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中前りおん「私に期待してくださる方が増えるように、自分らしさを追求していきたい」

YouTubeで600本を超える動画を公開中

Mr.Childrenさんの「Any」っていう曲を聴いて「こういう詞を書きたい!」

――まず初めに中前さんがシンガー・ソングライターになるきっかけとなった作品、アーティストについて教えていただけるでしょうか?
中前 宇多田ヒカルさんの歌を初めて聴いた時に「カッコイイ!」って、すごい衝撃を受けて。歌詞カードを見たら“作詞作曲:宇多田ヒカル”って書いてあって「自分で書けるんだ!?」って思って、宇多田さんのようなシンガー・ソングライターという存在への憧れが生まれた気がします。
――「Automatic」や「Movin' on without you」の頃?
中前 そうです。それでも自分でも歌を書いてみたいっていう気持ちはありながら行動に移してはいなかったんですけど、それから3~4年経ったところでMr.Childrenさんの「Any」っていう曲を聴いた時に、その内容と自分にリンクするものがあるのを感じて「こういう詞を書きたい!」って明確に思ったんです。そこから歌詞ではないんですけど、自分の心の中にあるモヤモヤしたものをノートに書き留めていくようになりました。
――誰かの歌を聴いて自分も歌いたいと思ったのではなく、自分も作りたいと思ったんですね。初めから“歌いたい”ではなく“作りたい”と思っていたのは何故だったんでしょう?
中前 何故…? 確かに、そうですね…。どうしてだったんだろう? ちょっと振り返ってみていいですか? 母親がオペラ歌手をしていて、父親はいろいろな国の音楽を聴く人だったんです。生まれた時から家の中には様々な音楽が流れていて、そういう環境の中で自然に音楽には親しんでいたんですけど、主に海外のものだったので、メロディーやサウンド、ハーモニーなんかが心地いいなと思っていたんです。それが宇多田さんやBoAさんをきっかけにJ-POPを聴くようになったら日本語の歌詞が心に響いてくるのを感じるようになって、一番最初に強い共鳴を覚えたのが「Any」だったんです。単に歌うのではなく、自分の心の中にあるものを言葉にして伝える、それも音楽に乗せてっていう、宇多田さんやミスチルさんの表現の仕方に強く惹かれたことが、自分でも作りたいと思わせた気がします。

思ったことを言葉にして伝えるのが上手くなかった

――歌は「作りたい」と思っても簡単にできるようになるものではないと思います。どのように曲作りの方法を身に付けていきましたか?
中前 最初はさっき言ったノートです。もともと思ったことを言葉にして伝えるのが上手くなかったので、本当は言いたかったこととか思っていたことを、自分がわかればいいと思って書き留めていたんです。それが歌詞を作る原型ですね。その後バイトをしてボイストレーニングに通うようになったところで先生からコードというものを教わって、コードとメロディーの関係なんかを知ったら感動して面白くなってしまって、そこから自分で曲を書くようになりました。それ以前から自分の好きなメロディー、書きたいと思う曲調みたいなものが或る程度自分の中にあったので、曲を作ろうと思ったら意外にすぐに書けたんです。それでボイトレの先生に聴いてもらったら褒めてくれたのがすごく嬉しくて沢山書くようになりました。
――それは高校生の頃?
中前 そうですね。それでオーディションに応募したり、ライブをしたりするようにもなって、次第に自分の声が活かせるメロディーとか自分らしいと思える歌詞を感覚で掴んでいって、歌っては書いて、書いては歌ってというのを重ねながら今日に至るっていう感じです。

「私は上手いんだ」っていう謎の自信

――作曲は初めからピアノで?
中前 たぶん幼稚園に入った頃にはもう習い始めていて小学校4年生まで続けていたので一応弾けるようにはなっていましたので。母親が弾けたので娘も当然のように教室に通わされて。でも練習が嫌いで、ピアノの前に座るのも嫌になって小4でやめてしまったんですけど、やめたら何故か好きになって積極的に弾くようになったんです。
――押し付けられたり強制されたりするのがとても嫌いな、我が道を行くタイプの人(笑)?
中前 そうなんだと思います(笑)。
――歌については、いつ頃から自分が得意なことを自覚していましたか?
中前 才能があるかないかは今もわかりませんけど、小学生の時に入っていた合唱団でソロを多く歌わせてもらったり、学校の帰り道に歌って友だちに褒められたりしているうちになんとなく「私は上手いんだ」っていう謎の自信が生まれていた気がします。
――合唱を始めたきっかけは?
中前 友だちに誘われました。
――ピアノは両親の勧め、合唱は友だちの誘いと、いずれも自発的なものではないんですね。
中前 そうです。歌を作り始めるまでは自分から動き出してはいなくて。
――そこでようやく表現という卵の殻が破れたような…。
中前 そんな感じだと思います。

