一人酒の流儀(中華料理屋編)
僕は飲みに行く時は概ね一人が多い。
なぜなら、一人が楽だからだ。
もちろん、友人と二人で飲みに行くのも好きだ。しかし、この年になると、お互いの生態系が違いすぎる。
方や家畜、方や放牧、方や野生。
方や水族館、方や養殖、方や遠洋。
違いを違いと分かったうえでお付き合いするのが宜しい。
一人酒は楽だ。一人酒は楽しい。そして、少しさみしい・・・・
好きなものを食べ(「これ食べたいけど頼んでいいかな?」)
好きなものを呑み(「ワインボトルで飲みたいけど・・・・」)
自分のペースで楽しめる(「まだ向こうは、お替りしてないから飲むペースおとそう・・・・」)
遠慮は無用だ。しかし、反対に一人の酒飲みとしての資質が問われる。
そんな、僕の一人酒の流儀を綴りたいと思います。
どうも性癖をさらけ出すような感覚と似ていて少し恥ずかしいが、考えてみると、自分の性癖をばらしたこととか、文章で述べたこともない。この表現は正確ではないだろう。
さて、中華料理は好きですか?
でも、中国では中華料理と言っても通じないのはご存知ですか?
僕は中華料理が大好きです。
どれくらい好きかというと、和・洋・中の中で三本の指に入るくらい大好きです。
大人数で円卓で食べるような高級料理店も好きですし、街中華も好き。
街中華と高級料理店の間くらいの中華料理屋が一番好きです。地元神戸には南京町を始めそれくらいの店が数多くある。
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時刻は21時を過ぎている。これくらいの時間だったらすいているだろう。
扉を開けると喧騒と熱と鍋の音という中華料理屋独自の出迎え方だ。
こじんまりとしたこの店はカウンターが10席ほど。そして、奥にテーブル席が二つほど。細長い形状の店だ。
一人で中華料理をあてに酒を呑むのがちょうどいいサイズだ。
私が1名客であることを確認すると「こちらへどうぞ」
とカウンターの真ん中の席に案内された。
中華料理屋ではカウンターがいい。
厨房で作っている姿を見れるのが抜群にいい。炎を操り重たい中華鍋を鮮やかに操り、数々の料理を作っていく様は魔術のようだ。
そんなことを思いながら、メニューをにらむ。
まずは、ビールだ。青島の小瓶いいじゃないか。それを頼む。
早くつまめるあてがいい。
中華風のきゅうりのたたきに、皮蛋を頼む。
それと外せないのが蒸し鶏だ。蒸し鶏を見ると注文せずにいられない性質なのだ。
すぐにきゅうりのたたきと冷えた青島ビールの小瓶がカウンターから提供された。
このスピード感が最高にいい。
そして、こういう店では青島ビールの小瓶であることがうれしい。
私はこういう店では油っこい酢豚やから揚げなどをまず注文しないので、油を流し切るビールをそこまで飲むことはないからだ。
きゅうりのたたきとビールで喉を開いて、皮蛋がテーブルに到着するのと同時に紹興酒を2合、燗で頼む。
店主は嬉しそうに「紹興酒を燗ですね」と言った。
メニューを見る限り紹興酒にもこだわりがあるようだった。しかし、日本人ではなかなか紹興酒はハードルが高い。注文する客も少ないのだろう。
私は、中学生のころには大嫌いだった祖父に連れられて中華料理屋に行き、祖父に紹興酒の楽しみ方を教えてもらっていたので紹興酒は大好きだ。
残ったビールで皮蛋をちまちまとつまむ。
皮蛋もその風貌と癖のある香りで食べれない人が多いようだが、私は大好物だ。あの形状にしてしまい、かつ、あの味をだすという中国人の食に対するどん欲さを感じられる。
蒸し鶏が来る。骨付きのぶつ切り感がちょうどいい。価格が押さえられている分、量もつまむにはちょうどいい。思った通りだ。
ビールが空になって私は少し焦る。紹興酒が来るまでしばし我慢だ。
