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【楽曲紹介】平行線の行方は

懲りずに自己満足楽曲紹介シリーズ・第4弾。
今回は歌詞解釈がメイン。
noteを書き始めるまで歌詞を読み込む・解釈するという行為に挑戦したことがなかったので、解釈とも呼べない駄文です(言い訳)。
1万字あるので、お暇なときに、気になる部分だけどうぞ。


「平行線」という言葉がある。
対立したままで妥協点が見出せない・解決できないといったような、ネガティブな状況を指す意味で用いられることがほとんどだと思われる。

歌詞の中に出てくることも多いようだ。

そんな「平行線」に関する歌詞を紹介したい。

1.心のキャッチボール /松田聖子

松田聖子さんの32枚目のアルバム『永遠の少女』(1999年発売)に収録。作詞は松本隆さん。

長く付き合った恋人に対し、一緒になりたいという想いを遠回しに伝えようとしているが、恋人はそれに応えてくれない。
そんな状況に関する女性の心境を歌った歌。

「平行線」にまつわる箇所に着目する前に、歌詞全体について私なりの解釈を試みたい。

まず、「野球のボール」、「モーション」、「変化球」、「9回裏」、「空振り」など、全編を通して野球にまつわる用語が多用されていることが分かる。
タイトルにもある通り、お互いの気持ちのやりとりが「キャッチボール」に例えられているのだ。

しかし、よく読むと分かる通り、これは一般的なキャッチボールではない

キャッチボールは通常、複数名で1組になって、ある者が他の者に対して取りやすい球を投げ、投げられた者はそれを捕球してもとの者に投げ返す(または他の者に投げる)、という一連の行為を繰り返すもの。野球の基礎練習のようなものである(おそらく練習方法としていろいろなバリエーションはあるだろう)。

しかし、この曲の歌詞には「キャッチボールをして/変化球を投げて/揺れる視線を読みたいから」というフレーズがある。
明らかに、相手に何かを仕掛け、それで相手を試す/相手の反応を窺う、というニュアンスが含まれていて、普通のキャッチボールとは違う様子なのだ。
さらには「天使も空振りしそうね」とか「もうじき9回裏だわ」とか、試合中を連想させるフレーズも用いられている。

このようなチグハグな野球の比喩からすると、この女性は野球のことがよく分かっていないのだ。
おそらく恋人が野球好きで、その影響で少し知っているという程度。
さらにこの女性は、恋人に好かれようと、ついついその人の好みに合わせてしまう性格なのだろう。
自分の気持ちを表現する際にも、恋人の好きな野球に準えてしまう。

この女性のそんないじらしさ(そして、そのような比喩を用いることで「かわいそうな私」を演出して自分に酔っている少しのイタさ)をチグハグな野球の比喩で表現してしまう松本隆さん。凄い。

さて、曲全体について考えたところで、平行線に関するフレーズを見る。

二人の生きてる距離は
ただの平行線
女性雑誌わざと置いた
結婚特集の
ページ開いて

先に述べた、自分の気持ちに恋人が応えてくれないために進展がない、という状況が、「ただの平行線」と表現されている。
ここでの「平行線」は、本記事冒頭で述べたネガティブな意味合いであり、極めてストレートな使われ方だろう。

気になるのは「ただの平行線」という表現。

ここで、この二人がどういう点で対立して平行線となっているかを考えてみると、「結婚する/結婚しない」という対立であると思われる。
平行線のままでこの対立が解消されない場合、結局は「結婚しない」状態が続くことになるから、結婚したいこの女性にとっては望ましくない結果になる。したがってこの女性からすれば、初めから圧倒的に不利な対立なのだ。

特に昭和・平成の頃は、「女性は早く結婚すべき」という風潮が今よりも相当強かったのではないかと思われる。
この女性もその規範を少なからず内面化していて、結婚せずにこの恋人との関係を続けることは、自分にとってプラマイゼロな選択ではなく、マイナスが蓄積していく選択だと考えている。
平行線フレーズの後のブロックに出てくる「もうじき9回裏だわ」という歌詞には、自分の婚姻適齢期のデッドラインが近いという意味もあるし、そこから逆算して、この恋人との交際を本来であれば終わらせるべきと考えられるデッドラインが近い(あるいは疾うに過ぎてしまっている)という意味もあるだろう。
女性は焦りから「ゼクシィ攻撃」に出てしまう始末。

