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アリとキリギリス


仕事場の横にはデッキがあり、いつでもボウっとできる

「久しぶり。元気か?」
朝いちばんに友人メッセージが届いた。
同い年の彼だが定年前に早期退職募集に応じて58歳から10年趣味に生きてきた。
「俺は元気だ。金にならん仕事ばっかりでバタバタしてる。君はいいなあ、悠々自適で」
と自嘲すると。
「同じだよ。俺だって入ってくるのは年金だけだ」
と言うので
「だって悠々と暮らしてるじゃないか。俺はあくせくしてる」
と返したら
「それは蓄えのおかげだな。アリとキリギリスだ」
ん? 俺はみんなが働くべき時に遊んでいたように見えているようだ。
「俺は遊んできたわけではない」
と言うと
「人の見方は違うよ(笑)」と笑われた。「遊びとか趣味を仕事にしてきたんだ。少々生活が苦しいってのは織り込み済みだろ。羨ましいよ、その性格」
じゃあ、俺は彼が羨ましいのかというと、確かに蓄えがあるといいなとは思うけど、だからなんなんだと思うし、別に羨ましくもない。生き方は人それぞれだ。

仕事もそこそこに、酒と人にまみれに出かける

彼は続けた。
「悠々自適なんて、ほかにするべきことがないからだよ。いくつになってもアホみたいにやり続けてるお前が羨ましいよ」
と。俺はそんなに羨ましがられる存在なのか……。なんなんだ……。
俺の苦労は彼にはわからない。彼の苦労は俺にはわからない。わかったところでどうなんだ。
「俺は人のことを気にしてる暇はない。自分のことで精一杯だ」
「それが羨ましいって言ってるんだ」
わからん。話を変えるつもりで言った。
「こんな朝早くから、なんか用でもあるのか?」
「別に……。どうしてるかなと」
「そうか。それなら少々忙しいんだ。またゆっくりどこかで一杯やろう」
「すまなかったな、忙しいのに」
文面から見えてこない彼の暮らしぶりを想像しようとしたが、何も思い浮かばなかった。
いろんな意味でさみしいのかもしれないな。みんな老後、老境という境遇にさしかかっている。
どう生きてきたかもそうだが、どう生きるかにどんな意味を見つけるのか。
俺の場合は何も変わらずこのまま生きていくのだろうが……。

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