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「お願いジーザス」を語りたい

私立恵比寿中学の3rdアルバム『穴空』に収録されている楽曲、「お願いジーザス」。
(作詞・作曲はフジファブリックの加藤慎一さん、編曲もフジファブリック)

エビ中の楽曲の中でも1番くらいに好きな楽曲です。


素人目線で歌詞や曲について思ったことを書き連ね、「ここもしかしてすごいんじゃない...?」と思ったところ(ほぼ全部)や、単純に好きなポイント(ほぼ全部)を語るだけの記事です。
一応はレビューブログということになるんでしょうか。
「楽曲分析」なんて呼べるようなものでは全くありません。自己満ここに極まれり。
これが正解だとか加藤さんはこう考えてるとかメンバーはこう解釈しているということを言いたいわけではないので、その点はご理解くださいませ。


1.裏切り(イントロ)

イントロの1音目から、かなり歪ませたギターの音が印象的です。
いかにもアイドルソングっぽいかわいらしい曲名を目にして、こんな激しい音で始まると、誰が予想するでしょうか。
この歪んだ音を耳にして、あんなに繊細な歌が続くと、誰が予想するでしょうか。

初めて聴いた時はかなり驚いた記憶があります。

コード進行を見てみると、まずD♭→A♭mと進みます。2つ目で私の大好物・ドミナントマイナー。既に少し陰鬱とした感じと気怠さが感じられます。
その後も G♭m→E♭m とマイナーコードが続き、仄暗い雰囲気。しかし後ろで鳴ってるチャカチャカ音のおかげか(タンバリン?)、重いサウンドの中に心地良い軽さもあり、ダウナーすぎない印象になっています。

イントロ2回し目は D♭→A♭m までは同じ。
その後、E♭m→G♭ と進行し、Aメロ冒頭のD♭に解決していきます。
サブドミナント→トニックなので、ドミナント→トニックほどには解決し切った感がなく、若干の消化不良感。1番の歌詞に見られる胸のつかえようなものを先取りしているのでしょうか。

ちなみにイントロは色のイメージで言うと「強い青色」です(1番・2番のAメロ・Bメロも同様)。


2.アンビバレント(1番Aメロ・Bメロ)

破裂しそうな位 言いたいことは山ほどある
思考の回路が絡み 余計な言葉がついて出る
やっちゃったな またやっちゃった 嫌いなわけないのに
ごめんの一言が ただ伝えたいだけなのにな

※なんとなく1〜2行目がAメロ、3〜4行目がBメロかなと思い、そういう風に区切っています。

2−1.歌詞

1番のAメロ・Bメロでは、自分の気持ちを素直に言葉にして伝えることができないもどかしさと、言うつもりではなかった余計な一言をつい言ってしまった後悔とで、自責の念に苛まれる様子が描かれています。
特にAメロは、実際に余計な一言を言ってしまったときの描写ですが、現在形の文にすることで臨場感が出ています。
同時に、その背後には、その様子を事後的に(いわばリプレイを見るかのように)客観視している自分の視点があることも、この現在形から透かし見ることができると思います。

この部分の歌詞で個人的に1番好きなのは「思考の回路が絡み」という表現。
普通は「思考回路」という1単語で、考え方のパターン・クセのようなものを意味しますよね。
そこを「思考回路」と変えることで、自分の気持ちや考えを整理する機能のようなものを指しています。
この変形によって、その機能が上手く働いていない様子、そのために心がいっぱいいっぱいになって「破裂しそう」な様子を語ることができます。

こういう既存の言葉を少し変えることで、誰もがしっくりくる表現にできる言語感覚は、本当に凄いですよね。

デジタル音痴のド文系が考える回路のイメージ


2-2.曲

歌詞の譜割り

「破裂そうな位 言いたいことはほどある」の太字部分はシンコペーションになっています(正確な説明はできませんが、例えば「タターンタ」みたいな感じで、裏拍に入る音がその後の表拍まで続くようなリズム)。これにより部分的に前のめりな感じが生まれます。
言いたいことを言わないようにしているという状況の、閉塞的・静的な要素(内に閉じこもる感じ)の中に、「破裂しそう」と「言いたいことは山ほどある」という歌詞の、今にも溢れ出しそうな、動的な要素(外側へ出ていく感じ)が含まれているという対比が、絶妙に表現されていると感じました。

さらに、「破裂」と「言いたいことは」という、シンコペーションの直前部分は16分音符が連続する形。この畳み掛けるような譜割りにも、動的な要素が静的な要素を打ち破ろうとしていることが反映されているように思います。