そんな状況に置かれれば、結婚するかどうかはっきりさせない恋人に皮肉の一つでも言ってチクリと刺してやりたくもなるだろう。

つまり、単なる「平行線」ではなく「ただの平行線」とされているところには、平行線とは言いつつも、単に現状維持でプラマイゼロという状況ではなく、むしろ自分だけが徐々にマイナスを負っていく状況に陥ってしまっているという非対称性と、それでも「あなた」が好きで、自分から別れを切り出すことができないだろうと悟っているこの女性の少しの諦念が、アイロニー的に含意されているのではないか。

シンプルな歌詞の中にも、深い味わいを感じる1曲。


2.Parallel Lines / SING LIKE TALKING

SING LIKE TALKINGの31枚目のシングル『A Crown』(2002年発売)に収録されているカップリング曲。作詞はキーボードの藤田千章さん。

一度終わった恋。しかしその恋は単なる気紛れではなかったはず。このまま終わらせていい恋ではなく、全てを投げ出してでも元に戻すべきもの。
そんな想いを歌った歌。

平行線に関するフレーズは、冒頭の歌詞。

ときには
ぎゅっと手をつないで歩こう
ふたりの足跡は平行線だから
漆黒の夜に溺れそうな影
自分ん家が解らなくなった
迷い犬のようなボクら

この部分の更に後ろの歌詞と合わせて考えると、おそらくは「もう終わりかけている恋」について歌った部分。
ふたりは同じ方向へ歩いてはいるものの、気持ちは既に度々すれ違っていて、お互いの位置も見えにくくなっている。それぞれが帰るべき場所(「自分ん家」)がどこかもわからなくなっている。そんな状況を、「漆黒の夜」と表現しているのではないか。
それでもまた元に戻るために「ときには/ぎゅっと手をつないで歩こう」と呼びかける。
しかし、結果的には一度この恋は終わってしまう。

ここの「平行線」をどういう意味にとるかはかなり難しいように思われる。
「ふたりの足跡は平行線だから」、より近づき、交わり重なって生きるために「ときには/ぎゅっと手をつないで歩こう」という読み方ができることからすれば、やはりネガティブなニュアンスになるだろうか。
「心のキャッチボール」と比べると、「ふたりの間で対立がある」というニュアンスは薄く、むしろ「なぜか交わることができず、それが如何ともし難い」というニュアンスになっているように思われる。

曲の最後のフレーズも見ておきたい。

いつまでもこだわるすれ違いなんかは無い
生きていることを近付けて行こう
二つの道はやがては重なり太くなり
空へ届くよ

このフレーズは、最後の2行を「二つの道はいつの日か光線になって/空へ届くよ」に変えてもう一度繰り返される。

ここではもはや平行であることに重きは置かれない。
二人の人生を表す「二つの道」が合流して重なり、死ぬまで一緒に生きて行こうという決意表明が歌われているのだろう。
サウンドもそれに伴って明るく開けていく感じになる。

しかし、それにもかかわらず、曲名は「Parallel Lines」なのだ。
この「二つの道」が「Parallel Lines」ということだろうか。
この点だけ腑にやや腑に落ちないが、この曲についてはひとまずここまで。


3.スノースマイル / BUMP OF CHICKEN

BUMP OF CHICKENの5thシングル『スノースマイル』(2002年発売)に収録されている表題曲。発売時期はSING LIKE TALKINGの『A Crown』よりも2ヶ月ほど遅いらしい。
作詞は藤原基央さん。

この曲の平行線フレーズを見る前に、曲全体で語られている内容について少し触れる。

既に多くの歌詞解釈記事が書かれているので、私が新たな解釈を提示する余地はない。
この曲ではシンプルに、「付き合っているが、別れざるを得ないことが分かっていた男女」の様子が描かれているように思われた。
また私としては、「別れざるを得ない」のは、「君」が何かの病によって余命が残りわずかしかないからだと考えている。この点を説明しようとするとそれだけで1万字を超えそうなので、本記事では割愛する。

もっとも、男女間の恋愛について重きが置かれているというよりは、誰もが不可避的に経験する別れに際して、それをどう受け取って進んでいくか、というところがポイントなのだろう。


