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希望とレジェンド

今日もいい空気・・・

 先日、9月28日サザンオールスターズの茅ヶ崎LIVEに行ってきた。

プレミアチケットと言われるぐらいのチケットに当選した!めちゃくちゃラッキーだった。

 サザンオールスターズや桑田佳祐さんのファン歴は短い僕なのですが、今はとても興味あり毎日、気に入って聞いている。

特に湘南方面にサーフィンの後はサザンや桑田さんを聞いて帰るのが,週末のルーティンになっている。

 音楽やセトリについて僕が語る必要はない。

一番の驚きはやはり、年齢を感じさせないパフォーマンスだろう。

山下達郎さんの時も感じたが、2~3曲歌ったら、MC、休憩・・・いやいやとんでもない。

ほぼ2時間半歌いっぱなしだった。去年末の桑田佳祐さんの年越しライブにも行ったが唄いっぱなしだった。

桑田佳祐さんは68歳、山下達郎さんは70歳だ。もう本当に年齢が関係ない時代に入っている気がする。

なぜ個人情報がうるさい時代に年齢を公表しないといけないのだろうか?

もはや「何ができるか」でいいのではないか?

6歳、70歳だからすごいじゃなくて、その年齢に関係なく活動や行動結果に凄いでいいのではないか

ゴルフも50歳からシニアになるみたいだ。確かに飛距離は落ちるかもしれないが、ゴルフはスコアゲームだ。

若い選手と50歳以上だかって、10打20打も変わらないだろ・・・それだけのスコアの差は、そもそもの実力の差だけだと思う。

仕事によっては実力より、ケガのリスクでボクシングのように体重別でのグループ分けの必要はあるかもしれないが、通常の出来事は年齢別など必要ないのではないかと思う。

 数字に支配されているから、できる・できないってのイメージで判断されるのではないかと思う。

正直、もう年齢での線引きではなく、その人の実力での査定や判断でいいのではないか?

確かに高齢者ドライバーで危険運転などもある。しかしこれも検査や査定で判断はできる。

(もちろん事故があるのみ事実)それこそ運動させての動体視力検査などを実施してもいいのではないか?

私が思うのは「数字」で、自分もそして周りが「できない」「無理だよ」「辞めなよ」って決めつけいる事が自分の限界を決めている気がする。

 「できない自分を自ら作り上げているのではないか?」って思う

 僕自身もたまに「年齢よりは○○ができるかな・・・」って言ってしまう自分がいる。

もう年齢を言うことは辞めないか? だったら人はいくつでも働けるし「何ができる」や「健康維持」をするのではないかと思う。

 若いとか。年配とか関係なくバリバリ活動している人を僕は尊敬する。

 グループ分けなんて必要ない

「挑戦なくして、成功なし」

<プロフィール>
巧株式会社 代表取締役
経営者「空気社長」

(大橋大記・巧プロジェクト)

HP https://takumi-project.net


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(大橋大記)

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