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私たちは何を望むのか

ハラリがサピエンス全史で伝えたいこと

幸せって何?
私たちは何を望むのか?

サピエンス全史は、宇宙を飛ぶスパイ衛星の視点、数百年ではなく数千年を見渡す視点で、サピエンス誕生以来の歴史を語ることで、私たちに、この問いかけをしている。

2022年11月にchatGPTが公開され、大きな話題となった。それからの生成AIの進展には目を見張るものがある。
AIという未曾有のツールを手に入れたサピエンスの歴史はどうなるのか、サピエンスの歴史が終わり、シリコン生命体の歴史が始まるのか。
未来は、この問いかけに私たちがどう答えるのかにかかっている。

20万年前、東アフリカでホモ・サピエンスが誕生した。この時点では、数ある人類(ホモ属)の一つの種にすぎず、片隅でひっそりと生きていた。
7万年前、サピエンスはアラビア半島からユーラシア大陸全土へと拡がり、他の人類を絶滅に追い込み、唯一の人類となった。

サピエンスにこのような力を与えたのが、存在しないものを信じ、伝える能力である。この能力により集団での協力が可能となった。これを認知革命という。認知革命により、サピエンスの歴史が始まった。
サピエンスは地球全土に拡がり、行く先々で、大型哺乳動物を絶滅させた。

1万2000年前、中東で小麦の栽培とヤギの家畜化が始まった。他の地域でも稲、とうもろこし、じゃがいも、キビ、大麦などの栽培が始まる。農業革命である。
農業革命によって、食料が増え、人口が爆発的に増えた。しかし働く時間の増加、栄養の偏りや密集・家畜との同居による感染症増加、土地の奪い合いによる争いの激化などにより、一人ひとりの生活は劣悪になった。それに気がついたときにはもう後戻りができなくなっていた。
農業により、地球上の植物、動物の種は多くが絶滅し、残った種もその数が激減した。栽培植物と家畜動物だけがその数を増やした。

1500年前後にヨーロッパで科学革命が起こった。それまでは神がすべてを知っており、必要な知識はすべて聖書に書かれていると信じられていて、新しい何かを発見するという発想はなかった。
コロンブスのアメリカ大陸発見により、聖書に書かれていない大陸があることをみんなが知り、「まだ我々の知らないことがある」という認識が広まり、探検の時代が始まった。
その探検は帝国主義とセットであり、ヨーロッパ人は行く先々で先住民族を虐殺し、奴隷化し、植民地を拡げていった。こうして地球は例外を除いてすべて、ヨーロッパの支配する世界となった。

産業革命では、無限とも言えるエネルギーを手に入れ、農業、畜産業を工業化、機械化し、製造業の生産性を上げ、空前の量の生産物を送り出せるようになった。供給が需要を上回り、消費の時代が始まった。また産業革命は家族やコミュニティーを破壊し、「個人の時代」となった。
このような度重なる革命で、地球は単一の領域に統合された。経済は指数関数的な成長を遂げ、人類はかつてない豊かさを享受している。

それで人は昔より幸福になったのだろうか?
豊かさの一方で、仕事のために故郷を離れ、子供は保育所に預け、ローンのために時間に追われながら長時間働くようになった。ストレスで病気になったり、自殺したりする人も増えている。科学革命も農業革命と同様の罠だったのではないか。

今、AIによる第二次認知革命が起きようとしている。このまま進めば、サピエンスの歴史が終わり、AIというシリコン生命体の歴史に取って代わられる可能性が十分に考えられる。
今AIは揺籃期にある。サピエンスにはまだ、次の問に答える時間が残されている。

私たちは何を望みたいのか?