さて、この曲の平行線フレーズは以下の部分である。改めて引用するまでもないかもしれないが。

まだキレイなままの 雪の絨毯に
二人で刻む 足跡の平行線
こんな夢物語 叶わなくたって
笑顔は溢れてくる
雪のない道に

「足跡の平行線」という言葉は「Parallel Lines」のフレーズとほぼ同じ。
しかし、同曲における意味合いとは大きく異なっていて、ここでは「二人で仲良く並んでともに歩いている様」が表現されている。

ここは、歌詞全体のストーリーの解釈とも関係するのだが、「まだキレイなままの雪の絨毯」はそのままの意味でも取れるが、「二人でともに生きていく/作っていく、これから先の人生」の比喩でもあると思われる。
そのように読むと、「二人で刻む 足跡の平行線」は、その人生を二人が実際に生きていくこと、その道のり・証のようなものを指す。

ここでふと気づく。
「平行線」と聞くと、普通、2本の平行した「直線」をイメージしないだろうか。実際、それが平行線の原義だろう。
しかし、実際の足跡も人生も直線であることはあり得ない。紆余曲折とか波瀾万丈とか言った言葉があるように、曲がりくねったり波打ったりするものだ。
ともに人生を生きていく道のりも、勿論真っ直ぐではないはずだ。
したがって、この「足跡の平行線」で重要なのは、真っ直ぐであることではなく、二人が並んで歩いていること・ともに生きていることである。

当たり前だが、ともに生きることは、ただ一緒にいればそれで足りるものではない。相手のことを想う・気遣うことが必要になる。
相手が立ち止まるときは側にいて立ち止まる。
相手が上手く前に進めないときは自分がその分背負う・遠回りをする。
並んで飛ぶ2羽の鳥が旋回する際に、外側の鳥の方がより大きな弧を描いて内側の鳥に寄り添うように。

このように「ともに生きていく」ことの比喩として「平行線」を用いることで、「直線」の要素を消し、お互いがお互いを気遣うというニュアンスを込めることができる。
1、2曲目のようなネガティブな意味合いの用法では、距離を縮められないという点が強調され、もどかしさ・どうしようもなさが前面に出てしまうのに対し、スノースマイルのような用法は、離れず、置いていかず、近くで寄り添うことの温かさに光を当てることができる。

この用法の初出がこの曲なのかは私には分からないが、仮にそうであれば、藤原基央さんの発明だと言えるかもしれない。


4.退屈しのぎ / きのこ帝国

きのこ帝国の1stミニアルバム『渦になる』(2012年発売)に収録。作詞はボーカル&ギターの佐藤千亜妃さん。

平行線の延長戦が屈折した精神性
習慣と化し消せない日々を物語る

心の底からの憎悪や攻撃性に満ちた歌詞。
この曲に関しては残念ながら私は読み解く技量を持ち合わせていない。
それなりに時間をかけて読み込んだが、「これだ」という糸口が見つからなかった。

一つ述べるとすれば、ここでの「平行線」は、単調に続く変わり映えのない日々を指しているのではないかと思う。
しかし、歌い出し部分の歌詞からすると、変わっていない日々のように見えても着実に徐々に状態が悪化しているのだろう。
ただ、どういう意味で悪化しているのかは分からない。
この曲に関しては、良い糸口が見つかれば書き足すかもしれない。

ちなみに、ファンが書いたと思われるネット上の記事を読んだところ、「作詞の佐藤千亜妃さんがこの曲を嫌いな人に向けて書いたと語っていた」という情報に接したが、真偽は定かではない。

仮にこれが真であるとしても、そもそも「嫌いな人」は自分以外の第三者なのか。そうでない可能性もあるのではないか。

「平行線の延長戦が屈折した精神性」


5.まだいけます / 阿部真央

阿部真央さんの9thアルバム『まだいけます』(2020年発売)に収録されている表題曲。作詞は阿部真央さん。

官能的な歌詞が冒頭から繰り出され、その後も全体的に情事、しかも特に不倫などの倫理的に非難されるべき関係の中のそれが描かれているように読める。

平行線に関するフレーズは以下の部分。

ほら ほら ほら脈々と
まだ まだ まだいけるよ
ふたりは平行線で
まだ まだ まだいけます
まだ まだ まだいけますか?

