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黄昏の名将、オシム


「オシム監督はPKを見れないということで、ロッカールームに下がっています」
 とある日本代表戦。延長でも決着がつかずPK戦になったときのこの実況・解説の言葉で私はオシム監督を好きな人間の側においた。
 それまでは、規律を重んじるサッカー戦術やら、小難しそうな練習、怖そうな見た目。ヨーロッパの元軍人のような印象を抱いていた。
 だが、お世辞にも強いと言えなかった当時のジェフをナビスコカップ優勝に導いたり、会見のウィットにとんだ返しには日本人監督にはない魅力があり、好感を持っていた。
 それに加えてPKが恐くて見れないという可愛らしさが加わったのだ。ずばりギャップというものだろうか。
「ギャップ萌え」やら「ギャップに弱いのよ、ワタシ」なる言葉をよく耳にするようになって久しいが、オシム監督のそのときのギャップはまさしくギャップの最適例というものではないだろうか。
 そのPKの結果はどちらか覚えていない。恐らく買った気がするが、それを覚えているのもホッとした表情でピッチに出てくるオシムを見たからである。
 本人が意図せずとも主役だった。
 ジェフで教え子である阿部も巻も佐藤も、代表での教え子である中村憲剛も遠藤も鈴木啓太も皆コメントを出している。安倍に至っては、プライベートでオシムに会いに彼の母国に行ったそうである。関東から関西や九州に行くと行ったレベルではない。
 関東から、東ヨーロッパに行ったのである。そこに社交辞令やら嘘はない。それができる距離ではない。
「ウサギがライオンに追いかけられてるときに肉離れをおこしますか?」
 という彼の言葉がある。それによれば、
「教え子が恩師に会いに、海を渡りますか?」
 というものだろうか。再度言うが、阿部は海を渡り、選手はオシムを語った。
 過去にこんな代表監督がいただろうか。ネタでもなく揶揄でもなく正面からオシムは選手や記者のリスペクトを得た。
 だからだろうか、彼が病に倒れて代表監督を退任してからの約15年弱、どこの監督もできなかったということにとてつもない哀愁を感じる。
 サッカーを愛し、選手を愛し、自分を愛した知将がそれを体現する場がない。
 話は戻るが、代表監督当初、私は彼が山岸というジェフの選手を起用することに疑問を感じていた。
 とりわけパスやドリブルが上手いわけでなく、得点やアシストという結果を出すわけでなく、そんな彼をどうして攻撃手なポジションで使って、その枠を1つ潰してしまうんだと疑問に思っていた。
 選手個々の能力でしか、私は見れていなかったのだ。今もそう変わらないが(似たような選手が増えている現在の状況を憂いている)、このときは更にその思いが募っていた。
 だが、今のオシムへの感情を鑑みると、彼はトータルコーディネートをしていたのだろうと思う。
 一つ一つの戦術に選手を当てはめていき、その結果できあがった11人で描くサッカーは芸術性があり前衛的で且つ勝利に近い。
 それは私の当時の山岸選手の評価とは違い個性に繋がっている。
 オシムを恩師と仰ぐ現コンサドーレ札幌監督、ミハイロビッチも同様に個性的なチームを築いている。
「考えて走るサッカー」というものは世界的にも現在スタンダードになっていると聞くことがある。
 オシムの起こした風は現在も吹いている。なびかせている。
 それだけに最後の15年弱、風をさらに送り込めなかったのは哀しい。
 サッカーと戦争は別物だ。過去、彼の母国に起こったことと、現在ヨーロッパ、世界で起こっていことを関連付けることは避けたい。
 今はまだ彼の起こした風を正面から浴びて目をつぶりたい。

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