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60代ASD、初の海外(トルコ)に挑む(20)旅の終わり


イスタンブール空港

イスタンブール空港は中心街からバスで1時間ほど。
東西を結ぶ実に巨大な空港である。
運転手さんとはここでお別れ。チップを渡したかったが、どうしたらいいかわからなかった。
着いたはいいが、私たちの乗る便はまだ表示されてすらいない。
そしてもちろんのことだが、日本語表示がない。

出国手続きなどなど

とにかくスーツケースを預け、税関等の手続きを進める。自分が何に並んでいるのか、並んだ先で何をしなければいけないのか、疲れ切った頭では十分理解ができない。
機内持ち込み用のバッグは空にしてスーツケースに入れたので、それを預けてだいぶ身軽になった。ショルダーバッグとウェストポーチだけだ。

ただ、パスポートをいちいちウェストポーチから出し入れしなくてはならないのは、疲れを加速した。まあ、スタンプが欲しいから出す、という場所もあったので自業自得かもしれない。
とにかく何とか出国ゲートを通った。どこの搭乗ゲートから飛行機に乗るかは、まだ全く分からなかった。

お土産品

旅行中にいくつかお土産品を買った。だが、そのほとんどが個人的なものだ。流石に2週間家を空けるとなれば、あちらこちらへと連絡せざるを得ず、私がトルコに行くことは各所に伝えざるを得なかった。

そういうところに対する「お土産」は分けられる食べ物がいいというのは聞いていた。空港内の免税店は、とにかく最後のお土産品購入場所だ。
それにしても広すぎる。店も多い。
見て回るうちに疲れはさらにたまり、何にしたらよいか考える力はますます落ちる。
結局私が選んだのは、数箱まとめて売っていた、トルコ土産としてはよく知られたお菓子だった。(幸いにもこのお菓子は各所に好評だった。まあ、もらったお土産をほめない人は少ないだろうから、そういうことかもしれないが)

帰路

現地時間真夜中過ぎ、ようやく搭乗ゲートが表示されてそちらへ移動。機内の移動は大変なので、トイレに行っておく。
席は行きと違って3人並びの真ん中だった。右隣りは知らない人だったが左隣はツアーで一緒だった人で、大いに安心した。見たところ満席に近いようだ。

帰りは地球の自転方向と同じ向きに飛ぶ。自転と飛行速度が足し算されて、あっという間に朝が来る。しかし、出発したトルコの時間ではまだ夜なので、窓のカーテンは閉められ外の光が入ってこない。皆寝ている。

行きと同じように前席のディスプレイで飛行経路をずっと見ていた。黒海南岸を陸をかすめるように飛び、コーカサス山脈の南側を通ってカスピ海を横断する。いわゆる「シルクロード」に近いルートを行きよりもやや直進した。

北京近くで段差のように進路を変えた。偏西風を利用しているからなのかもしれない。

羽田到着

日本に入る少し前にはまた日が暮れた。南東から千葉県上空を横切って、驚くほど急に高度を下げていく、と思ったらなんとそのまま羽田に着陸した。
実に気持ちのいい着陸だった。
どうやら上空に強い北風が吹いていたおかげで、着陸が楽だったらしいと後で聞いた。

長野に帰るには遅い時刻だったので、空港近くのホテルを予約してあったが、私の体調を心配した弟が迎えに来てくれた。疲れが出てきて入国手続きにもたもたしていたほどだったので、本当に助かった。ホテルまで送ってもらい、翌日の新幹線で長野に帰った。

これで旅行そのものは終わりとなったが、この旅行を通じて、私はたくさんのものを得た。それらについて次の記事で書いていきたいと思う。

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