「まだ まだ まだ」と続きを求める語が印象的に連続するフレーズの合間。
「交わる」行為を描写した詩と思われるにもかかわらず、「ふたりは平行線で」というフレーズが入り込む不可解さ。

この不可解さを解くヒントは上記の5行目の末尾の「?」にあると思われる。
「まだ まだ まだいけます」というフレーズは他の箇所にもあるのだが、上記の部分だけ「?」が付されているのだ。

おそらくは先に述べた通り、ここでは不倫のような、露見してはならない関係が描かれている。
そしてこの関係にあるふたりは、お互いに恋愛感情を抱いていない、いわば体だけの関係なのだと思われる。
歌い出しの「完璧な関係で 明白な感情で」はこのことを指しているのだろう。
お互いの欲求を満たすためだけに都合のいい「完璧な関係」、相手に対して性的欲求しか抱いておらず、恋愛感情のようなあやふやで不安定な要素のない「明白な感情」。

しかし、抱き抱かれるうちに「警告」が発せられる。これ以上いくと「もう戻れない」。相手に対して余計な感情を抱いてしまう。完璧な関係でいられなくなってしまう。

臨界点を超えたふたりは、さらに渇望し「まだ」を繰り返してしまう。

だが、既に述べた通り、もともとは露見してはならない関係である。
行為に及ぶ以外のところでは、全く別々の人生を生き、接触しない/交わらない「完璧な関係」でなければならない。
「ふたりは平行線で」なければならない。

既に臨界点は超えているのに。
それでも「完璧な関係」で「まだいけますか?」と。
もはや自分に/相手に対して、そう問わざるを得ないところまで来てしまった。

以上を前提にした場合の「平行線」の使われ方もとても興味深い。
この「平行線」は、交わることがない(=平行な)直線という原義のイメージに則っていると思われる。
しかし、ここでは、「交わらないこと」と同じくらい「大きく隔たること」が重要と思われる。

すなわち「完璧な関係」であるためには、当然ながら露見するリスクを可能な限りゼロにしなければならないだろう。
しかし、交わらない状態を維持しようとしても、距離が近ければ露見するリスクは高まってしまう。
1km間隔であっても1mm間隔でも平行線は平行線であるが、1mmでは「完璧な関係」は維持できない。

この曲の「平行線」は、これまでの3曲のいずれのニュアンスとも異なる。

「スノースマイル」も「まだいけます」も「平行線」の原義にない新たな意味を引き出した点で素晴らしい。
そして、後者がすくい上げた「大きく隔たること」という側面は、「スノースマイル」の「平行線」、「近くで寄り添うこと」と真逆の意味である点も、非常に興味深い。


6.If you and I were, / 竹内アンナ

竹内アンナさんの1stアルバム『MATOUSIC』(2020年発売)に収録。作詞は竹内アンナさん。

片想いの相手と日曜にデートをしている中、舞い上がりふわふわして、今この時間を楽しみたいので相手に想いを伝えたくない自分と、相手に想いを伝えられない自分を責める自分とが描かれている。
シンプルな歌詞だが、短い単語で情景を描写するのが非常に上手い。

この曲の平行線フレーズは以下の部分。

I know 本当はウソつけてないの 二人辿る夜の平行線
くだらないとバカにしてたLove Song 黙って聴いて泣いていた

これより前の部分に「Let’s go 友達だからなんて  ウソついて誤魔化して来たから」というフレーズがある。上記の「本当はウソつけてないの」がこれに対応するものであることは明らかだろう。

あくまでも友達だから遊んでいるだけだと相手にも自分にも嘘をつき誤魔化しているが、実際には好きな気持ちを隠し切れていないことを自分でも分かっている。
という意味になるだろうか。

さて、「二人辿る夜の平行線」という部分。
帰り道、並んで歩く様子とは裏腹に近づき切れない二人。
それはなぜか。相手も自分の好意に気付いているが、それを見て見ぬふりをしてすり抜けるような態度を示しているから。
ここでも「平行線」が効いてくる。

一方の線が右に寄ればもう一方の線も右に寄る。そんな関係で距離を縮められない。いや、相手が意図的に距離を保とうとしているのだ。
そんな関係を、交わることがない「平行線」で表現している。
それに気付いた私は「And I loved you baby/ねぇ会いたいはもう言わない 言えやしなかった」と綴る。