その次の「考の路が計な葉がいて出る」は、ほとんどの分節の始まり(太字部分)が表拍にあり、日本語的には拍に忠実な感じがします。
他方で、リズム的には「タターンタ/ターンタタ/タタターン」となっていて、1拍ずつの譜割りが全て異なる、リズミカルなメロディー。
ここは、歌詞の区切りで静的要素を表し、リズミカルな譜割りで動的な要素を表すという対比構造になっています。
「思考の回路が絡み」という歌詞は前述の通り、自分の気持ちや考えを整理する機能が上手く働かない、という行き詰まった状態を指しています。
細かく言うと「本来は秩序をもって配置され(静)、その中で機能すべき回路が(動)、無秩序に動き絡み合い(動)、機能していない(静)」という対比構造。
歌詞の区切りとメロディーとの対比構造と符合しているなと。
考えすぎ?

演奏

イントロから一転して、激しい音がなくなります。ギターの余韻が少し残っていますが、これも良い。

1〜2行目の歌詞(「破裂〜ついて出る」)の部分では、鍵盤(オルガン?)がおそらくD♭→D♭aug→G♭M7→G♭m6(またはBダブルフラット)というコードを弾いていて、不穏な雰囲気。
ラ♭→ラ→シ♭→シのダブルフラット という私の大好物・半音のクリシェが、輪郭のぼやけた鍵盤の音と相まって、不安定さ・浮遊感を演出します。
ドラムもたぶんハイハットとかシンバルとか軽めの音を少し鳴らすだけで、重い音を使わないアレンジになっていて、安定感に欠ける。
これらは、歌詞における感情の揺れ動き、そしてその揺れ動きのアンコントローラブルな感じとリンクしているように感じます。

中でも特に凄いと感じたのは、歌詞2行目の「ついて出る」の辺り。
楽器隊の方がシンコペーションして、歌よりわずかに早く音を鳴らしています(32分音符1つ分くらい?)。
このわずかな歌と楽器とのリズムのズレが、自分の気持ちと表に出た言葉とのズレ、余計な言葉が思わず出てしまった状況と重なります。
ここはいつも鳥肌が立ちますね...。

さらに3行目の歌詞(「やっちゃった〜ないのに」)の部分では、コード進行がD♭→D♭aug→B♭m7→G♭と変化。
後半がダイアトニックコードになることで相対的にやや安定した雰囲気に。
ここは、後述する諦念・呆れの感情と繋がっていると思います。

そして4行目の歌詞(「ごめんの〜だけなのにな」)の部分は、前半2つのコードはそれまでと同じで後半2つのコードがG♭→G♭mという進行に変化(私の大好物・サブドミナントマイナー)。
シ♭→シのダブルフラットと移行し、「伝えたいだけなのに」の最後と同じになるのですが、メロディーとコードの構成音が両方同じ音に落ちることで、「ごめんの一言を伝えたい」という想いと、それができない自分の現実との落差がより強調される感じがします。


他方、ギターのアルペジオは、おそらく歌詞の3行目部分までずっと同じ3音くらいを鳴らしていて、とても規則的
この辺りは、余計な一言を言ってしまう様子を事後的に客観視する冷静な自分の視点とリンクするでしょうか。

2-3.ボーカル


松野莉奈さんの透明感のある歌声から、詩の1行目が始まります。彼女は、心を込めて詩をしっかり届けようと、一言一言丁寧に歌う方でした。

歌い出しの「破裂しそうな位」。「破裂」の部分が、とても優しい歌い方
「破裂」という言葉からすれば、本来は強めに歌う方が自然な気がします。
しかしここで「破裂しそう」なのは自分の心・気持ち。むしろ破裂しないように優しく扱う必要があります
彼女は、歌詞のそういう繊細な部分を感じ取ったのかもしれません。

続く「しそうな位」の部分は、歌のリズムに若干のブレがあるように感じ、「山ほどある」の部分も、音がやや上がりきれていないようにも感じます(間違っていたらすみません)。
しかし、このファジーさがかえって、この歌詞における心の揺れと感情の不安定さにマッチし、人の心のアンビバレントな部分を剔出していると思います。

2行目は安本彩花さん。全体的に強めの子音で、正確にリズムを刻んで歌います。
個人的には、安本さんの凄さはピッチの良さよりリズム感の良さにあると思っています。

「思考の回路が絡み」の部分は、「思考」のところの軽やかな音の運びと、「回路」のところの揺れながら音を降り感じが絶妙です。
「思考」を軽めに歌うことで、地に足のついていない感じが表現されていて、また、「回路」という言葉の精密そうなイメージに反して、揺れるような音の運び方をすることで、自分の気持ちや考えを整理する機能が上手く働いてないところが描き出されています。