宇多田ヒカルと椎名林檎

――“思ったことを言葉にして伝えるのが上手くなかった”とのことですが、歌詞を書くのは大変ではありませんでした?
中前 メロディーがあるせいか、話すよりは自然に言葉が湧いてくる気がします。
――そして具体的に人前で歌うようになったのが大学時代?
中前 そうですね。高校の時とは別のボイトレの先生から発表会に出てみない?って声を掛けていただいて、他に何を歌ったか思い出せないんですけど1曲だけオリジナルを披露しました。
――その後徐々に音楽活動が忙しくなる中で卒業後のことも考えなくてはいけない。就活はされたんでしょうか?
中前 一応しました。でも、小学生の頃から漠然と歌手になりたいっていう気持ちがあったのが、ライブに出るようになって強くなったんです。それで就活をやめて現在の音楽事務所に入りました。
――その歌手になりたい気持ちを起こさせたのが宇多田さんだった?
中前 そうですね、あとは椎名林檎さん。それ以前から歌うのが好きだなって思ってはいたんですけど、そういう気持ちが強く刺激されました。

事務所のマネージャーにお尻を叩かれながら

――YouTubeでは海外の方からのコメントも多くて、それは英語の発音が良いせいもあると思いますが、どのように習得されましたか?
中前 習得できてはいないし、自信があるわけでもないんです。それにコメントをいただいている方々の評価には甘くしてくださっているものが多いと思うんですけど、発音は学生の頃から褒められてはいました。やっぱり好きで洋楽や洋画で英語に触れる時間が多かったからかなと思います。
――YouTubeではこれまでに600本を超える動画を公開していらっしゃって現在も定期的に配信中です。とても生真面目で持久力のある方だと思います。
中前 そう評価されますか(笑)? 私自身は気持ちにムラのあるタイプなので一人だったら続いていなかったと思うんですけど、事務所のマネージャーにお尻を叩かれながらなんとかやっています。
――やはり、そういうことでしたか(笑)。“やはり”というのは、アーティスト気質の方にはいわゆるムラのある方の方が多いと感じているからで、そのムラも作品を生む要素になっていると考えているんですが、ではYouTubeでの選曲はどのようにされていますか?
中前 当初はその頃シティポップスが人気だったので、シティポップスや自分の好きな曲を取り上げていたんですけど、続けているうちに人気の傾向が見えてきて、そうしたらやっぱり宇多田ヒカルさんの曲を歌った時の反響がとても多かったんです。もともと自分が好きな方でしたから嬉しいしやり甲斐も感じるようになって、気が付いたら宇多田さんの曲の割合が高くなっていました。
――マニアックなくらい宇多田作品が多いですものね。
中前 そうなんですよね。もう全曲制覇を目指そうかって気にもなるくらい(笑)。

みんなで楽しいと思えることを大事に

――YouTubeを利用することによって海外も視野に入れた活動が可能になってきましたが、中前さんとしては今後どのように展開していこうと考えていますか?
中前 幸い日本以外の方々も私の動画を観てくださっているので、需要があるならば海外へ行って歌うなんていうことができたらいいなぁとは思っています、需要があるならば、ですけど。
――寄せられているコメントは需要の一端だと思います。可能性はあるでしょう。元はアップテンポの曲をバラードにアレンジして聴かせたりオリジナリティーも高いと思いますし。
中前 カバーする時に原曲通りに歌うっていうのは私としてはあまり面白いと思えないので、自分勝手ですけど私なりのテンポとかイメージに合わせてカバーさせてもらっています。ただ自分の感覚だけで進んでしまうと一人よがりになってしまう可能性があるので、なるべく聴いてくださった方の感想や意見を吸収して、私個人ではなくてみんなで楽しいと思えることを大事にするようにしています。“お客さん”という存在を考えたら当然のことですけど、活動を始めた頃はそこまで意識できる容量がなかったので、これは多少なりとも成長できたところではないかなと思ってます。