ここの「平行線」も「スノースマイル」と同じく、直線としての要素が薄まっている。他方で「まだいけます」のような「大きく隔たっている」という要素もある。
さらには、「平行線」という言葉の静的な意味合いに反して、一方の動きに応じて他方が距離を保つ動きをするという動的かつ相互的な、駆け引き的なニュアンスが含まれていてとても面白い。


7.平行線 / インナージャーニー

インナージャーニーの1st EP『片手に花束を』(2020年発売)に収録。作詞はボーカル&ギターのカモシタサラさん。

タイトルからして既に「平行線」なのだが、歌詞の中でも「平行線たどれば 〜だろう」というフレーズが主題のように繰り返される。

この歌詞はおそらくかなりシンプルで、解釈というほどのことはできないが、ここでの「平行線」は、自分の歩いている道・人生のこと、そして自分の2本の足で残す足跡のこと、自分が生きているという事実を指しているのではないかと思う。

生きていれば、「君の街まで行ける」し、「青すぎる空にも慣れてくる」し、「君のことも忘れられる」し、「始まる朝も美しい」。

「平行線たどれば」とこの4つのフレーズがあまりにも美しい。

「君」にまつわるフレーズと「君」以外のフレーズを交互に配置し、かつ、極めて普遍性の高い言葉だけを使うことで、人生の中であり得る様々なことの出来事の起承転結と、それを受けた心情の揺れ動きを、高い解像度で描き出している。
言葉数が少ないからこそ、そこに凝縮されたものが伝わってくる。

歌詞の美しさとともに、リアリティのある言葉選びが素晴らしい1曲。


8.ふたり (feat. アユニ・D) / DENIMS

ついに最後。
DENIMSの配信シングル『ふたり feat. アユニ・D』(2022年)より。作詞はボーカル&ギターの釜中健伍さん。

インタビュー記事などを見ると「夢を追い続ける男性とそれを応援する女性の心の交流を描いたカントリー風味のアレンジが心地よい楽曲。」とされている。

私もこれ以外に解釈できないので、全体のストーリーについてはこれをそのままお借りする(ただし、念のために付言すれば、男性と女性に固定する必要はないとは思っている)。

平行線フレーズを見る前に、1番Aメロの歌詞を見ておきたい。
この部分が、歌詞全体のストーリーを端的に表しているように思われる。

テレビと貴方の話は聞き取れないふたつも
聖徳太子じゃ無いからひとつしか入らないの
沢山ある選択肢も夢中になって
他は見えなくなるほどに

「僕」と「貴方」がテレビのある部屋で一緒にいる場面。
「貴方」との会話が、テレビから聞こえる音と同じくらい日常的な風景であることが表現されている。このふたりは既にある程度長い時間をともに過ごしているのだろう。
「テレビ」という華やかな世界の象徴のような単語は、もしかすると「僕」の追いかける夢の比喩かもしれない。

印象的なのは2行目以下。
2行目だけだと、テレビと会話の両方は聞けない、というただのあるある話、あるいは「貴方」に対する小言のように読める。
しかし、3〜4行目を踏まえると、夢を追い、「貴方」とともに過ごす今の人生に夢中だ、という意味に解釈できないか。

まず「沢山ある選択肢」は、他の生き方を指す。
夢を諦め、普通に就職して普通に働く、なんていう生き方もそこに入るだろう。
あるいはともに過ごすパートナーという面でも、他にも多くの人間がいる。もちろんひとりで生きるという選択肢もあるだろう。

しかし、「僕」はこれらが目に入らないくらい「夢」と「貴方」に夢中なのだ。
「テレビ」と「貴方の話」の両方を求めるからこそ、ふたつも聞き取れない、というジレンマが生まれる。
両方が自分にとって比べられないくらい大切だからこそ、いずれかを優位に置くのではなく「テレビと貴方の話」を並列させているのだ。