「余計な言葉がついて出る」の部分の力の入れ具合も、その前の部分とのギャップがちょうどよく、もどかしさ・後悔の感情表現が見事。
この数年前まで「エビ中のボーカロイド」と呼ばれていたとは思えない表現力。

3行目は星名美怜さん。彼女の明るく硬めの声は、一聴したところ、歌詞の重さとはアンバランスに思えます(ここでは少し暗めに歌ってはいますが)。
しかし、以下に述べるような歌詞のニュアンスからすると、彼女の声はここを表現するのにピッタリな気がします。

「やっちゃったな またやっちゃった」という歌詞は、この4行の中で唯一過去形の文。
もう過ぎてしまったこと、事実として残ってしまっていること、というニュアンスがあります。
覆すことができない過去の事実を他人事のように見ている諦念のような感情も混ざるでしょう。
このことは、1つ目の「やっちゃった」が、単なる「やっちゃった」ではなく「やっちゃった」なっていて、他者にかける慰めに近い言葉であることからも窺われます。

「また」と繰り返される「やっちゃった」から、「これで何度目だよ」という「呆れ」のような感情も感じられます。
「うわ!!やっちゃった!!」と慌てふためいているというよりは、「あー...やっちゃったな...は〜あ、どうしよ」みたいな少し乾いた感じ。

太く重い声よりも少し明るめで硬い彼女の声の方が、この部分に間違いなく合うと思います。

4行目は柏木ひなたさん「ごめんの一言が」のたった9文字に、彼女の歌の上手さと表現力の高さが凝縮されていると思いました。
「ごめんの一言」は全体的に1文字ずつ丁寧に置くように歌われています。
しかし、「ごめん」は、ひとつの言葉として聞こえるように音を繋いでいて、しっとり感があり、逆に「一言」は、極端に言えば「ひっとっこっとっ」のようにスタッカート気味に音を切っていて、軽さがあります。

これによって、

・側から見れば、たった一言「ごめん」と言うだけの取るに足らない話であること(
・自分にとってのこの言葉の重さ、「ごめん」と素直に言えるほど心が整理し切れていない状況(

という両者のギャップを上手く表現していると思いました。

さらに、それまで実声でしっかり歌っていたのに対して、「一言」の最後の部分は、ウィスパーボイス気味に、余韻を残すように歌われています。ため息にも似た歌い方。
この部分から「今日もまた素直になれなかったな...」という後悔が残っている様子が感じられます()。

このアルバムがリリースされて実際にリアルタイムで聴いていた当時も、柏木さんが以前より格段に上手くなったと感じた記憶があります。
この時期に彼女の歌にブレイクスルーがあったのかな。
突発性難聴との闘いに苦しみながらも自分の歌を追求する彼女の姿に、私もとてもエネルギーをもらいました…。

あ、あと「ごめん」の部分で重なるウィスパーボイスも、「だけなのにな」の部分で重なる1オクターブのコーラスも絶妙。
(ていうかその後の「伝えたい」のリズミカルな歌い方可愛すぎ。)
どれも大好きなポイントです。


3.覚悟(1番サビ)

ジーザスお願いだ 苦しくて切ない
どうしようもない心の痛み
取り除いて早く いくつでも何個でも
いいじゃん 夢見たいじゃん きらめく世界に
また明日もその次の日も
例え挫けても 何回も 何回も

3-1.歌詞

前半

このサビの歌詞は全部大好きです(というかこの歌の歌詞は全部大好きですが)。

タイトルにもある「ジーザス」は、言わずもがなイエス・キリストのことですが、ここでは特にキリスト教的な意味合いはなく、単純に「神様」を指していると考えられます。

ところで、神様に祈る/願うときって、普通は敬語になりませんか?(私だけ?)
「エビ中さんがずっと幸せでありますように。」とか「エビ中さんを見守っていてください。」とかとか。
しかし、ここでは「ジーザスお願いだ」となっています。
苦しく切なく、どうしようもない心の痛み。一刻も早く取り除いてほしい。
後に続く歌詞に見られるそういう切迫した状況・切実な想いが、この部分に端的に現れているように思います。

更に印象的なのはその後、サビの1回し目の最後「いくつでも 何個でも」。とても不思議なフレーズです。

早く取り除いてくれと神に願うほどの痛みであれば「全部」取り除いてくれという方が自然ですよね。
これに対して、「いくつでも 何個でも」という表現は、いくつ取り除くか、ひいては取り除くかどうかさえも相手に委ねているかのよう。
むしろこの歌詞の主人公は心の底では「1つも取り除かれなくてもやむを得ない」、「結局のところ自分でなんとかしないといけない」と考えている気がしてきます。

