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成功の定義?

あるきっかけがあって、仕事から「自分にとっての成功とは何か?」を考えながら帰りました。

今までは何を得たら成功か?ということを考えていたんですが、「失ってはいけないものを失わない」こともまた成功だなと、いう気がします。

たとえば、事業の売り上げがたとえどんなに伸びても、奥さんと娘たちに愛想をつかされてしまったら私にとっては失敗です。何兆円手に入れても嬉しくない(-_-;)

また、自分の目標やら理想やら仕事のために、家族がいろんなことを我慢するのもなんか違うなと。なぜなら、これって自分のエゴを家族に押し付けているわけで、何ら正当化できないのです。家族的には「知らねーよ」ってなもんです。子どものころ「仕事だから」という理由で、親父に日曜日に行く予定だった西武遊園地をキャンセルされたときに、私は「仕事??知らねーよ、約束は約束じゃん」と思いましたし、今でもそう思います(笑)

そんなわけで、家族にハッピーになってもらいつつ、自分の目標や理想は追い続ける。どちらも全力で。高いレベルでバランスする必要があるなあ。。。と思いました。

自己実現的なやつを追いかけるのって、子どものうちだけなら罪はないですがいい年こいてやることじゃない気がしますね。自己なんてものは、他者とセットでしか存在しえないんですから、自己実現(やりたいことをやる、なりたい自分になる)は自分の周りの関係性ごと視野に入れるのが自然なんじゃないかなあ。

なにせ、どんな自分になろうと、それは周りの人がいないと「存在しない」のと同じだし、何かをやろうにも自分以外の人がいなければ意味がないですから。全ては自分以外の誰かがいるから、できることです。自己実現ですら。

最後に小話を一つ。

ある日、若者が人生で成功する方法を知るために、賢者を尋ねた。賢者の宮殿のように巨大な家につくと、そこには賢者に会おうとする人が列をなしていた。三日三晩並ぶはめになったが、並んでいる間に見た賢者の屋敷の庭、調度品、装飾はそれはそれは素晴らしい物だった。

若者は自分が賢者に質問する番になったとき、すかさずこう尋ねた。「人生で成功する方法を教えて下さい」

賢者は、若者にスプーンを手渡すとそこに一滴の油を垂らしてい言った。「スプーンから油をこぼさないように注意しながら、屋敷の中を自由に歩き回って見ておいで。気の済むまで屋敷の中を、お前が見てきてからもう一度話をしよう」

最初、若者はスプーンから油をこぼさないようにスプーンばかり見ていた。しかし、それでは賢者の言いつけを守ったことにはならない。スプーンばかりを気にしていたら屋敷の中を見ることは出来ないからだ。だから、若者はスプーンを注意しつつ、屋敷の中を観ようと試みた。始めの内、スプーンと屋敷を交互に見ていた。

屋敷の中には、美しい庭があり見たことのない植物、色鮮やかな南国の花、まだ食べたことのない香しい甘い匂いのする果物や、相談に訪れる人びとに振る舞われている世界中の料理、壁にかけられたこの世のものとは思えないような美しい絵画の数々、真っ白な大理石で作られた見上げると首が痛くなるほど巨大で精巧な彫刻、壁に置かれた深い青に金色の装飾が施された水差し、象嵌細工で飾り付け上げられた棚、若者はすっかり魅入られてしまった。そして、それらの素晴らしいものを見るために歩きまわって、気が付くと賢者の部屋に再び戻ってきた。

賢者は、若者に尋ねた。

「スプーンの中に油はどれくらい残っている?」

若者はハッとして、スプーンに目をやった。スプーンの油はすっかり空になっていた。

賢者は言った。

「人生の成功とは、
 スプーンの油をこぼさずに世界の素晴らしさを味わうことだ」

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