただ、“結婚”という人生のイベントの影響が果てしなく大きいものであることは、自分の人生経験の中でも知っていることである。自己中心的な考え方だった上司が結婚によって、とてつもない協調性を身に着けるようになったり、寡黙だった友人が子どもが産まれた後は満面の笑みを浮かべながら子どもの話をするようになったり。心許せるパートナーと出会い、誰かと共に生活をし、生きていくことが及ぼす影響の大きさを、経験がなくとも知っている。もちろん私たちには知らされていないだけで、倫也さんのこれまでの人生においてもそういったことはあっただろう。(モテるだろうしな)ただそれはこれまで意図的に明かされてこなかった。でも“結婚”という名目がついた関係が生まれることにより、今後はそういった話も出てくるはずだ。倫也さんの性格だから、変に隠すことはしない気もする。
となると、“結婚”したという事実、既婚者という属性に入ったことによって、いちばん近くで倫也さんの人格や価値観に変化をもたらす人物の存在が明白になったのだ。きちぃ。「夫・中村倫也」という字面はその事実を突きつけてくる。

倫也さんの人生の歩み方に哲学に、物事の向き合い方に支えられて生きてきたファンだからこそ、それが自分の想像をはるかに超える、想定し得ないレベルまで変化してしまうかもしれない“結婚”という現象が怖いのだと思う。自分勝手ではあるが、変わらないでほしいと思う気持ちがどこかにある。自分が結婚していないこともあり、未知の領域へ行ってしまう推しを好きでいられなくなってしまうかもしれないという恐怖と不安がつきまとう。皮肉にも今回の結婚発表でそれだけ倫也さんの存在が精神的支柱であったことを今、こうして実感している。

今後も倫也さんはインタビュー等を通して、ご自身の考えを述べてくださるに違いない。でも結婚発表の文章の中にもある通り、今後は「作品を通して」倫也さんから与えられる彩りを享受するしかないのだ。一人の人間としてではなく、役者として、作品の中で生きる中村倫也と向き合っていかなければならない現実がそこにはあるような気がした。中村倫也の余白が失くなる感覚とでもいえばいいだろうか。朝奥さんを起こし、2人分のゴミ出しをして、2人分の朝ごはんを作り、一緒に食べ、テレビを見ながら笑い合うといった生活の営みをリアルに感じる存在になったのだ。そうなったらもうテレビの向こうの崇高な存在として考えられなくなる感じがある。その事実をこの言葉で感じざるを得なかった。リアコ勢ではない私ですら、そこに、その一文に、引かれた一線にダメージを食らった。実際はわからないが、自然体で、ありのままで、裏表のない姿に惹かれていた倫也さんに、裏の顔とでもいうのか、私たちの知り得ない顔ができてしまった事実が寂しく、受け止めきれない部分があるのだと思う。


そこまで気付いて、事実も自分の気持ちも認めて、改めて考えると、気付いたことがある。
私はかねてより、倫也さんにはフワちゃんと結婚してほしいと思っていた。これは決して私が倫也さんとフワちゃんの2人を推しているから、という理由ではなく、ちゃんと理由があっての考えである。
皆さんが抱く“俳優 中村倫也”のイメージがどんなものなのかはわからないが、私の中では飄々とした表情や振る舞いをしながらも、実は繊細で傷付きやすい人なのではないかと思っている。だからこそ人の意見に左右されずに生きていく術や自信の有無に対してどう向き合うかといった倫也さんの言葉・考え方にこれまで幾度となく救われてきた。自分に響くものが多かったが故に、きっと過去や現在の倫也さんのどこかにそういった弱い面もあるのではないかと思う。きっとそういう自分が顔を出さないように、自分の哲学を持ち、自分をコントロールしているのではないかと感じているし、そういう姿に共感してきた。でも人間だから。いつもそうできるわけではない。生きていれば辛いことも逃げたくなることもあるはず。そんなことを倫也さんが自分のいちばん近くにいるパートナーに吐露した時、「きっと大丈夫だよ!とりあえず今考えてもしょうがないから!おいしいものでも食べて、あとで考えようよ!」と言ってくれる、吹き飛ばしてくれる人がパートナーになってくれたら、倫也さんは肩の力が抜けるというか、少し気楽になれるんじゃないかと、ずっと思っていた。倫也さんのことを理解して、受け止め、時には一緒に悩みつつも、最後にはネガティブな要素を吹き飛ばして、ポジティブを吹き込んでくれる人が合うのではないかと思っていた。(知らんけど)
そういうことができそうな人代表としてフワちゃんを挙げていたけど、フワちゃん以外にもいたじゃん!と思った。きっと水卜アナもできる人。テレビでの姿しか知らないけど、水卜アナも物事の細部までいろいろと考えを巡らせながらも、引きずるのではなく、自分なりの答えをちゃんと導き出し、前を向いて歩く人のような気がする。前に進むことを諦めない人。悩みながら、時にはくよくよしたとしても、最後は腹を括って、自分で自分の機嫌を取れる人のような気がするから。だから倫也さんは自らアプローチして、好きになって、一緒に人生を歩むことを決めたのだろう。


ここまでいろいろと言ってきたが、私としては倫也さんが、そして友也さんが選んだ人生の選択に納得感がある。でもきっと家族にだけ見せる顔やお二人のエピソードに慣れるまでには時間がかかるような気がしている。(本音)
一方でここから家庭を持ち、もしかしたらパパになったりするのかもしれない。そんなライフステージの変化が“役者 中村倫也”にどんな変化をもたらすのか、そこについてはとても楽しみである。年齢的にも40歳が見えてきている今、パパ役もたくさん見たいし、“結婚”が役者としての幅を広げることは間違いない。

“結婚”は中村倫也という人間を構成する要素の一つ
この結婚によってもたらされる経験が感性となり、お芝居にも表れる。倫也さんのお芝居が好きな私にとっては、これからもたくさん、できる限り長い時間、倫也さんらしいお芝居を見たい。この結婚が倫也さんの武器になってくれたら…とも思う。



ご報告がございます。
3月25日(土)15:30頃、一人焼き肉デビューを果たしました。
毎日飲んでいる薬を飲み忘れていることにも気付かず、レモンサワーを飲み干していました。
「カフェ・ド・ルマンド with中村倫也」を聴きながら食べるお肉は変わらず、おいしかったです。
自分を追い込むスタイルが得意なので、春風を感じながら、3月27日(月)のZIP!、3月28日(火)の午前0時の森は録画し、しかと見届けたいと思います。


倫也さん、幸せになってね。
これからも素敵なお芝居を楽しみにしています。
(慣れるぞ………夫・中村倫也に………)




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