そう考えてくると、この「お願い」の相手は「神様」以外の誰かという可能性も見えてこないでしょうか。
ここで私が考えたのは、「自分」に対するお願い、という可能性です。

この歌は全体的に内省的な歌詞になっています。
「内省」とは、自分自身を見つめ直すということ。
そんな「内省」を通して、現実の自分は、素直になりたい気持ちとそうなれない気持ちとの間で板挟みにあることを改めて認識する。
そのような中で、現実の自分は心の中の「自分」に対し、どうしようもない心の痛みを早く何とかしてほしいと願う。
それはもはや他者への願いではなく、自分への鼓舞、はたまた覚悟の表明ともとれます。

お願いの相手が「自分」であるからこそ、丁寧語ではなく「お願いだ」という対等な目線の言葉遣いになっているのかもしれません。

後半

後半部分は一転して、やや明るい印象を受けます。

ここの「夢見たいじゃん」という歌詞も気になりました。
自分と自分の間で板挟みになっている現実からすると、それを自ら乗り越えるのは一種の理想。したがって「夢」と捉えられるでしょうか。

さらに目を引くのは「いいじゃん 夢見たいじゃん」という風に「じゃん」が2回繰り返されるところ。
一見すると駄々を捏ねているような幼い印象も受けますが、こんな自分でも「夢を見たい」という気持ちを持っていい!理想の自分を描いていい!という自分自身の精一杯の肯定だと思いました。
自分の1番近くにいる自分だからこそかけてあげられる、すごく温かい言葉。
「例え挫けても 何回も 何回も」夢を描いていいんだ、とすごく励まされます。


「きらめく世界に」も素敵だなと思ったポイントのひとつです。
よく言われることですが、「へ」と「に」という助詞はどちらも方向を表しますが、「に」はある到達点自体に焦点があるのに対し、「へ」はそこに向かう経路・方向性に焦点が当てられます。
「きらめく世界へ」ではなく「きらめく世界に」とされているこの歌詞は、到達点としての夢や理想そのもの、あるいはその中にいる自分を思い描いているのでしょう。

「過程には意味がない。結果が全て。」ということまでは含意されていないと思いますが、少なくとも想いや覚悟の強さが窺われます。

3-2.曲

1行目(「ジーザス〜切ない」)の部分は以下のようなメロディー。4行目の「いいじゃん〜世界に」も同じです。
4つの音しか使われておらず、ほとんどが2度〜3度の移動なので、緩やかで落ち着いたメロディーと言えるかもしれません。

ラ♭ファファ(ジーザス)
ミ♭ファーラ♭ーファファ(おねーがーいだ)
ミ♭ファーシ♭ーファミ♭ファーラ♭ー(くるーしーくてせつなーいー)

私はここが特に綺麗なフレーズだと感じるのですが、その理由の一つとして、メロディーの音の高低の移動が通常の日本語のイントネーションに近いということがありそうかなと思っています。

日本語のイントネーションは音程の高低差で構成されるため、自然な話し言葉のイントネーションに合うメロディーを付けるのが難しい(ような気がする)のですが、ここではメロディー自体が日本語のイントネーションにピッタリと合っているように感じます。
少ない音数でこういうメロディーを作れる技術。あるいはこのメロディーにぴったりの日本語を当てるセンス。凄すぎる。

サビの他のフレーズもほとんど同じ音数(レ♭が追加になる程度)でなだらかなメロディーなのですが、ある程度は日本語のイントネーションに近い部分もあるものの、1行目ほどではないように思います。

例えば、「どうしようもない心の痛み」の部分は、全体として見ると「心の」の部分を底にした緩やかな谷を描くようなメロディー。
これは日本語のイントネーションに合わせたというよりも、心の奥底の痛みである感じと「痛み」の存在を叫んでいる感じという、歌詞のニュアンスに合わせた音の並べ方かなと思いました。

演奏

ここは、D♭→D♭onC→B♭m7→Fm onA♭→E♭m7 onG♭→Fm7とスケールに沿ってベース音が1つずつ下降していき、そこからG♭→A♭sus4(→A♭)と上昇するという王道のパターン(カノン進行の派生形?)。
ここも大好きです。

ここのベース音の下降は、「ジーザス」が願いに応じて現実の自分のもとへ近づいてきた(降りてきた)ことを暗示しているのかなと思いました。
深読みしすぎでしょうか。

中音域の厚めなエレキギターの音、アコギのストローク音、鉄琴か何かの金属音で、温かさとキラキラ感の併存する演奏が「きらめく世界に」の歌詞とマッチしています。
半ば夢見心地な、なんとなく透き通った緑みの黄色がかった情景が浮かびます。


