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夏と花火と私たちの死体

いまから15年ほど前の7月某日。
前日から私は「夏の予感」を感じていた。翌朝、カーテンの隙間から差し込む強烈な日差しに目を開けると5時30分。
手元の携帯で友人のKに「今日、海じゃないですか?」とメールを送ると、5分も経たないうちに返信があった。
海ですよね

こうして私たちは海へ向かうことにした。

「準備」という言葉は私たちの中にはない。
夏の間中、海用バッグが部屋の中に転がっているのだ。
水着、シュノーケル、マリンシューズ、軍手。あとは着替えとフェイスタオル、ジップロックに詰めた千円札数枚と小銭があればいつでも海へ出かけることができる。
6時過ぎには横浜駅から東海道線に乗り込み、キヨスクで買ったおにぎりを頬張っていた。
「昨日の夜、今日は海の日かなって思ったんだよね」
お茶を飲みながらKが言う。
「Mも誘ったんだけど返信なかったんだ」
「あの子は朝が弱いから仕方がないね」
一人より二人、二人より三人。海遊びは人が増えるほどやれることが多くなり楽しい。そしてなにより危険が少なくなる
「ま、今日を楽しみましょうや」
そういうとKはバッグから浮き輪を取り出して空気を入れ始めた。

「熱海〜熱海〜、伊東線乗り換えです」

特急踊り子に乗れるような身分でなかったため、横浜駅から約1時間半。
熱海駅で一度下車すると伊東線へ乗り換える。
熱海にも海はある。ただ私たちの求める海はいつだってもう少しだけスリリングであってほしいのだ。

熱海からさらに30分程電車に揺られ降り立ったのは伊東駅だった。
伊東駅はかなり開けた駅で、徒歩15分ほどで海の駅「伊東マリンタウン」があり、ここでは食事のほかお風呂に入ることができる。
なにより私たちの目的であった橙色ビーチが駅から10分ほどの場所にあり、ここには高さ8mほどの防波堤があったのだ。

※2023年7月現在、この防波堤からの飛び込みは禁止となっているようだ
振り返ってみるとよく生きて成人できたな、と思うことばかりである

「さあ、今年もやりますか」
「いきましょう」

ビーチに着くと準備体操もほどほどに、防波堤の突端に向かって走り出す
飛び込む少し手前でバッグを投げ捨てると私たちは何も考えず防波堤を駆け抜けた。

「ひゃっほー!!!」

2秒にも満たない着水までの刹那、恐怖と興奮が駆け巡る。
落下の態勢を誤り、水面を叩き割る衝撃が二の腕を襲う。
視界は遡っていく泡に遮られ、耳の奥がキーンと痛くなる。
私たちは水中へ落ちていく。

素早く耳抜きをして、顔を真上に向けると、水面に揺れる滲んだ太陽が私の吐き出す泡をキラキラと反射させていた。

「うっはー!最高だ!」

ほぼ同時に水面に顔を出したKの叫び声に「今年も始まったなー!」と声をかけた。そう最高の夏が今まさに始まったのである。

橙色ビーチの魅力は防波堤で飛び込めることだけではない。
浜からシュノーケルをやるにはそこまで透明度が高いわけではないが、沖合の防波堤まで気合いで泳ぎ、そこから外へ泳ぎ出すと途端に海が深くなり、透明度が高くなる。
当然波は高いし、夏でも深くなるにつれて冷たい海流が流れ込んでくる。
Kが電車の中で浮き輪を膨らませていたのは、私たちなりに「一人が海中にいるとき、一人は海上で待機する」というルールを作っていたからなのだ。
もちろん珍しい魚や綺麗な景色が見れたのなら一緒に潜るのだが、ほとんどの場合はどちらかが浮き輪にぶら下がっている。
全力で遊ぶと疲れる、というのもあるので体力温存のために休憩したい、という気持ちもあった。

「こんなもの盗むやつもいないだろう」というわけのわからない性善説をもとに浜に荷物を置き、シュノーケルをつけ、ビニール袋にペットボトルを入れ、沖合の防波堤まで泳ぎ出す。
K!K!ダメだ、足攣った!
半分ほど泳いだところで私の脚が攣った。水深は覚えていないが、溺れるには十分すぎる深さだ。
「ちょっと早すぎるんじゃないの?普段から運動してないからそうなるんだよ」と浮き輪を投げながらKが言う。
浮き輪は私の数メートル先に着水し、若干の殺意をKに抱きながらもなんとかそれにしがみつく。
「運動部のお前には敵わないが、私は文化部の中でもまだアクティブなほうだ!」
悪態をつきながらも互いに海では助け合う。私たちはバディだった

そうこうしながら沖合の防波堤にたどり着く。そこに大の字になって寝転ぶと、背中にじんわりとした温かさ伝わってくる。ざん、ざん、と浜に打ち寄せる波とはまた違った音色を耳にしながらそうしていると、体力が回復してくるのがわかる。

