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ビフカツの味


結婚式の父と母。「この頃のうちは夢見る乙女やった」母はよくそう言っていた

昔、そう今から60年以上前、京都府庁前に気楽だったか、喜楽だったかは定かではないが、キラク亭という洋食屋があった。精肉店がその2階でやっていた。小さなテーブルが6つ。なんの飾り気もない小さな店だった。厨房は1階。出来上がった料理をどうやって運び上げていたかは、はっきりと覚えていない。
「ここのビフテキがうまいンや」
父はこの店がお気に入りで、家からはずいぶん遠かったけど路面電車に揺られてよく家族でのぞいた。
父は決まってビフテキとビールを。母は毎回違ったものを。そしてぼくはビフカツを、時間をたっぷりかけて味わった。食事がすんで店を出ると、ぼくと母は家に向かう路面電車に乗り、父は反対方向へ行く電車に乗った。そしてその夜は家に帰ってこないのだ。

こんな話がウソのように晩年の二人は仲睦まじかった(「揺れて歩く」より)

家に向かう電車に揺られて、母は今にも泣きそうな顔をしていた。その頃の父には帰るべき家がもう一軒あったのだ。それが何を意味していたのか、その頃のぼくにはわかるはずもなかった。ぼくにとっては楽しい外食だったが、母にとっては辛い夜のはじまりだったのかもしれない。ぼくは今もビフカツを食べる度に、母のその表情を思い出す。
父が亡くなる直前のことだ。「ビフテキが食いたい」と言い出したので、家の近くの馴染みの洋食屋に焼いてもらった。
「うまい、うまい」とうれしそうに肉を頬張る父を見て母もうれしそうに笑っていた。
そう言えばと、キラク亭の思い出話をしようとしてやめた。ぼくがしなくても、母は思い出しているはずだ。そうして、いいことも悪いこともみんな思い出だと思っているはずだ。そう思ったのだ。
それからいくつかの夜を数えて父は他界した。
父を見送って7年半後母は静かに旅立った。いろんな思い出話を聞かせてくれたが、終ぞキラク亭の話だけはしなかった。

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