“気がする”から“自信がある”というレベルにまで持って行きたい

――動画へのコメントは曲作りやパフォーマンスをより良いものにする上で大切ですが、ライブでの生の反応もとても重要だと思います。現在ライブ活動の方はどのような状況ですか?
中前 それがコロナが流行して以降まったくできていなくて。ライブができなくなってからは活動の場をYouTubeに切り替えていて、今後ライブを開くなら自分のアーティストとしての方向性や活動方針をもっと明確なものにしてからかなと考えています。以前ライブに来てくださっていた方たちのためにもそろそろステージに立たなければと思っているんですけど、中途半端な状態ではいけないという気持ちがあって。
――コロナ禍でライブを離れていた間に、中前さんの中に様々な変化が生じているでしょうから、それがどのような形で現れるか、ご自身でも楽しみなのでは?
中前 そうですね。その変化についてどんな反響が返ってくるか考えると楽しみにばかりはしていられないところもありますけど、今の私としては多少は「良くなったよね」とか「面白くなってきた」って言っていただけそうな気がしているので、それを“気がする”から“自信がある”というレベルにまで持って行きたいと思います。

“自分らしさ”をより受け入れられやすい形で

――シティポップスへの評価や藤井 風、YOASOBIといったアーティストの活躍によって日本の音楽が世界中から注目されるようになっています。中前さんにとってはチャンスだと思いますが、現状をどう捉えていますか?
中前 私が活動を始めた頃の女性アーティストは、西野カナさんやmiwaさんのような主に恋愛ソングを歌う方が主流だったんです。その流れに自分も乗らなければいけないんじゃないかと思って、合わせているようなところもあったんですけど、振り返ってみると上手く合わせられてはいなかった気がします。それが今は“流れに乗る”とか“合わせる”とかではなく“自分らしさ”をより受け入れられやすい形で届けるにはどうすればいいか?って考えるようになってきました。
――そうした自分の意識の持ち方や考え方が合っているか、ズレていないかといった判断を委ねられるよう存在はいますか?
中前 本来それはファンの方なんでしょうけれど、お話ししたように今はライブができていないので一番は母ですね。と言っても母に関して言えばコロナ禍に関係なく以前から私にとっては一つの指標になるような人だったと思います。私もかなり感性とか感覚に任せて生きている人間ですけど、母はそれ以上に感性の人で、その反応や言葉はある時には残酷なくらいですけど、別の時には涙が出そうになるくらい真っ直ぐで正直なんです。
――身近にそそういう人がいるのは心強いですね。
中前 そう思います。事務所のマネージャーもそうですけど、ストレートに自分を評価してくれる人がいて、私は恵まれた環境にいると思います。

オリジナル作品「Hidden Heart」

「世紀末青リンゴ学習塾」と「あくたの死に際」がおススメ

――最近のお気に入りのアーティストを教えてください。
中前 私って声フェチなんですけど、ビーバドゥービーっていうシンガー・ソングライターの声が本当によくて大好きです。
――中前さんも歌声の評価にも高いものがありますから、世界中の声フェチのハートを掴めることを祈りましょう。
中前 ありがとうございます(笑)。以前は方向性とかビジョンみたいなものを意識せずに歌っていたんですけど、これからはそういうことも大事にしながら、中前りおんという人間が持っているものを、今の時代に、共感しやすい形で表現していくことをしっかりやっていきたいと思います。二十代を過ぎて、人として女性として伝えるべきことの幅も奥行きも広がっていると思うんです。それを嘘のない私らしい言葉やメロディー、サウンドで表現していこうと考えると、強い気持ちはあっても、それをまとめるのが大変で、曲作りについては少し苦しさみたいなものを感じているのも事実です。でも、今を乗り越えることで、以前よりも豊かで多彩な中前りおんの歌の世界を創れると思うので、立ち止まらないで進んで行きたいです。
――最後に音楽以外で最近のおススメを教えていただけませんか?
中前 LINEマンガの「世紀末青リンゴ学習塾」です。毎週更新されてるんですけど、面白くて続きを待てないくらいです。あと、マンガワンの「あくたの死に際」もおススメしたいですね。
――中前さんも更新を楽しみにされているYouTubeのファンの皆さんのためにも、より充実した活動をしていってください。今後の展開に期待しています。
中前 今日は自分が考えていたことや思っていることを言葉にしてまとめることができて良かったです。これからも私に期待してくださる方が増えるように、自分らしさを追求していきたいと思います。ありがとうございました!

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