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『両』 -窓 / TOMOO-

窓 / TOMOO
作詞:TOMOO
作曲:TOMOO


 曲の大半がピアノの弾き語り(+ファゴット?)からなる楽曲。
 シンプルなアレンジだからこそ歌の息遣いが際立ち、それを通して歌詞の中の切迫した思いが露わになっているように思います。
 この楽曲が収録されたアルバム『TWO MOON』には、都会的なアレンジの楽曲やビートが骨太な楽曲が多い印象ですが、その中でもこの楽曲は一際目立って感じられます。それは「本当のこと」というこのアルバムのテーマが、この曲に最も色濃く映し出されているからではないでしょうか。

 さて、この記事は、この楽曲の歌詞に関する私なりの解釈(と若干の感想)を記したものです。
楽しみ方の一例を提示するものであって、作詞者の意図を推測・考察するものではありません。

 予め簡単に図式化すると、この歌詞では、心が「窓」に、心に対して影響を与え得る外的事象(他者も含む)が「雨」や「天気」に例えられています。
 心と言っても自分の内部にのみあって外から全く観測できないあるいは干渉できないようなものではなく、外部への経路を持っているもの。≪意識≫という方が分かりやすいでしょうか。
 外的事象に関しても、自分の意識とは無関係に外部に実在するものを指しているのではなく、あくまでもその意識を通して認識した限りでのそれのことです。
 この楽曲では、「あなた」と深く関わりたいと思っている「自分」が、外的事象を言い訳として関わりを躊躇し葛藤するところから深く関わることを決意するところへ転換する様子、より単純化すれば、合理・打算・保身から真摯さ・誠実さの獲得へ向かう様子が描かれます。

 心を「窓」に例える手法はおそらく広く見られるものではないかと思いますが、この歌詞は本当に表現の美しさが素晴らしいと感じます。
たまたまこの記事を開いた方は以下を読まなくてもいいので、ぜひ一度曲を聴いてください。

※「 」部分は歌詞の引用記号、≪ ≫部分はその中をひとまとまりのフレーズとして捉えるための強調記号とご理解ください。




1A①

衝動まかせ 成り行きで飛び出す年頃だったら
もっと楽に 痛い目 今ごろ見ていた?

 ポイントとなるのは「もっと楽に」というフレーズ。
 このブロックを一読すれば、≪衝動や感情のままに他者と接していたら自分が傷付いていたかもしれない≫という意味になるだろう。この衝動・感情は特に≪「あなた」に会いたい≫、≪「あなた」と深く関わりたい≫という類のものと思われる。
 素直にこのように読むと、≪だからそういう接し方をしなくてよかった≫というニュアンスが含まれる。
しかしそのような意味合いだけであれば、「もっと楽に」というフレーズは不要だろう。すなわち、この「もっと楽に」の部分にこそ、上記の意味合いを反転させる契機が潜む。

 ≪痛い目を見ていたかもしれない≫という可能性について「もっと楽に」と修飾しているのは、深く関わりたいという感情のままに「あなた」と接することができていない今の状況を苦しく感じていることの表れ。純粋に人と接していたあの頃のように、≪打算なしに素直に人と接する生き方を選んだ世界線の自分≫を、内心では羨ましく思っている。
 しかし「楽に」という表現は両義性を内包する。すなわち、現実の自分が抱える苦しみから解放されたその世界線の自分に対する皮肉のようなニュアンスが含まれる。
 このように、羨ましく思う反面、そう思っていることを素直に認められないというアンビバレントな態度がここに表れている。


1A②

止まない雨に閉じ込められて
また言えないまんまで過ぎてく 会いたい
イージーになれない土曜日

 「止まない雨」は、窓(心)を閉じる理由を指す。直接的には、心を開くことで自分が傷付くような事態を指している(この内容については1Cの「殴り込む雨」の箇所で説明する)。これは究極的には、≪歌詞の主人公がそういう事態を、心を閉ざす言い訳として使っていること≫も含意されているように思う。
 会って伝えたいことがあるのに、それをしないための言い訳ばかりを自分で考えてしまい、問題を先送りにしている。
 もっと単純に生きてもいいのかもしれないとは思っているが、そう割り切ることもできず、時間ばかりを持て余す。