きゅうりをつまみながら2分ほど待つ。
きた、琥珀色の液体が蒸気をたてている。
小さなガラス製の酒器に手酌でやる。熱で紹興酒独特の香りがさらに強くなってむせ返りそうだ。これがいい。一口なめるように紹興酒を呑んで私は頷く。皮蛋をひとかけら口に放り込む。咀嚼し、さらに追って紹興酒を流し込む。
やっぱり中華には紹興酒だな。私は何度もうなずきながら今度は蒸し鶏にも手を付ける。思っていた以上に弾力があり鶏の旨味がすばらしい。葱ソースも抜群だ。
そして紹興酒も飲む。
店主は気遣ってかチェイサーも一緒に出してくれた。紹興酒初心者かと思われたのだろうか?こちとら15の夜から紹興酒好きだわい。心配はご無用。
しかし、そんなことをおくびにも出さずありがたくいただいておく。
水餃子を頼む。
街中華では餃子は焼き餃子だが、こういう店では水餃子がいい。迷わず水餃子だ。私は餃子が好きだ。神戸の有名どころの餃子屋で育ち今では王将も好きだが、外で食べることは基本的に抵抗がある。ラーメン屋で餃子を頼むのもあまり好みではない。じつは 家の餃子が一番おいしいと思っている。
そんな感傷にふけりつつ、「また、餃子でもつつむか・・・・」と紹興酒、皮蛋、蒸し鶏をちびちびとやる。
水餃子が届けられた。
大ぶりな餃子が7つ。もっちりとした皮が魅力的だ。
水餃子は焼き餃子のけばけばしさとは違う少し品のある様態。蒸し餃子になるともう少しきらびやかになる。
うっすらと透けた皮から餡の白菜が見え隠れする。少しエロティックだ。
着飾った高級な艶やかな女より、私にはこれくらいのコンサバティブの感じがいい。
「水餃子みたいな女がいい。」というと、また「頭大丈夫?」と言われるだろう。
酢醤油、そして、からしをつけて水餃子を食す。
思った通りだ。
紹興酒を流し込む。
水餃子は時間との勝負だ。幼少のころ母親にも随分せかされたものだ。冷めてくると、せっかくの皮の食感も台無しになる。台無しになる。
焼き餃子にはビールもいい。油をきってくれるからだ。ただ、水餃子、蒸し餃子となるとやはり酒だ。それも紹興酒がいい。紹興酒の酸味と甘みとが水餃子をどっしりと受け止める。
「水餃子みたいな女を受け止められる、紹興酒みたいな男でいたい」
そう、言ったら友人は私の前から姿を消していくだろう。それでも残ってくれる友人こそ本当に友人かもしれない。
またどうでもいいことを考えていたら、紹興酒は空になってしまった。
餃子は2個残っている。追加の酒を頼むには中途半端だし、あてを頼むには腹が膨れた。
残り2個は店主が出してくれたチェイサーでいただいた。少しもったいない。前半の皮蛋と蒸し鶏で紹興酒を飛ばしすぎたか。もう1本ビールでもよかったか・・・・
そう思いつつ、長っ尻は野暮なので、会計を頼んだ。
店に入って20分ほど。一人酒にはいい時間だ。
若い店主は爽やかに「ありがとうございます。」といい、それから「紹興酒、口に合わなかったですか?」と聞いてきた。
最初は質問の意味が分からなかった。
なるほど、紹興酒がきて10分ほどで店を出たので、飲みきれなかったと思ったのだろう。
私は空になった紹興酒の器を見せると「美味しかったです。ごちそうさま」と笑顔で店を後にした。
店主もほっとしたように笑顔で送ってくれた。
「こちとら15の夜から紹興酒好きですので」そう言う言葉は飲み込んだ。それを言ったらやっぱり野暮になる。
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一人酒はいい。一人酒は気楽だ。
好きな皮蛋も蒸し鶏も独り占めだ。好きな紹興酒も気軽に飲める。
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