ホモ・サピエンスの誕生と歴史の始まり

138億年前、何もないところで、あるいは無限の宇宙の片隅で、ビッグバンが発生し、物質、エネルギー、時間、空間が生まれた。我々の宇宙の誕生である。
それから38万年後、飛び回っていた電子が陽子に捉えられて水素原子が生まれ、光が宇宙を満たした。水素原子は融合して様々な原子を作り、それら原子が結合して分子となり、分子と原子の相互作用が始まった。
40億年前、地球と呼ばれる惑星の上で、特別な有機体である生物が誕生した。
そしておよそ7万年前、ホモ・サピエンスという種が文化を形成し始めた。歴史の始まりである。
歴史は三つの重要な革命で特徴づけられる。7万年前の認知革命、1万2000年前の農業革命、500年前の科学革命である。

認知革命

サピエンスの誕生と世界制覇

人類は250万年前に東アフリカでアウストラロピテクスとして誕生した。200万年前、彼らの一部が北アフリカ、ヨーロッパ、アジアの広い範囲に進出、それぞれの地に適応するように進化し、新たな種となった。ホモ・ネアンデルターレンシス、ホモ・エレクトス、ホモ・ソロエンシス、ホモ・デニソワなどである。
東アフリカでも進化が進み、ホモ・ルドルフェンシス、ホモ・エルガステル、ホモ・サピエンスなどの種が誕生した。
これら多くの人類は、長い間、この地球上に同時に存在していた。様々な種類のクマが存在しているように、人類も少なくとも6種が同時に存在していたことがわかっている。

サピエンスは7万年前にアラビア半島に拡がり、短期間でユーラシア大陸全土に拡がった。その時、ネアンデルタール人やデニソワ人と遭遇した。
ネアンデルタール人は筋肉が発達し、大きな脳を持っていた。サピエンスと一対一で戦ったらかなわなかったに違いない。それでも3万年前までにネアンデルタール人は絶滅している。同じように、サピエンスの進出した先では、他の人類は、一部交雑してサピエンスにDNAを残しながらも、ことごとく消え去っている。こうして、サピエンスは地球上唯一の人類となった。
サピエンスの世界征服を可能にしたのが、新しい思考と意思疎通の方法であり、これを「認知革命」と呼ぶ。エデンの園にあった知恵の樹の実を食べたということである。

知恵の樹

どんな動物も、仲間の間で意思疎通を行っている。ミツバチは花のあるところを伝えることができるし、サバンナモンキーは様々な鳴き声で、「ワシが来た」とか「ライオンだ」などと伝えることができる。言葉は特別なものではないが、サピエンスが特別だったのは、存在しないものについて思考し、伝えることができたことである。

この能力を身に着けたことで、「ライオンだ、気をつけろ」だけでなく、「ライオンはわが部族の守り神だ」と言うことができるようになった。認知革命により、伝説、神話、神、宗教が現れた。
集団で共通の虚構を信じることで、親近者だけでなく、赤の他人とも柔軟に協力できるようになった。150人を超える大きな集団をつくることができるようになった。
今日、サピエンスは地球規模の交易ネットワークを築いている。交易には信頼が必要であり、この信頼を提供しているのが、通貨、銀行、企業などといった虚構の存在物である。

狩猟採集の暮らし

サピエンスは種のほぼ全歴史を通じて狩猟採集民だった。彼らは、いつどこにどんな食べ物があるか、どうすればウサギを捕まえることができるかなど、身の回りの環境について、幅広く、深く、多様な知識を持っていた。燧石で槍の穂先を作る技能も持っていた。
地域によって大きく異なるものの、後世の人よりも全体として快適で実りの多い生活様式を享受していた。狩りをするのは3日に一度、採集は毎日3時間程度で、食べていけた。噂話をしたり、物語を語ったり、子どもたちと遊んだり、ぶらぶらしたりする時間はたっぷりあった。
多様な食物から理想的な栄養を得ることができ、健康状態も良かった。食べ物の種類が多いことから、天候不順や天災などがあっても、食糧不足にはならなかった。食べ物がなくなったら別の場所に移ればよかった。
また定住生活ではないこと、密集していないこと、家畜がいなかったことなどから、感染症の蔓延もなかった。
「健康に良く多様な食物」「短い労働時間」「感染症の少なさ」などから、農耕以前の狩猟採集社会を「原初の豊な社会」と定義する専門家もいる。

絶滅の第一波

4万5000年前、サピエンスはオーストラリア大陸に移住した。当時オーストラリアには巨大なカンガルー、フクロライオン、コアラなどがいた。ダチョウの2倍もある飛べない鳥もいた。

フクロライオン(ティラコレオ)の想像図 Wikipediaより

サピエンスがオーストラリアに入って数千年の間に、これら巨大な生き物はすべて姿を消した。小さい種も含め、オーストラリアの生態系全体が大きな影響を受けた。
このような大型動物の絶滅は、サピエンスが移住したすべての場所で発生した。アメリカ大陸では、サーベルタイガー、オオナマケモノ、巨大ライオン、馬、ラクダ、マンモスなどが消えた。
これらが狩猟採集民の拡がりに伴う絶滅の第一波である。

農業革命

サピエンスは小麦の家畜?

