見出し画像

身体性の極論の『踊る』を選んでいる理由。

まずはメンバーシップの皆様へお詫び。

なんと2か月も投稿できていませんでした、このメンバーシップに、
温かく居残って下さっている皆様。
本当にありがとう、そしてすみませんでした。

一月はきっとこの記事で終了ですが、2月から毎週記事を書く事に、今はとても前向きにいます。
いやいやもう退会だ!と思われても無理はない。
なので無理なくみ守って下されば幸いです。

顔を見る事、思い出す事の必要性と、ムズカシサ。

冒頭でありがとうと、ごめんなさいをお伝えしましたが、僕はこれが本当に苦手なんです。
大人のくせに。ですが苦手だと言う事をやっと自覚しています。

ごめんなさいと謝るのは、許してもらうためだろうか?
それとも、僕はこれをも申し訳ないと感じる価値観の人間です。
と伝える手段なのか?
相手の立場になれば、せめて言葉に出して謝ってくれ。と言う事もあるのは想像が出来るが。
実はコミュニケーションが恥ずかしいのです。僕には色々な人としっかり顔を見て接する事に、とても難しさを感じる事がある。人見知り、というか人間みしりというか。
いやいや、人見知りが人の前で踊ったり、歌ったりしないでしょうよ。
と思われるかもしれませんが。それは平気なんです。
終わるとすぐに恥ずかしくなる、そして本当を言えなくなる。
でも人は好きですよ(笑)
人を好きだからこその作品が多いとは思っているんですが。

遠くから眺めてしまっているんですね、人間を。

僕自身も身体性をもった表現を行っていますから、熱があり、血が通っている事をいつも感じながら、生きているんですが、自分の事もどこか外から眺める事が多いのかもしれない。
これは今現在、ありがたい事に健康で生きられてるおかげで、自分が生きてるなー!を感じる事が著しく欠落した日々を送っているのでしょう。

お酒は強い方で、飲む機会も多いのですが、あれはアルコールが自分の臓器にそれぞれ影響を与えてくれるおかげで、自分の身体が生きている事にその瞬間フォーカスする事が出来て、ぼくも、あなたも生きてますね!
って事で、コミュニケーションが楽になる。
やばい・・・
でもアルコール依存ではありませんよ。
人と会わない時は、飲まない事がほとんどです。

自分で自分の身体、生命を実感するには、少しの身体への負荷が僕の中で必要なものなんでしょう。

だから踊るのか?と考えてみています。

実感のある身体を持つ。

先述べた『負荷』ですが、必ずしも不愉快なものや、不調を来すものではなくとも。気持ちの良いストレッチだって、喉の筋肉がある程度疲労するような発話だって、程よい力仕事だっていい。

そんな中で僕が現在も、なんだか取りつかれている『踊る』は、
なにも道具を使わずに、程よい負荷、もしくは度を越えた負荷をお手軽に感じる事が出来る、身体的な自分認識の最たるものなのではないだろうか。

人間が踊る事で自身確認する姿を観て、観客もまた人間を確認しているといえるでしょう。

すくなくとも僕よりは既存の社会でコミュニケーションを得意としている人々は五万といますが、それでも、踊る身体、叫ぶ身体を観て、
わぁ。生きてるな私達。と感じる人、それを必要とする人は必ずいるわけですから、僕自身も、今の僕を続ける事で、出会う事、思う事、嬉しい事はまだまだ出てくるでしょう。

実感を持てる時間を大切に、そして多くの時間で実感を持つ事が、これから飽きずに『自己確認』を続けて行くために不可欠だと思うので、
どんな規模であろうと、自分が思う作品を、自分で踊る場所を創り続ける努力をしようと、今、改めて引き締めているという所です。

ここから先は

1,169字

この記事は現在販売されていません

よろしければ願い致します。頂いたサポートは楽しい【ODORU】企画のの運営費として大切に使わせて頂きます!