 個人的にはここでは「土曜日」という単語が秀逸だと感じる。
 これによって聞き手が自分の日常に引きつけて歌詞の情景をイメージしやすくなる。それだけでなく、言わない・会わない理由が単なる時間の問題(やその他の外的な要因)でないこと、言わない・会わないという選択をしても会いたい気持ちは残り、主人公は悶々としたままにあり余った時間を過ごさざるを得ない状況にあることが伝わってくる。


1A③

「いつか晴れたら」
なんてあんなのは結局建前で
いらない抜けない杭が
自分に刺さってる

 晴れる=「雨」があがる=言わない・会わない理由が解消された状態。
 ≪そういう状態になったら会いに行こう≫と自分を納得させるが、そもそもその理由自体が自分で生み出した言い訳(=いらない杭)に過ぎないことを自分でも理解している。
 つまり、自分に言い聞かせた言葉は建前に過ぎないが、それでもその建前を自分で抱えたまま捨てられずにいる(=杭が抜けず、刺さっている)。

 言い訳を生み出したことを後悔しているようにも感じられるが、「杭」は「悔い」との掛け言葉だろうか。


1B

何を守ろうとしてたんでしょうね
自分でしょうか
あなたでしょうか

 会わない・言わないための言い訳を抱えたままでいたのは、会って伝えることで「自分」が傷付くのを避けるためか。それとも「あなた」が傷付くのを避けるためか。


1C(1番サビ)

“心は半分開いても 半分は閉じておくんだよ
殴り込む雨に 慌てて拒むでしょう”
どうせ背負えない重荷ならば
それが正しいと信じてた
曇りガラスにも 伝う雨は見えるの
見えるのに

 ここでも、≪「あなた」と深く関わりたいという気持ちを大事にすること≫と、≪関わろうとした先の結果だけを見て打算的・合理的に「あなた」と接すること≫との対比が現れる。
 言うまでもなく、≪心を全て開く≫のが前者、≪心を半分だけ開く≫のが後者。

 「殴り込む雨」は、心を開いて「あなた」と深く関わろうとした結果、自分が傷付くような事態の比喩。
 自分が背負いきれないものが「あなた」から開示されたり、自分の開示したものを「あなた」に背負ってもらえなかったりすることを指しているように思われる。
 恋愛に限らず、自分が相手に好意を示しても相手が同じようには好意を示してくれなくて、一度示した自分の好意を冗談めいた言葉ではぐらかし、その結果、双方が傷付く事態となる、というようなシーンを経験したことがある人は少なくないのではないかと思う。
 この場合の相手の態度も、それに対する自分の態度も、「慌てて拒む」という表現がしっくり来るように思われる。

 また、単なるガラスではなく「曇りガラス」であることで、「あなた」の気持ちが見えにくいように「自分」が意図的に心を閉ざしていることが強調される。

 このブロック全体をパラフレーズするなら以下のような意味合い。

≪お互いの心の深いところまであけすけにしても、背負い切れないかもしれない。背負ってもらえないことにも背負ってあげられないことにも傷付くのだから、傷付かないために全てを開示しないのが懸命な生き方だ。≫
そう思っていた。
あなたが私に寄りかかろうとする/寄り添おうとするところは、それでも分かってしまうものなのに。


2A①

頭の中で話しかける癖は
あれからひどくなってくばかりです
今日も重たいブレーキ

 自問自答を繰り返し、感情を抑えてばかりの日々。ためらいが連鎖的にためらいを生む。
 その反面、行動に移したい気持ち(=会いたい気持ち)も膨らみ続け、それを抑えるのにたくさん心を費やしてしまう。

