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無頼の果てに

大腸ガンなどという大病を患ってから、酒を遠ざけることが多くなった。健康のために、などということではない。酒に対する恐怖心が身体のどこかにこびりついているのだ。1杯の酒がガンの再発を招くのではないかと。知人の医師などは「なにを今更」と笑う。
術後5年が経過し、ようやく少しだけ口にできるようになったが、以前は浴びるほど飲んでいたウイスキーには今もって手が出ない。
度数の高さが喉を焼き、胃の粘膜を焼き、そこが新たな病巣になるのではないかと怯えているのだ。
若い頃、憧れてはいたが、なんだか手を出せずにいた1本のウイスキーがある。
 
CLYNELISH 14years
 
ハイランドのシングルモルトウイスキー。46度の猛者。トレードマークはハイランド地方に棲息する山猫だ。ボトルに手をのばそうとする者を威嚇するかのように、両耳を倒し牙を剥いている。
「飲むなら覚悟して飲め」
そう言っているようだ。

ずいぶん前の話だが、それをある女性から還暦祝いにいただいた。酒好きのぼくになにか1本と思ったらしいがなかなか決められず、お店の人に相談してこれに決めたそうだ。なにをどう相談したのかはわからないが、ぼくにとっては言うまでもなく「Good choice!”」だった。まずは彼女の英断に乾杯だなどと喜んだことを覚えている。
今そのボトルを眺めている。山猫は相変わらず両耳を倒し牙を剥いている。
次にこの酒を口にするのは、得体のしれない恐怖心が身体の隅々から消えて無くなった時だな。
無頼を気取ってきた果てに、命が惜しくて右往左往している自分がおかしくて仕方がない。

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