このように考えると、ここでは「僕」が「貴方」に夢中になっているということになるのだが、この表現は新しい感じがする。

もちろん文だけを見るとよくある表現だが、恋愛において「夢中になる」という状態は、一般的には「付き合いたてで気持ちが浮つき、夢を見ているかのように恋人のことしか考えられない」という状態を指すと思う。
しかし先のとおり、家でテレビをふたりで見ている状況からすると、このふたりは付き合い始めてからそれなりに長い時間が経っている。
このことからすると、ここでの「夢中になる」は、一般的な意味ではなく、相手と一緒にいるのが当たり前になっていて、それくらい自分の人生において掛け替えのない存在であるため、それ以外の選択肢が頭の中にない、という状態を指しているのだと思う。
これを「夢中になる」と表現するのは、新しい表現ではないだろうか。

さて、前置きが長くなってしまったが、平行線フレーズを見てみる。

平行線をたまには交わり離れたり
全て欲しがる僕は貴方と一緒に居たいのですこのまま
このまま

こちらはサビの部分の歌詞。全てのサビでこのフレーズが歌われる。

ここでの「平行線」が、二人でともに生きる人生を表していることは明らかだろう。

「離れる」はそのままの意味。
他方、「交わる」という部分は、必ずしもふたりがピタッとくっついて一緒にいる様子だけを表しているわけではなく、お互いが相手を思うが故にすれ違うような様子も含んでいると思われる。
くっついている様子を指すだけであれば「重なる」という表現で良いはずだ。

「重なったりすれ違ったり離れたり、そういうこともあると思うけど、それでもこのまま夢も追いたいし貴方ともずっと一緒に居たい」という素直な想いが表現されている。
backnumberの名曲「花束」のサビ「そりゃケンカもするだろうけど」以下の部分とも通じるものがある。

ちなみにこのサビは、釜中さんとアユニ・Dさんの2声ハモ。
基本的には3度ハモではあるものの、途中で1音だけ3度より離れたりするところが歌詞と符号してて、付かず離れず感を演出する(たぶん)。とてもニクい。

以上の通り、ここでの「平行線」は、常に等間隔であるような、数学的な「平行線」では、もはやない。
近づいたり離れたり重なったり交わったりを繰り返す不安定さを孕みつつも、同じ方向に向かってともに歩むというニュアンス。特定の方向へ向かうという要素だけがある。

しかし、(私は数学を全く勉強していないので間違っているいるかもしれないが)ベクトルであればともかく、単なる「線」であれば、もともと方向性を持たないはずではないか。

ここまで書いてようやく気付いたのだが、数学的な「平行線」とは異なり、慣用的に使われる「平行線」はもともと特定の方向性の要素を持つものなのだ。それは「前方向」性、「未来方向」性である。

ここでネット辞書から「平行線」の意味を引いてみる。

1 同一平面上にあって、どこまで延長しても交わらない2本またはそれ以上の直線。
2 互いの主張・意見などがどこまでいっても妥協点の見いだせない状態をいう。

https://dictionary.goo.ne.jp/word/平行線/

1はおそらく数学的な「平行線」の意味。ここには「どこまで延長しても」とあるが、この延長はどちら方向にもできる。そのため、一定の方向性を持たない。
他方で、2の慣用的な「平行線」には、「どこまでいっても」という要素がある。これは明らかに未来のことを指しているだろう。
このような要素が含まれるのは、おそらく人が時間とともに生きている・時間の中で生きざるを得ないからである。
時間は不可逆的に進んでいく。
その中で用いられる「平行線」も、自ずと「前へ」「未来へ」という方向性の要素を帯びざるを得ないのだろう。


さて、ここでは全8曲を紹介した。
ちなみに私が歌詞検索をした限りでも400曲ほどの平行線ソングが見つかった。

多いととるか少ないととるかは個人差があるだろう。
しかし、人がこんなにも「平行線」に想いを込めるのは、未来に向かってしか生きていけない現実と向き合い、そこで生まれる感情を言葉にしたいという想いを、皆共通して抱いているからかもしれない。


【番外編】

パラレル・ラブ / 井上陽水奥田民生

空に飛行線 青のバックグラウンドに
ふたつの飛行線 パラレルの直線

二人の願いは 寄り添うこと
二重の魔法を 解き明かすこと

井上陽水奥田民生「パラレル・ラブ」
(作詞:井上陽水・奥田民生)

発売日順に並べて紹介してみましたが、意外にも「平行線」の意味の移り変わりが綺麗浮かび上がってきた感じがあって面白かったです。
良いテーマが見つかれば第5弾を書きます。

それでは。

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