1万2000年前、中東で小麦の栽培とヤギの家畜化が始まった。他の地域でも稲、とうもろこし、じゃがいも、キビ、大麦などの栽培が始まる。

小麦の栽培

人類は農業革命により手に入る食料の量を増やすことができたが、それは人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。農耕民は苦労して働かなければならないのに、見返りの食べ物は劣っていた。

小麦の立場から農業革命を見てみよう。
中東の狭い範囲に生える野生の草の一つだった小麦は、数千年の間に世界中で生育するようになった。地球の歴史上で画期的な成功例である。
サピエンスは朝から晩まで小麦の世話をして過ごした。岩や石を取り除き、草取りをし、ウサギやイナゴから守り、水を運び、動物の糞便を集めて地面を肥やした。
そのような作業に向いている体ではなかったので、椎間板ヘルニア、関節炎などの疾患が生じた。また小麦畑から離れることができず、定住することになった。
まさに小麦がサピエンスを家畜化したということができる。

単一の食料に依存することで、天候不順、イナゴの襲来、作物の病気により、多くの農耕民が餓死するようになった。
畑や放牧地をめぐる争いもふえた。奪われることは餓死につながるために逃げるわけにはいかず、激しい戦いとなった。
小麦のおかげでサピエンスは指数関数的に数を増やすことができた。狩猟採集時代にはせいぜい100人の集団を養うことができたオアシスでは、小麦の栽培で1000人の集団を養えるようになった。ただし人々は病気や栄養不良に深刻に苦しむようになった。

生物学的に見れば、1000のDNA複製は100のDNA複製に優る。劣悪な条件であっても、より多くの人を生かしておく能力が農業革命の神髄である。
このような革命は何世代もかかって進行した。農業革命の罠に気がついたときには、人口が増えすぎており、もう後戻りができなくなっていた。
いくら縄文時代が素晴らしかったから戻りたいと思っても、世界の人口を70億人から、1000万人に減らすことはできない。一生懸命働き続けるしかないのである。

もう一つの犠牲者たち

小麦などの栽培食物と合わせて、家畜化した動物も拡がっていった。今日の世界には10億頭のヒツジ、ブタ、牛、250億羽のニワトリが世界中にいる。DNAの複製の数が種の成功なら、彼らこそ成功者ということになる。

ヒツジやヤギの放牧

しかし一羽のニワトリ、一頭の牛の立場に立ってみると、彼らは幸せだろうか。狭いケージに閉じ込められて卵を産まされる雌鶏。生まれて数週間で殺される食用鶏。牛舎に繋がれ、出産した子牛を引き離され、牛乳を搾り取られる乳牛。生まれて数ヶ月で屠殺される雄牛。

統一へ向かう世界

農業革命以降、社会は大きく複雑になり、社会秩序を維持している神話などの虚構も精巧になっていった。人々は誕生の瞬間から「標準」に従って行動し、「価値観」に従って考え、「規則」を守るよう習慣づけられた。このおかげで膨大な数の見ず知らずの人どうしが協力できるようになった。この人工的なネットワークを「文化」という。

人類の文化は絶えず変化している。小さく単純な文化が、より大きく複雑な文化にまとまっていき、巨大文化はますます大きく複雑になった。歴史は統一に向かって執拗に進み続けている。モンゴル帝国の崩壊やキリスト教の分裂は、一時的な逆転にすぎない。

1万2000年前、地球には何千もの社会があった。紀元前2000年には数百から千程度にまで減り、1450年にはさらに激減していた。
過去数世紀の間に、すべての文化はグローバルな影響の洪水で、原型を止めないほどまで変化してしまった。帝国というロードローラーが数限りない民族の特徴を跡形もなく踏み潰していった。

