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今だからこそ思う「なるほど、わからん」の大切さ

SNSが広がったことで、今まで繋がっていなかったニッチな人々も繋がれるようになった。小さかった声も誰かに届くようになったし、広くて遠くて途方もない孤独感から救われた人もたくさんいるんだろう。

でも、何もかもがつながりはじめた結果、世の中には「ほんそれ!」や「わかりみ」が増えた。瞬発的な理解や、脊髄反射的な共感の嵐。

時折思う、はたしてこれは本当に豊かなことなのだろうか?


共感という麻薬

情報がどんどん加速して僕らの脳内をかけめぐり、光の速度でたくさんの人間の脳内を飛び回っている。パッと見てわかりやすいものほどたくさん出回るし、すぐに理解できるものほど便利と評価されて表層に浮かび上がってくる。

本当は僕らの共感スイッチって玄関のブザーみたいな場所じゃなくて、家の奥の仏壇の隙間とか、ベッドの裏とか、そういうところにあったハズなのにな。

随分と簡単に押せるようになってしまった。


また、ある種のちょっとしたテクニックを用いれば、人間の共感もわりと簡単にハックできることが判明してしまった。

1/10000の思い出も、1億人の中なら1万人同じ思いをしている人がいる。

共感という反応をドーピングのように浴びまくると、だんだん感覚がずれてきて、みんなも同じように考えているんじゃないかと錯覚する。それがSNSのタイムラインというユートピアの恐ろしいところだ。

それなのに、選挙ではタイムライン上でみんなが支持しているはずの候補者が落選する。炎上して糾弾されている渦中のあの人物は無罪放免になる。自分から見えている景色と社会との間に乖離が生まれはじめたら、あやうい兆候かもしれない。

ユートピアはいとも簡単にディストピアにもなる。


わかりあえない事をわかりあいたい

今だからこそ、理解や共感よりも、わかりあえないことをわかりあうことが大事なのかもしれない。

理解しようと思う姿勢は大事だし、聞く耳持たずに拒絶するのは文化的な態度じゃないと思う。

でもその上で、脊髄反射の「ほんそれ!」よりも「なるほど、わからん」と言えることが大事なんじゃないだろうか?

無理に分からせようとする必要はない。僕たちはみんな別人で、それぞれの考えがあって、みんな違う。

違う事を認めあって、違うままでも良いよねと許容していきたい。

わかるわかる!と言い合うだけよりも、わからないものはわからないと素直に言える空気を作っていきたい。空気を読まなくてもいい空気こそ、ほんとうの透明な空気だと思う。


え?なるほど、わからんって?

うん、わからなくてもいいんだと思う。

わからないなりのあなたなりの考えを教えてもらえたら、そういう社会の方が僕は楽しい。

「なるほど、わからん」って言っていこう。
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