3-3.ボーカル

サビは廣田あいかさんの歌から。
コードの安定感に反して、歌詞は切実な想いを語っているのですが、廣田さんはその想いを自分のものとして引き受けたかのように声に乗せます。

「ジーザス」は少し弱めに、しかし丁寧に。
「お願いだ」と「苦しくて」はそれより強めに、しかし時折声を震わせながら。
「切ない」は、密度が高く鋭利な声。

一言一言歌い方を変化させるその歌からは、今にも壊れてしまいそうな「心の脆さ」みたいなものを感じました。
一瞬一瞬を大切にして自分と向き合って生きている廣田さんだからこそできた表現かもしれません。

続いて2行目、「どうしようもない 心の痛み」は小林歌穂さん。豊かな響きで包み込むような声。個人的には、廣田さんの声と対照的な印象があります。
今と比べると、この頃はまだピュアで幼さが残る歌い方ですが、その分「どうしようもない心の痛み」がストレートに届いてくる気がします。

個人的に好きなところは、「どうしようもない」の部分の少し鼻にかかったような声と、「痛み」の、音が上がりきらずに降りるところ。アンニュイさが混じっているというか。
小林歌穂さんの歌は天才だと昔から思っているんですが、こういう歌詞に合った何気ない装飾が自然に入っちゃうところに、天才っぷりが現れている気がします。

3行目の歌詞(「取り除いて〜何個でも」)は真山りかさん
「取り除いて」の「ぞ」を結構長めに伸ばしていて、その分「いて」が微妙に後ろ倒しになっている気がします。痛みを取り除いてほしいという想いの切実さが表現されています。
「取り除いて」の後にブレスをしているのか、その後の入りも若干後ろ倒し。「早く」が駆け足気味になっていて、主人公の焦燥感・切迫感が際立ちます。

これ狙ってやってるとしたら凄くないですか?
真山さんは本当に努力の人ですし、もしかすると練習したのかもしれません。

4行目(「いいじゃん〜世界に」)は、再び柏木ひなたさん
ここはあえて声の特徴を消して、後ろの演奏に馴染むような歌い方にしているのではないかと感じます。
エビ中ファンでも、歌割りを見ずに初めて聴いたら誰の声か分からないかもしれません。引き算的な歌い方というのでしょうか。

歌い手の個性を消すことで無記名性を作り出すというか、それによって誰でもそこに自分を投影して感情移入できる余地が設けられているように感じました。
それと同時に、「きらめく世界」に自分自身が入って融け出していくようなイメージも浮かびます。
いやもう圧巻。

5行目(「また明日も その次の日も」)は、中山莉子さん。1つ1つしっかりと力を入れて歌うような歌い方は、この頃から既に見られました。
「また明日も その次の日も」という歌詞に符合するところがあり、この歌割りにピッタリだと思います。

この頃の中山さんには、今より舌足らず感があって、まだあどけなさ・少女感が強いように思います。このあどけなさ・少女感がこの歌詞を歌うにあたって良い味になっています。
というのも、この部分の歌詞は、例え挫けても 何度も夢を描いていいんだという内容。逆に言えば今はまだ自分が描いているところに到達できていない。
大人っぽい声で歌われてもやや説得力に欠ける気がします。
中山さんの少女感の強い声だからこそ、自分で自分を肯定していいという想いが、嘘のないメッセージとして入ってきます。

6行目は全員でのユニゾン
全員揃って「例え挫けても 何回も 何回も」と歌うだけでグッときます。

この曲に限りませんが、エビ中のユニゾンは声質が揃ってないところが魅力の1つだと思います。
一人一人の声が全体に埋没するわけでもなく、かといって個だけが目立ってひとつにまとまっていないわけでもない。
不揃いだからこそ生まれる個と全体の不思議なバランスがあるように感じられます。

また、「お願いジーザス」のこのユニゾン部分を聴けば分かる通り、ところどころ細かなリズムのズレや音の上がり具合のズレは見受けられます。
専門的なことは分かりませんが、おそらくピッチ補正やリズム補正をかけてズレをなくそうと思えばなくせるのではないかと思います。
エビ中はあえてそれをしていない。
一人一人の個性を大事にしていることが窺えます。
良いチームですね...。


4.螺旋(2番Aメロ・Bメロ)

