プロパガンダ

 このところ、報道番組などで “プロパガンダ” という言葉をよく聞く。

 東西冷戦真っ盛りの頃、学生運動や労働運動が盛んだった頃、あるいは過去の世界大戦を振り返るといった文脈の中でよく耳にしたような気がする。日常会話で使うような用語ではないが、おそらくほとんどの人は、それなりに意味を理解して使っているのだろう。

 自分なりの解釈では、多くの場合、怪しげな情報で特定の方向に人を誘導しようとすることばや行為のことだと思っている。最近よく耳にする“フェイクニュース” に通じるかもしれない。

 ところで、”プロパガンダ” とは何語だろうか?母音で終わるので、少なくとも、響きは英語らしくない。

 手元の辞書や辞典をざっと調べてみた。最大公約数的に要約すると、「しばしば嘘や誇張を含む情報や宣伝、あるいは宣伝活動」といったところだろう。ラテン語由来で、1600年代にローマカトリック教会が布教のために使ったのが最初らしい。司祭を教育するための「プロパガンダ大学」なんてものもあったそうだ。

 と、ここまで調べた後に、”仕上げ” のつもりでネット検索をして Wikipedia をチェックする。驚いた。自分が数分かけて調べたことの数十倍、数百倍の情報がずらりと並んでいる。

 こりゃ、人間バカになるなー。ネット検索すれば、労せずして瞬時に大量の情報が手に入る。そして自分の中にはほとんど何も残らない。スマホやパソコン、タブレット、スマートスピーカーなどが手元にあればすぐに答えが返ってくるのだから。知識をため込む必要はないし、いろいろ情報源に当たって自分なりの考えをまとめ上げる努力も必要もない。それが今の時代なのか。

 間違いなくプロパガンダが紛れ込んでいる大量の情報の中に日々生きている我々は、プロパガンダに対する耐性を保てるのだろうか?期せずして、そちらへの恐怖心が湧いてきた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?