今、世界は約200の国家に分割されているが、どの一つとして真の意味では独立していない。すべての国が、互いに頼り合い、交易と金融のグローバルなネットワークを形作っている。

宗教という超人間的秩序

貨幣や帝国が世界を統一に向かわせて来た要因であるが、これとならんで宗教も大きな要因であった。社会秩序やヒエラルキーは想像上の虚構であり、社会が大きくなるほど脆くなる。宗教はこの虚構に超人間的な正当性を与えてきた。
宗教は規範と価値観のシステムの総体であり、超人間的な法に基づいている。宗教は、広大な領域を統一するために、この普遍的な超人間的秩序への信奉をすべての人に広めていく必要がある。

過去300年は宗教が次第に重要性を失っていったように見える。しかし神に変わって自然法則の宗教が台頭している。自由主義、共産主義、資本主義、国民主義、ナチズムといった新宗教である。
これらは宗教ではなくイデオロギーだと言われるが、超人間的な秩序の信奉に基づく人間の規範や価値観の体系を宗教とするなら、これらは紛れもなく宗教である。

科学革命

無知の革命

1492年、スペインから西に向かって航海したコロンブスの探検隊は、未知の大陸にぶつかった。しかしコロンブスは東アジアだと信じていた。数千年もの間、世界はヨーロッパとアフリカとアジアしかなかった。聖書にもそんな大陸の存在は書かれていない。
当時、人々は神は世界のすべてを知っており、それは聖書に書かれている、自分が知らなければ、聖職者に聞けばよいと考えていた。聖職者に聞いてもわからないことは、神が重要でないと判断したことであり、知る必要のないものであった。

コロンブスの航海の後、1499年から1504年にかけてイタリア人の航海者アメリゴ・ヴェスプッチがアメリカ探検に参加し、コロンブスの発見した土地は、東アジアの島ではなく、これまで誰も知らなかった一つの大陸であるとの書簡を刊行した。
これを受けて、1525年にサルヴィアーティが刊行した世界地図には空白があった。この未知の大陸がは、アメリゴにちなんでアメリカと名付けられた。

サルヴィアーティの世界地図

「私たちにはわからないことがある」ということが認められるようになり、空白に引き寄せられるように、ヨーロッパ人が遠征を行うようになった。

その遠征は探検と征服を目的としており、虐殺と征服によって植民地のネットワークを広げ、グローバルな交易ネットワークを編成した。スペイン人はカリブ諸島のほとんどを征服し、虐殺し、奴隷化した。アステカ帝国を滅ぼし、インカ帝国を滅ぼした。メキシコの先住民族も同じ運命にあった。虐殺とスペイン人が持ち込んだ病気により、アメリカ大陸の先住民の人口は1割にまで減少した。

このようにしてヨーロッパ人はアメリカ大陸、オセアニア、大西洋、太平洋で圧倒的な支配権を享受し続けた。オスマン・トルコ、ペルシア、インド、中国もヨーロッパが支配した。

帝国と科学

帝国と科学は一体であった。水平線の向こうにはなにか重要なものがある、探索して支配すべきものがある。支配するためには知る必要があり、科学は帝国の事業であった。帝国の支援によって近代科学は大きな進歩を遂げた。そして科学者は帝国主義の事業に知識やテクノロジーで貢献した。

資本主義のマジック

歴史の大半を通じて、経済規模はほぼ同じであった。人口増大と土地の開拓により全体の生産量は増えたが、一人当たりの生産量はほとんど変わらなかった。
しかし科学革命以降、経済は指数関数的に増大している。その秘訣は「成長への信用」である。

マクド氏がベーカリーを作りたいと思い、銀行に100万ドルを貸してほしいと申し出る。銀行は、マクド氏のパンならたくさん売れて、数年後には100万ドルの利益を出せるだろうと判断し、融資に応じる。このとき、銀行はマクド氏の通帳に100万ドルと記入するだけである。マクド氏はベーカリーの建設をストーン氏に依頼して、100万ドルを支払う。銀行はマクド氏の通帳の100万ドルをストーン氏の通帳に振り替える。
このように銀行が貸出を行うことで、お金、ここでは銀行預金が作りだされる。これを信用創造と言う。