欲しい物は手に入る 思うだけなのは簡単だよ
手段を選ばず挑む それじゃ何か失いそう
あれだけやった これだけやった 見返りを求めちゃって
変だなおかしいな まだ素直になれないな

4-1.歌詞

この2番の歌詞、1番とあまり繋がっていないように思えてずっと腑に落ちていませんでした。
しかし、これまでに述べた1番の歌詞の意味を踏まえると以下のように読むことができそうです。

まず1、2行目はそれぞれ、前半部分が現実の自分のセリフ、後半部分が心の中の「自分」のセリフ、という対話形式と考えられます。
「これはどうだろう?うーん、でもそれはダメか」という自問自答というか独り言みたいなことを言った経験、誰しも一度はあると思いますが、あれは一人二役で対話しているみたいなものですよね。
それと同じ要領で、「欲しい物は手に入る」「思うだけなのは簡単だよ」とふたりの自分の間での対話とも読めるわけです。

ここでは、1番の歌詞にあったような、複数の感情の間で板挟みという状況は見られず、対話が成立している分、1番の歌詞の頃より落ち着いている・成長しているような印象を受けます。
しかし、自分と外部とのズレ・隔たり(あるいは断層)に気付き、また立ち止まってしまいます。

1番の歌詞も2番の歌詞も、どちらも普遍的なものだと思いますが、一般的には、2番で描かれた苦悩の方がより大人に近づいた段階で直面することが多いのではないでしょうか。


また、「変だなおかしいな まだ素直になれないな」という歌詞も、身が引き裂かれるような想いの乗ったフレーズ。
自分の内部での葛藤という悩みを経て成長し、「自分を肯定して、自分に素直に生きられるようになった」と思っていた。しかし、外部との間の断層が顕在化したことで、自分の存在をまた疑問視してしまう...。
ここにもそんな苦しみが感じられます。

4-2.曲

1番と2番の間の間奏は、おそらくイントロとほぼ全て同じで、そのまま2番に繋がります。

2番Aメロ・Bメロのコード進行はおそらく1番とほぼ同じ。
ですが、2番AメロからBメロの1行目(「あれだけ〜求めちゃって」)に入ると、雰囲気が変わり、緊張感が出てきます。
これはドラムのリズムが違うのと、それまで右側で小さく鳴っていたエレキギターの音が左側から目立って聞こえるところが理由ではないかと思います。

ドラムに関しては、2番Aメロ(「欲しい物〜失いそう」)の部分は、1番Bメロ部分に近い感じだと思います。
1番Bメロは「ドッ ツッ タンツトトン  ツッ タンツトトン」で、
2番Aメロは「ドッ ツッ タンツトトントトン タンツトトン」みたいな。たぶん。

そして、その後の2番Bメロの「あれだけ〜求めちゃって」の部分では、ドラムがよりシンプルなリズムを刻む感じになっています。たぶん。
「あれだけやった これだけやった」と自分の頑張りをひとつひとつ確かめているような。

この違いと、エレキギターの聞こえ方を少し変えるだけで雰囲気をガラッと変えるの、凄すぎません?

4-3.ボーカル

1行目(「欲しい物は〜簡単だよ」)は真山りかさん
この部分の歌詞はかなり現実的な内容で、悩んでいる人からすると目を背けたくなるフレーズだと思います。
しかし、真山さんのとても優しい歌声で少し中和され、非常に聴きやすくなっている感じがします。
息を少し多めに混ぜて、語りかけるような歌声。
こういう風に優しく言われたら、しっかり受け止めて乗り越えていこうという気になります。

2行目(「手段を〜失いそう」)は星名美怜さん
ここは1行目と合わせて、思うだけではダメだけど何をやってもいいわけじゃないというジレンマを示す歌詞で、少し厳しい内容。
星名さんの歌い方も優しめですが、真山さんよりもややしっかりとした声で歌い、歌詞が重みをもって伝わってきます。
しかし、しんどくなりすぎない程度の重さの、ちょうどいい塩梅の歌声。素晴らしい。
この真山さん→星名さんの流れが絶妙。

3行目(「あれだけ〜求めちゃって」)は中山莉子さん
一言一言をさらにしっかり発する歌い方。
こんなにストレートにこの歌詞を語られると、自分もこの歌詞のようになってしまっていないかと自問せざるを得ません。
最近はいろんな歌い方を身につけてますが、この頃の中山さんの歌声の魅力はやっぱり直球勝負なところ。力こそパワー。

4行目(「変だな〜なれないな」)は廣田あいかさん
廣田さんの歌声は非常に多彩で、エビ中の曲でも色々な声色を聞くことができます。
しかし、どういう声色のときも艶がかかっていて、その艶に「痛み」や「切なさ」が含まれている気がするんですよね。
このパートは特にそれが顕著に出ています。
その「痛み」「切なさ」は本当に鋭利で、心をしっかりと刺してきます。