 「ブレーキ」は≪自分の衝動を抑制するもの≫という意味で使われているが、≪ブレーキが重い≫という表現は通常、ブレーキを効かせにくい状態を意味する。このことからすると、「重たいブレーキ」は、≪自分の中で衝動が大きくなっていて、抑えるのが難しくなりつつある状態≫の比喩と思われる。
 さらに「今日重たいブレーキ」という表現から、今日だけでなく昨日までもブレーキが重かったことが分かる。つまり、≪衝動が継続的に大きくなっていること≫が読み取れる。

(※ここまでで私が想像した歌詞の背景を概ね説明したので、これ以降は基本的に歌詞の内容をパラフレーズしたものと若干の注記のみを記載します。また、繰り返しになる部分や歌詞がストレートに意味を表現している部分についてはパラフレーズを省略しました。)


2A②〜2B

遅い夜中に泣きたくなったのは
全然知らないあなたの歩んだ日々が
想像できるから

何を守ろうとしてたんでしょうね
似たもの同士だったんでしょうか

 会いたい気持ちが抑えきれず、夜遅くに「あなた」のことを思い浮かべてしまう。どういう人生を送ってきたのか想像してしまう。
 そうして泣きたくなったのは、「あなた」の気持ちが理解できたからではなく、それと重ね合わせた自分を守ろうとしたからだろうか。


2C(2番サビ)

“心は半分開いても 半分は閉じておくんだよ
傷つかぬように 傷つけないように”
どうせ背負えない重荷ならば
それが正しいというけれど
曇りガラスにも 透ける青はわかるの

 そういう生き方が懸命だということは理解しているけれど、窓を閉じても曇りガラスの外側の孤独や悲しみ(=青)は内側からも分かるし、曇りガラスの内側のそれらも外側から分かってしまうもの。
 全てを覆い隠して、自分が傷付かず相手も傷付けないなんてことはできるのかな。

(※このフレーズの終わり部分で、主人公の心境の転換があり、それを象徴するかのようにギター系の楽器の音色が挿入されます。)


3C

心が通うそれ以上の
嬉しいことなんてあるかな

 傷付けたり傷付けられたりするかもしれないけど、心を通わせるにはまずは心を開くしかない。それなら心を開くべきじゃないかな。
 心が通うこと以上に嬉しいことなんてないのだから。


もうじき季節は
もうじきこの雨は
(中略)
明けるよ
明けるよ

(※この部分は、「会いたい人がいる以上の希望なんてどこにあるでしょう」の前後の各1ブロックが一対になっていると思われます。)

 心を閉ざすために抱えていた言い訳をようやく手放せるよ。


会いたい人がいる以上の
希望なんてどこにあるでしょう

(省略)


3C②

心が通うそれ以上の
嬉しいことなんてあるかな
どんな天気でも
どんなあなたでも

 傷付いたり傷付けられたりすることがあったとしても、「あなた」と心が通うこと以上の嬉しいことはない。


会いたい人がいる以上の
希望なんてどこにあるでしょう
どんな景色でも
どんなあなたでも

(省略)


4C

小さな窓を開いたまま
あなたの声をきいていた
藍色の影と茜がとける頃
そこから見える空の色は
この空と別々の色
けれど夕暮れの 同じ夕暮れの
端っこをつかんで

 器の広い人間ではないかもしれないけれど(=「小さな窓」)、いまは素直に心を開いて「あなた」に向けたいと思っている。
 言い訳(=雨)を手放して、閉じていた心の内側(=雨空の下の「藍色の影」)が徐々に外側に馴染んでいく。
 「自分」と「あなた」とでは違う見え方かもしれないけれど、≪心を通わせたい≫という同じ思いをともに抱いて、生きていきたい。



後半が駆け足すぎるな(笑)

全然ビューが伸びてないですが、以前にTOMOOさんの「Mellow」の歌詞についても書いたのでよろしければ是非。


そういえば「窓」という字に「心」が入ってるのってなぜなんでしょうね?

それでは。

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