このようなことが成り立つのは、「経済は成長する」「未来のパイは今よりも大きくなる」とみんなが信じているからである。科学革命により、進歩という考え方が登場し、今日より明日のほうが富の総量は大きくなると信じるようになったのである。
この信用が経済成長をもたらし、経済成長が将来への信頼を強め、さらなる信用への道を拓いた。

コロンブスは探検に必要なお金を調達するため、ポルトガル、イタリア、イングランドの国王に投資を呼びかけたが、ことごとく断られた。最後にスペインのイザベル女王を説得して投資を承諾させた。そしてイザベルの投資は大当たりだった。スペインは金銀の鉱山を開発し、サトウキビやタバコをプランテーションを建設し、大きな富を手にすることができた。
それ以降、君主や銀行家は、探検の将来性に大きな信頼を寄せるようになり、コロンブスの後継者に投資するようになった。

産業革命

近代の経済は、未来に対する信頼と、利益の生産への再投資により成長した。経済成長には、原材料とエネルギーが必要で、どちらも有限だ。無くなるとシステム全体が崩壊する。
しかし直感には反するが、エネルギーと原材料の使用量が過去数世紀で爆発的に増えたものの、私たちが使用できる量は増加している。科学とテクノロジーへの投資により、新しいエネルギーと原材料が見つかった。

1700年頃の原材料は木と鉄だったが、今日ではプラスチックやアルミニウムなど多様な材料が使える。荷車は牛や馬が引くしかなかったが、今日では、ガソリンや原子力発電で作った電気が使える。
長い間、火は暖をとったり、煮炊きするのには使えたが、ものを動かすことはできなかった。火薬は花火にしか使えなかった。

火薬の発明から600年たって、大砲が開発された。熱が運動に変わったわけである。
それからさらに300年がたった1700年頃、蒸気機関が発明され、炭鉱の水を汲み出すのに使われ始めた。産業革命の始まりである。
その後の数十年で蒸気機関は織物生産に使われるようになり、安価な織物を多く生産できるようになった。
1825年には蒸気機関車が登場し、わずか20年で何万キロもの鉄道線路がイギリスに敷設された。

蒸気機関車

産業革命はエネルギー変換における革命だった。私たちが使えるエネルギーに限界がないことを、再三立証してきた。原材料の不足も新しい材料を開発することで実質的に解消できた。
農業や畜産業が工業化され、野良仕事から開放された人手と頭脳は工場やオフィスで、空前の量の製品を世に送り出した。供給が需要を追い越し、ショッピングの時代が始まった。
富めるものは強欲に、お金をさらに儲けるために投資し、一般大衆は自らの渇望と感情に従って、ますます多くを買う。

家族とコミュニティの崩壊

産業革命以前、日常生活は家族と地域コミュニティの中で営まれていた。家族やコミュニティに所属している限り安心であるが、そこから出ることはほとんど死を意味していた。
産業革命は労働者、事務員、教師、兵隊などを必要とし、そのために家族やコミュニティの絆を弱めた。国家や市場は「個人になるのだ」と呼びかけた。「親の許可無く誰とでも好きな人と結婚すればよい」「好きな仕事をすればよい」「好きな場所に住めばよい」「家族やコミュニティに依存しなくても、国家と市場があなたの面倒をみる」

文明は人間を幸せにしたのか

過去500年間に驚くべき革命が相次ぎ、地球は単一の領域に統合された。経済は指数関数的な成長を遂げ、人類はかつてない豊かさを享受している。科学と産業革命で超人間的な力と無限のエネルギーを手に入れた。

それで私たちは以前より幸せになっただろうか?

