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【NO.0156】 日本を考える / 将来の国のこと考えることできますか?

 幕末の幕臣、山岡鉄舟の言葉。
 清廉潔白、無私無欲を貫き通した人として、今も日本人の心に残る人だろう。
 そんな山岡鉄舟が数多く残した言葉の1つに、次の富士山にまつわる言葉が人々の記憶に残っている。

山岡鉄舟の名言

 「人というのは、本来の姿は、どんな状況にあっても変わらないもので、誰がどう言おうとその本質はただ1つ。生まれ持ったものそして、蓄積されたもの、それを受け入れる人としての器など様々な要素によって形成され本来の姿は、どんな状況でも変わりは無い」という感じで捉えました。

 人1人の本質を日本人の本質と置き換えてみるとどうだろう。

 日本人、真の日本人とは誰のことを指すのだろうか?
 このテーマは、私自身が、今後調べてみたいテーマの1つなのだが、今の日本という土地に最初に住み着いた人々を指すものなのか?
 あるいは、多くの民族の混血で形成されているのが、日本人と言うことを指すのだろうか?
 混血が頻繁に起こったのは、おそらく、大和という1つの国として、その存在がはっきりするまでのことだったのではないだろうか。日本という国が、定まってから以降は、日本に大きな民族的な破壊も形成も行われていない。
 だから、日本人の本質は、日本という国が確定した後は、余り変わっていない。変わってきたとすれば、外からの影響により、意識に変化が起こった時ぐらいなのだが、それほど大転換が起こるような出来事は日本では起こっていない。それは、明治維新まで続いたと思われる。
 この間の日本人は、誰がどう見ても、日本人であったと思われる。
 山岡鉄舟が、この言葉を残したときは、日本人自体、古来から変わらないものだったと思われる。

 しかし、明治維新以降、外国、特に西欧文化が急激に日本に入ってくるようになる。その中には、日本人の内面にも多大な影響を与えるだろう、宗教、哲学、文化などが急激に日本人の脳に影響を与えるようになる。大きな要因は、メディアという情報発信の仕組みが一気に世界を席巻させることになっていく。
 このことが、日本人が古来より変わらない内面を変化させてしまう大きな影響となったのではないだろうか。
 裏切りや嘘、こうした意識が、恥とされた日本文化が、次第に、見られなければいい、見つからなければいいという感じで、表現してしまう日本人に変化していった。

 今危惧されるのは、この国を一丸となって守り抜くという意識がほとんどの日本人から抜け落ちてしまっていること。これは、国を動かす人々に特に顕著に現れてしまっている。国よりも自分個人、地域より自分個人、自分さえ良ければ後はどうなってもと考える日本人が、どうも、欠落してしまった人が余りにも多くなった。
 そう、日本人、残念だが、脳裏に未来を描くことができなくなってしまっているのではないだろうか。
 共に喜び、共に泣く。この感情が失われた日本人が、自分以外の未来人のために、どういう国で日本はあるべきなのかと言うことに、日本人の思考は向かないのではないだろうか。

 政治へ目を移すと・・・。
 未来へのイメージを日本国民にどうイメージさせるかが、政治家と言われる人たちの大きな役割なのだが、政治家自体が、未来をイメージすることができないし、皆が喜ぶ社会のイメージができない。だから、「今唯々利益になればいい」と考えて、売国という財産の切り売りという行動しかとることしかできない。
 そして、国民も今さえ良ければ感覚なので、今、見える形の利益に呼応して支持をする。
 その支持を政治家や権力の座につくものは正しいものとして、より一層、受け入れのためのアクションをする。

 この繰り返しが日本人を作り替えてしまった。もう、不動の本質をもった日本人は絶滅危惧種となってしまっている。

 今の日本、絶滅危惧種は貴種なのだが、疎まれ、罵声を浴びる。大衆迎合種は、重宝され、祭り上げられる。これが、明治維新以降顕著になり、大戦後80年に渡る、アメリカ占領政策という名の、日本人弱体化プランが今も続く状況の中、抗う一部の日本人を尻目に、シンの日本沈没の時期がいよいよ定まってきたのでは。
 早ければ、2024年から2025年。
 えっ!!!


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