廣田さんの、ドスの効いたかっこいい系の声色とかも凄く良いんですが、個人的な意見としては、そっちよりもこの切ない系の声色の方が廣田さんの真骨頂じゃないかなと。


5.情動(間奏)

いや。この間奏のギター。
素晴らしすぎませんか。

「エモい」って言葉はあまり使いたくないんですが、このギターこそ本当にエモーショナル。
とてもシンプルなフレーズを、たぶんスライドギターで弾いているだけなんですが、なんなんですかねこの心が震わされる感じ。

少なくとも私の貧困な語彙力ではこの良さを語れないんです。いや、おそらくもはや言語では表現できない領域。
「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」というのは、こういうことですかね...。

(フジファブリック山内さんのTwitterより)


6.重なり(Cメロ)

ふと隙間に入り込んだ きっと一人じゃないと
(ジーザス いいじゃん ジーザス ジーザス)

6-1.歌詞

シンプルに美しすぎる歌詞。
何度も聴いて言葉の美しさを味わいたい。

「ふと隙間に入り込んだ」。
この「隙間」は、先ほどから述べている、外部との間の断層のことかなと思いました。

何気なくいつの間にか、気が付くと既にその隙間に「ジーザス」が入り込んでいた。
私に寄り添うように。「いいじゃん」と優しく声をかけてくれるように。

括弧書きの中は「ジーザス」と「いいじゃん」が交互に来るかと思いきや、最後も「ジーザス」。
ここでは「いいじゃん」と呼びかけてくる「ジーザス」は(対話の相手としては)もういなくて、自分で自分に「いいじゃん」と言えるようになった。
そういうことかなと思いました。

6-2.曲

左耳と右耳に交互に聞こえてくる、歪んだギター。
3拍目あたりで入る、鈍いタム(?)の音。
マイナーコードを鳴らすオルガンの不気味さ。
メインボーカルの終わり際に突如入る2声のコーラス。

「ふと隙間に入り込んだ」のバックで流れる演奏は、少し心をざわつかせる音のように感じます。

その後、一転してトニック(D♭)に戻って安定した雰囲気になるかと思いきや、すぐさまC♭に移り、その後、トニックに近い構成音のB♭m7へ。
揺さぶりをかけてくるかのうように、不安定と安定が交互にやってきます。
もう感情ぐわんぐわんになりますよね...。

ちなみに歌の譜割りで大好きなのは、「ふと隙間に」の入り。1拍目じゃなくて2拍目から歌が始まるところ。

なんですかねこの余白。
1拍目から「ふーーーと隙間ーにー」と入っちゃダメな理由は別にないはず。でも曲と歌を聴くと2拍目から入る譜割りしかあり得ない気がします。
個人的には、この1拍目の余白は、「ジーザス」が隙間に入り込んだことに自分が気づいた瞬間ではないかと思ってます。
はっと気づいた瞬間の沈黙。

6-3.ボーカル

「ふと隙間に入り込んだ」は真山りかさん
「ふと」は、柔らかく投げかけるような歌声の後に、思いっきり力を抜いて囁く感じ。
そして「隙間に入り込んだ」の包容力と緊張感
今にも破れそうな心に優しく触れながらそっとその周りを包み込むような。
あまりにも優しい。

「きっと一人じゃないと」は廣田あいかさん
ひとつひとつ言葉を拾い上げて確かめるような歌声。
「きっと」「一人」の部分は語尾にビブラートを混ぜて震わせながら、「じゃないと」は染み入るように優しくまっすぐに。
それまでの痛みが、徐々に溶けてなくなっていくみたいな感じがします。

「(ジーザス いいじゃん ジーザス ジーザス)」は安本彩花さん
声になるかならないかのところで、精一杯の力を込めながら語りかけるような歌。
絶妙な繊細さ。
聴きながら、思わず息を止めてしまいそうになります。

と思っていた矢先、最後のサビ前に一瞬の静寂が訪れます。


7.開闢と郷愁(ラスサビ)

ジーザスお願いだ 苦しくて切ない
どうしようもない心の痛み
取り除いて早く いくつでも何個でも
いいじゃん 夢見たいじゃん きらめく世界に
また明日もその次の日も
例え挫けても 何回も 何回も

7-1.歌詞

最後のサビの歌詞は1番のサビと全く同じ。

しかし、歌詞の意味合いが劇的に変わった感じがしました。特に前半3行。
あの切迫感や身が引き裂かれるような想いがないんですよね。
一気に世界が開けたかのような明るい雰囲気。