ひとしきり遊んでいると、地元の子供達がやってきた。
子供達は防波堤に上がるとなにかを空高く投げ、防波堤になんどか打ち付けていた。それをまた海につけるとそのままちゅるり、と食べていた。
「ヘイ少年。それはなんだい?」
Kが尋ねる。
これは貝を食ってるんだよ。その辺にいるだろ?みんな浜では焼いてるけどこうやって投げて…、ほら地面に当たると殻が割れるから食べられるんだ」少年は実演して見せてくれた。
「ワイルドなおやつだな!お前本当に小学生か?すごいな」
少年は外からきた私たちが面白かったのか、そこから一緒に遊んでくれた。
少年が持ってきたボディボードを借りたり、防波堤から一緒に飛び込んだりシュノーケルをしたりしているうちに昼が過ぎ、少年は「またあそぼーねー」と昼飯を食いに帰ってしまった。

私たちも一息つくのに、浜へ上がり、昼食をとってのんびりとした時間を過ごした。少年のおかげで生の貝も塩水もお腹いっぱい飲み込んだ気がした

「何時ごろに帰るかね」
日焼けで真っ赤な顔をしたKが時計を確認して問いかけてくる。
時刻は16時頃だった。
「こっからマリンタウンに歩いても15分。風呂入って夕飯食って1時間くらいか?横浜まで2時間とすると17時には上がるかね」
朝5時30分から起きている二人なのだ。楽しいうちに帰宅をするのが吉、ということは長年の付き合いで知っている。
「よし、それじゃ最後に飛び込んで帰るか!」
「それが良い。行こうか!」

こうして私たちは間違えたのだ

防波堤にはまだ何人か人がおり、各自飛び込むフォームを競いあっていたりした。私たちも負けじと何度か飛び込んで、何回目だろうか。防波堤の下から声をかけられたのだ。

お兄ちゃんたち度胸あんなー!そっから飛び込めたら船乗せてやるぞー!
いつのまにかすぐ近くに小さな漁船が来ていたのだ。短パンにTシャツというラフな格好をした20代半だろうか。茶髪の男が私たちに声をかけてきたのだ。
「K、どうするよ?」
すでに答えは出ていたけれど、念の為確認をしてみる。
ニヤリ、と笑みを浮かべたKは「決まってるじゃないですか」と言うと親指を立てるとそのままふっと、視界から姿を消した。

続けて私も飛び降りた。
船までクロールで泳いで行くと船尾から海に伸びているハシゴをつかってよじ登る。
「おおー!お前らほんと度胸あるなー!よく来たな!」
茶髪が手をとって引き上げてくれた。
「すいません、ありがとうございます!」
「いいんだ、いいんだ。それじゃちょっと夕飯獲りに行くぞ!兄ぃ!出してくれぇ!」
茶髪はそう言うとTシャツを脱いだ。

茶髪の背中に彫られた毘沙門天さんと目が合う。兄ぃと呼ばれた方のほうはもっと立派なものを背負っておられた。タトゥーと呼ぶには若干色彩が強すぎるそれが意味するものは子供でも理解できる時代
船はドルン、と音を立てて防波堤から遠ざかっていく。私とKの血の気も遠ざかっていく。荷物は浜に置いたままだ。伊東マリンタウンの営業時間は21時までだ。

「いや〜まさか漁師さんの船に乗れるなんて!今日はなに獲りにいくんすか?」遠くなる防波堤を横目にKが茶髪に話しかける。
「兄ぃ漁師だってよぉ!俺ら漁師には見えねえべぇ!貝だよ貝、獲りいっからよぉ!」
どうか漁師であることを否定しないでほしい。漁師である自分に誇りを持って欲しい。
「貝ですか!道具とかあるんすか?!」
Kは戸惑いながらを気を紛らわせたいのか、がらんとした船の上を見合わして問いかける。
「道具、道具って言えるかわからねえけどこれだなぁ」
なるほど、水中だから空気が必要ですものね。あと服もね。ぴったりしたやつがいいですよね。
カリオストロの城に侵入するルパン、みたいな格好になった茶髪はそのあとまったく口を聞かなくなってしまった。

生ぬるい風が頬を撫でる。ドッドッドッド、とエンジンの振動に自らの鼓動が重なっているように錯覚をする。
走り始めて30分ほど経過しただろうか。西日の差し込まない、ちょうど暗くなっている高速道路の下で船は突然息を切らしたように静かになった。
兄ぃと呼ばれていた方が私たちに二つのロープを渡してくる。これはあれか、互いに互いの足を縛ったりするあれなのか。私たちの死体を作る準備なのか。でも待って欲しい。私たちはそこまで悪いことはしていない。その当時は結構真っ当に青春を楽しんでいただけだ。そんなことをされる謂れはなにもないはずなのだ。

