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そちらが “激する” ほど、こちらは “冷める”

 新聞のテレビ欄、雑誌、ニュースの見出しなどで、”激” の文字をよく目にする。

 「〇〇が激怒」とあるので、〇〇さんはいったいどんな様子で怒りを表しているのだろうかと興味津々で本文を読んでみる。すると、何のことはない、〇〇さんが何か不満を述べていたとか、別の意見があって反論しているという程度のことだ。

 どうみても激怒している様子はない。

 そもそも本当に激怒している人は、しゃべらない。押し黙ってしまい人を寄せ付けないような雰囲気をまとう。だから、激怒している人が、記事にあるようにペラペラと言葉を並べることは少ないはずだ。

 もちろん、何か不平や不満がたまって、とにかくそれを吐き出したくなることはある。そういう場面では人はたくさんしゃべる。しかし、それを激怒と言うのははちょっと違うように思う。

 “激白” という言葉もどうも気になる。見出しにひかれて本文を読んでみると、実際には、聞かれたことに淡々と答えているだけということが多い。これまでより詳しく語られて新たな情報が加わることもあるが、”激” が付くほどの衝撃的な事実が明かされることは多くない。

 別にけしからんと言いたいわけではない。見出しはできるだけ人の目にひくキャッチーなものにしなければ、そもそも本文を読んでもらえない。だから “激” のような文字を使いたくなる気持ちはわかる。

 しかし、やたら強いことばをつかっていると、ことばがいずれ『インフレ』を起こすので、過度の使用には注意が必要だと思う。

 ふだん温厚な人が、ポロリと感情的な一言をもらすほうが、よほど激しくその人の気持ちを伝える効果がある。

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