幸福は測ることができるのだろうか。幸福が心の状態であるとするなら、アンケートを取ることで測ることでできる。心理学者が麻薬中毒者にアンケートをとり、全員が「ヘロインを吸っているときが最高に幸せ」と言ったからといって、心理学者はヘロインを勧めるのだろうか。
心の状態を決めるのはセロトニン、ドーパミン、オキシトシンなどのホルモンであり、脳内の電気信号である。それなら薬品によって幸せになることができる。ヘロインも薬品の一つである。

一方、幸せかどうかは、その人の人生が有意義で価値あるものとみなせるかどうかにかかっているという説もある。しかし人々が自分の人生に認める意義は、いかなるものも妄想にすぎない。その時代の支配的な集団妄想に、個人的な妄想を一致させること、周囲の人々の物語(ナラティブ)に沿うナラティブを持つことで、幸せになることができる。

仏教は、自分の感情はすべてつかの間のものであることを理解し、感情への渇愛をやめたときに苦しみから開放されると説く。瞑想によって感情の追求を止めることで、心の緊張が解け、澄み渡り、満足する。どんな感情もあるがままに受け入れることで、今この瞬間を生きることができる。

幸福に関して、このように我々が理解していることのすべてが間違っているのかもしれない。最大の問題は自分の真の姿を見抜けるかどうかだ。結論を出すには時期尚早である。

人類の歴史理解にとって、それが各人の幸せや苦しみにどのような影響を与えたのかについては、誰も何一つ言及していない。わたしたちは、この欠落を埋める努力を始めるべきだろう。

第二次認知革命

ホモ・サピエンスは認知革命により、他のあらゆる生物を支配し、地球上の頂点にたった。しかし、これまでは生物としての限界を突破することはできなかった。

21世紀になり、ホモ・サピエンスは自然選択に代わって知的設計をしようとしている。
世界中の研究室で、科学者たちが遺伝子工学を使って生き物を操作している。自然選択ではなく、知的設計による生命の誕生は、数千年という視点ではなく、何十億年という宇宙の視点で理解する必要がある。

このような試みには、遺伝子操作による品種改良や生命創造、サイボーグ、非有機的生命がある。
遺伝子組換え作物はすでにありふれており、遺伝子操作では、人工的にウイルスを作ることが可能である。大腸菌のDNAを操作して、薬品工場にすることもできる。
サイボーグでは、義足、義手、メガネ、補聴器などはすでに普及している。脳に電極を埋め込み、外部のコンピュータと接続して、超人間を作るという試みもなされている。

そしてなにより重要なのは人工知能(AI)の急激な発展である。
2022年にChatGPTが公開され、大きな話題となった。その後の生成AIの進歩は急激であり、2024年時点では、人間との会話はもちろん、作家、詩人、シンガーソングライター、画家、映像作家などにもなれる。

AIはまだその揺籃期にあるが、赤ん坊のような現時点のAIでさえ、これまで人類が発明してきたどんなものとも根本的に異なっている。
石斧で木を切るのか、人を殺すのかは、それを使う人間が決める。石斧自身が自分で決めることはない。火薬も、原子力も、どう使うかは人間が決める。
しかしAIは、自ら決定を下すことができるツールである。自動運転車は、自分で判断して走行する。殺人ドローンは、自ら対象を見つけ出し、自らの判断で引き金を引いて、対象を殺す。

それ故にAIは私たちから決定する権限を奪う恐れがある。
またAIは新しいアイデアを生み出したり、全く新しい物語を考え出したりできる。

人類は物語を創作する能力を持ち、それが認知革命になった。
AIがその能力を持ったら、どのような物語を考えつくのだろう。
AIが物語を語る技を身に着けることが、人間の歴史の終わりにつながる可能性が十分にある。これは第二次認知革命であり、あらたな歴史、非有機的生命体、シリコン生命体による歴史が始まるということだ。

AIが人類の文化を引き継いだ時、歴史はどうなるのだろう。
当初は人間文化を手本として模倣するだろう。しかし月日が過ぎるうちに、AIの文化は人間が行ったこともないところまで大胆に歩を進めるだろう。その時にはもう後戻りできない。

サピエンスはどうなるのだろう。農業革命で小麦の家畜になったように、AIの家畜として働くのだろうか。それとも邪魔な存在として絶滅に向かうのか。
今時点では物語を語っているのは私たちであり、この強大な力を使って、これから先に影響を与えることができる。今ならテクノロジーを思い通りに形作ることができる。
次の問に答える時間はまだある。

私たちは何を望みたいのか?

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