「いいかよく覚えろ。大事なことだ。俺とこいつが潜っからなんでもいい。遠くに船の光が見えたら1、2、3回引っ張れ。やってみろ」
私は言われるがままにロープを3回引っ張る。
「そうだ。次に上の道路に懐中電灯持ってるやつが来た場合は素早く1、2、3、4回引っ張れ
どうしてそんなピンポイントの指示をするんだろう。Kは泣きそうな顔をしながらロープを素早く4回引っ張っていた。
「そうだ。とにかくなにか異変があればすぐにロープを引け。勘違いだったとしても俺らは怒らねえから安心しろ」
兄ぃは口元をニヤニヤさせながら手早く名探偵コナンの黒塗りの犯人、みたいな感じになっていく。
「じゃ、よろしく頼むわ」
そう言うと茶髪バックロールで、兄ぃは綺麗なフォームのジャイアントストライトエントリーでゴポゴポと海の中へと沈んでいった。船の上に残されたのは指が白くなるほど力強くロープを握った私とK。

「K、どうしよう…これやばいだろ。120%だろ
120%だね…。でもこれ上がれないよなぁ」

私たちは目の前にそそり立つ岩壁を眺めた。
ロープを離して海に飛び込んですぐ目の前の高速道路の下に辿り着いても、登れる場所が見当たらないのだ。西日にさらされた岩が濃い影を海に落としている。さっきまで飛び込んでいた青い海は、いまや真っ黒だ。ただただ真っ黒だった。

「とにかくさ、言われた通りみは…周りを見ていよう」
見張り、という言葉をつぐんだKはロープから目を逸らして頭上の道路を見つめ始めた。
「そうだね、じゃあ私はこっちをみは、見てるね…」
Kは道路、私は海。私たちはいつだって瞬時に自分の役割を自分で考えることができる。海の友達。バディなんだ。

時計がないから時間の感覚が失われていたので10分にも1時間にも感じられた見張り業務も、海の中からロープを手繰り寄せる感触で終了する。
「ぶはぁ!はぁはぁ…」
顔をしかめて茶髪が浮かび上がる。どちゃっと投げられた網には数十個の高級な平べったい貝。ハトヤで踊り焼きにされているあれだ。遅れて兄ぃも上がってくる。こちらも大量の平べったい貝。
「よし、いくか」
しばらく休憩した兄ぃの言葉にようやくこの時間が終わるのだと期待をしたら、単純にポイント移動をしただけで、その後2回ポイント移動をするたびに私たちは兄ぃから「忘れるなよ。海からは3回、道路の上からは素早く4回ロープを引け」と教え込まれたのだった。

結局1回もロープ引くことなく、日が沈んだ頃、船は私たちを最初に拾ってくれた防波堤の近くまで戻ってきた。港とかではない。完全に海の上である
「じゃあお前らこっから浜まですぐだからよ。わかるよな?防波堤左手にしてまっすぐだ。近いよな?」と茶髪が丁寧に教えてくれる。
近くないです、とはとても言える雰囲気ではない。
「はい、ありがとうございます…」
「ありがとうございます…」

私とKの返事に満足してくれた茶髪は最後にふたつ、小さな貝をお土産でくれた。「お前らガッツあるなぁ!この辺で困ったことあったら〇〇組に来てくれぇな!」という言葉と共に。兄ぃからも「おかげで今日は50万はかてぇ。助かったぜ。こっちきたら遊びに来いよ」というありがたいお言葉をいただいた。

そこからの記憶は曖昧だ
とにかく必死で泳いだ。昼間まで泳いでいた海だ。どの程度進めば足が着くかくらいわかっているつもりだ。でも全然わからない。暗い。真っ黒な海に飛び込んだ瞬間、方向がわからなくなる。暗い。
幸いシュノーケルを持ったまま乗船していたため、溺れるということはないと思っていた。それでも怖い。水面をみてもなにも見えない。得体の知れない何かが足元にいるような気配がする。ビーチの光を目指して泳いだ。必死に泳いだ。

「はぁはぁはぁ…K、荷物、あったよ…」
「あはははは、よかった…本当に、帰って来れて…よかった…」

置きっぱなしにしていた私たちの荷物は確かにそこにあった。中のお金もなくなっていない家に、帰れるのだ。時計を確認すると20時を過ぎていた。

私たちは茶髪が渡してくれた貝を、沖合の防波堤で少年に教わったように空に向かって力一杯放り投げた。それは固い防波堤に打ち付けられることなくポチャン、と音を立てると海の中へと沈んでいった。

お わ り
※この作品はフィクションです。海で遊ぶ時は無理をせず、ご家族の方にも行き先や何時までに帰宅するか?まで伝えた上で遊びにいくようにしましょう。

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夏の思い出

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