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よく聞こえるけど、聴こえないこともある

ある由緒ある神社を訪れたときの話である。境内を散策していると、神社内の徒歩ツアーの看板が目に入った。普段は立ち入れない場所を神社の神職にある人が案内してくれるという。日に数回決まった時間に案内してくれているらしい。いわば神社のバックステージツアーいうことか。

せっかくなので参加することにした。

ツアーの予定時間に集合場所で待っていると、神職の衣装を着た人がやってきた。録音や撮影などは遠慮してほしいといった簡単な注意があった後に数人の参加者とともにツアーが始まった。

ツアーが始まったとたん、その案内人のスイッチが入った。

コースのところどころで立ち止まると、その案内人は、独特の抑揚の付いた流れるような語り口で、その案内ポイントの説明を始める。

名調子だった。心地よい、美しい歌声を聴いているような感じだ。

声も良く通り、活舌もよく、ゆっくりとした口調なので、すっかり聞きほれてしまった。

しかし、告白しよう。その案内人が語っていた内容はほとんど頭に残らなかった。素晴らしい歌を聞いて感動したけど、その歌詞がぜんぜん頭に残らなかったようなものか。

同じような経験は、ほかの場所でもある。

ある飲食店で、料理が運ばれてきたときのことだ。その定員は、さわやかな笑顔で、個々の料理名や食べるタイミング、調味料や薬味、おすすめの食べ方などをすらすらと説明してくれた。こちらは、フムフムと分かったような顔で聞いているが、実は頭の中にほとんど何も残らなかった。こういった経験を何度もしている。

ある時、同じように店員が話している途中で、同席者が唐突に質問を挟んだ時がある。その途端、それまでよどみなく話していた店員が、つっかえつっかえしながらの説明になってしまった。おそらくリズムが狂ったのだろう。しかし不思議なことに、つっかえながらの説明の方が、聴いている方としては内容が良く理解できたような気がする。

先の神職の案内人にしても、レストランの店員にしても毎日、場合によっては一日何回も同じ話をしていると、すらすらと口をついて口上が出てくるようになるのだろう。場合によっては、神職のように客を楽しませるための工夫を考える余裕も出てくるはずだ。しかし、そのことと相手に伝えるべき内容が確実に届くかどうかとは別だ。

すらすらとよどみなく話せば、相手の頭の中に届くとは限らないということを、自戒を込めて意識していきたいと思う。

先の神職の案内では、あまりの名調子に聞きほれてしまったのか、どの参加者からも質問が挙がらなかった。もし途中でだれかが口をはさんでいれば、もう少し話が頭に残ることになったのだろうか?きっといい話だったような気がするのだが。

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