おそらく歌詞の主人公は、苦しく切なくどうしようもない心の痛みさえも、自分の一部だと肯定し、その身に引き受けて生きることを、改めて覚悟している。
あえて1番サビと同じ歌詞を歌うことで、逆説的に、そういう痛みを早く取り除いてほしいと思っていた頃を思い浮かべ、それも肯定している。

この最後のサビからはそういう印象を受けました。

7-2.曲

何と言っても、サビに入る直前の半音上(Dメジャー)への転調。とてもドラマチック。
D♭を鳴らしていたところから一瞬の静寂。そこから突然かき鳴らされるGの轟音。そしてトニック(D)へ。

ブレイクの瞬間、自分と「ジーザス」とが完全に重なり合い、何かが変わったように感じられます。世界が開けた、あるいは世界を見る自分自身が変わったと言った方がいいかもしれません。
自分自身が世界を見るときの構造自体の転換。

「180°変わる」というほどの劇的な変化があるわけではないですが、やはりそれまでとはどこか雰囲気が違う世界。何が違うかは分からないけど何かが変わったことは分かる、という妙な高揚感に包まれている感じ。

ちなみに、転調後の「きらめく世界」は、なんとなく「明るい黄みの橙色」っぽい情景が浮かびます。
完全に個人的な感覚ですが、私の中では、「透き通った緑みの黄色」から「明るい黄みの橙色」という変化は、前述した構造の転換や妙な高揚感のイメージと合致するんですよね...。


アウトロに差し込まれる音声(逆再生になっているという噂がありますが真偽の程は分かりません)。この音声には何とも言えない郷愁があります。
前述した昔の自分の想いを思い浮かべて肯定する感じと重なっているように思います。

7-3.ボーカル

1行目(「ジーザス〜切ない」)は小林歌穂さん。彼女の声の豊かさと伸びは、言葉数が少ない歌詞にとても合いますよね。
ここは特に喋っているかのような素の感じが見える歌声。他方で、物凄く情感が込められていて、ピュアな優しさが詰まっているような歌声。
聴いていると時折涙がこぼれます。

2行目(「どうしようもない心の痛み」)は安本彩花さん。小林さんと比較すると歌声の違いがはっきりしますが、ここの安本さんの歌は少し大人っぽい、見守るような優しさを感じます。
あと「どうしようもない」とか「ころのいたみ」の太字にしたところの声の抜き方が信じられないくらい上手い。

3行目(「取り除いて早く いくつでも何個でも」)は柏木ひなたさん
本当にずっと歌声が綺麗。自分の歌声を楽器のように鳴らしているなと感じる歌手の方がたまにいますが、私にとっては彼女はその一人かも。
特に「何個でも」の「な」の音が少ししゃくり気味なところめちゃくちゃ良い。
グッと力を入れ直してまた歩き出していく感じ。
背中と涙腺を押されますね...。

4行目(「いいじゃん〜世界に」)は星名美怜さん。ここの星名さんの歌声はとても柔らかくて大好きです。
演奏に馴染んでいますし、歌詞との相性もバッチリ。柔らかさの中に彼女の天性のキラキラ感が残っているので、本当にきらめく世界に入っている感じがします。
あと「夢見たいじゃん」の「たーい」と伸ばすところの放物線を描く感じがクセになります。

5行目(「また明日も その次の日も」)は松野莉奈さん
彼女の声、普段は結構落ち着いたトーンだと思いますが、彼女が楽しんでいるときは本当にそれが伝わってくる気がして、こっちも楽しくなるんですよね。このパートもそういう部分が現れていると思います。彼女の人柄というか。
「また明日も その次の日も」。ともすると生きることの苦しみに反転しかねない歌詞ですが、彼女の歌声には生きる楽しさ・喜び・希望が凝縮されています。

6行目は全員ユニゾン
これまでに述べた個性的な歌声が再びここでひとつに重なります。
ここについては何も語ることはないです。
ただ、涙がこぼれます。



というわけで、「お願いジーザス」1曲について思う存分語ってみました。
もちろん読んだ方はいろいろとツッコミを入れたくなったと思いますが、そういう反応もお待ちしてます。


ちなみにコードは楽器.meを参考にしつつ、自分で曲を聞いて「こっちのコードかな?」と思ったところを変えました。

歌詞、曲、ボーカルの全てについて語るのはかなり大変で私の手に余ることが分かったので(もともと自明でしたが)、こういう記事は最初で最後かもしれません(笑)

それでは。

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