セミナーとか勉強会で大事な「教える」という行為

僕はIT技術者として今まで30人くらいを教えてきた(簡単に自己紹介すると、8歳からプログラミング初めて今年で39年目)。実際にセミナーも何十回か開催したし、社内勉強会のたぐいならさらにもっと多くをやってきてるんだよ。そこで覚えたことのうちいくつかを紹介するよ。

人に何かを教えるということはあまり発生しない

通常、聞かれたら答えることはあっても、率先して社内勉強会とか社外セミナーなどの体系だった説明会を開催するようなタイプの人は日本には少なく、いたとしてもそのうちの半分は「セミナーをやりたい」だけだったり「講師になってみたい」だけだったりする、ただの経歴濃くしたいだけのミーハー思想が大元になってたりするんだよ。

そういう経歴のスタックってのはただ副次的に発生するもので、実はたいした効果はないんだよ。追い求めても自己満足にすらならないことが多い。

現に僕も渋谷で何度も社外セミナー開催してたけど、今じゃぁ知ってる人だってほとんどいないわけでしょ?履歴書に書けないほどレベルの小さいことでしかないのに、講師やってました!セミナー開催してました!と言いたいだけで、わざわざコストかけてやるようなものじゃないんだよ。通常、そんなにやたらセミナーなんか開催する機会自体がないわけだから。

だから普通に仕事してて、普通に生活してて、人にものを教えるってことはさ、隣の席の人とかお子さんとかから「これどうやるの?」って聞かれたら「これはこうやるんだよ」程度の話だとは思うんだよな。

教える場をつくって教える時間をつくって教える内容を作って、準備万端にして話を聞いてもらう、なんてことは日常生活でも社会生活でもめったにないと思ってるんだよ。

だからこそ大切なことは、やるなら本気で教えるってことだと思うんだよ。

教える行為と教わる行為がマッチして初めて学習に繋がる

僕が渋谷のインチキIT企業に勤めていた時代、社内のITレベルはひどいもんだった。言われたらやる、言われるまで検索しようともしないレベルのとんでもない”なんちゃってIT戦士”ばっかりで、50人いるうち技術者が僕一人しかいないという事もあり、手が回らなかった。

最終的にはお客さんやパートナーがあきれてしまうような発言とかも多々あったんだよ。ひどかったね。中には技術者の僕に対して「私は技術とかどうでもいいと思っているし興味がない」なんて言い出す始末。本当に「車の運転はしたいけど免許無くても運転できるじゃんwwwわろwww」みたいな感じなんだろうな。

お客さんに怒られ、パートナー会社にあきれられたことは社長の耳にもはいり、急遽、社長命令で僕が講師の社内IT勉強会を開催することになったんだ。

1回2時間で3回。もちろんそんな短時間でインターネット、コンピュータの説明なんかできないのはわかってるけど、そこは資料でカバーする。脳内に蓄積されている僕の知識を余すことなく資料に詰め込む。

そして開催当日、案の定、僕に暴言吐いた社員は勉強会中、ほとんど寝てるわけだ。お前らのためにやってあげているのにその態度は無いだろう、とは思ったが、しかし要するにこういう人は「デリカシーのかけらもない人」なので、「100%何を言っても無駄」なんだよ。何しろ自分のどこが悪いのか自分自身が全く把握できてないタイプなので。

無駄とわかっていて教えてもしょうがないし、どうせこっちばっかり損するわけなので、こいつに教えるのは意味がない、という判断をしたんだ。これは今でも正しいと思ってる。

こいつが仕事やる気がなくても、処分するのは僕の役目じゃないし(ちなみにこいつは配布禁止と言われているほどセキュリティ的にやばいオープンソースのWebアプリを”自分が慣れているから”という理由でお客さんに提供しまくり、数か月後のほぼ同時期にほとんどのサイトがクラックされ、関係担当者全員で謝罪しに行ったという、なんともアホ度の高いクズであった。導入してる時に気づいた僕が”これや使うの禁止でしょ!”といったんだけど、技術力皆無のアホだから理解できなかったんだろうな)。

世の中には何をどう伝えようとしても、絶対にわかろうともしない人ってのがいることは知っておく必要があるんだよ。教える側が一生懸命教えたところで、教わる側が聞く耳持たなければ、それは成果がゼロってことになるんだよ。時間とお金と労力が無駄になるという話。

だから「知りたい人がいて初めて教える必要が発生する」んだよな。
知りたい人ドリブンってことになるから、教えたい人が聞きたい人探すってのは逆なんだ。

熱意とかって案外無視できないレベル

ちょっと自分の話をすると途端に「出たよ、自分語りwww」とか「自慢話始まったー!」とか、「愚痴っぽくなってきた!」とか、とにかく自分勝手な解釈で相手の話を遮ったり、バカにしたりして盛り上がるってのを若い人たちと一緒にいるとよく目にするんだよ。

人の話遮ってまで何を守ろうとしてるのかわからんけど、そんな人間は誰からも認められないし、他人から嫌われるだけだと思うんだけどなぁ。

人間なんだから人間に興味は持っておいた方が良いよ。その方が「生命体として自然」だから。

人間って面白くて、例えば男は四六時中女とスケベーなことしたいって考えているし、会社で威張りたいって思ってる。例えば女は常に自分をきれいに見せる方法を探しているし、半年1年後の自分をいつも想像してる。例えば若者はすべてにおいてトライアンドエラーを繰り返して周りに迷惑を掛けながら成長するし、例えば老人はすべてを面倒くさがり、意にそぐわないと怒りだすんだよ。人間って面白いと思う。

本当に世の中にはいろいろな人がいる。一概に決めつけられないほど。

ゲイでもないのに女に全く興味がなく好きな趣味に没頭し、神様レベルまでスキルを上げた男がいる。きれいになりたい願望よりも、世界中の恵まれない子供たちを救うことに命を懸ける救世主みたいな女がいる。自分がいつ失敗してもよいように礼節を大事にし、大人から好かれる若者がいる。何があっても動じずに自分の死すら受け入れてしまっているようにしか思えない悟りきってる老人がいる。

人間は面白い。

人間は人間に興味があるからこそ、人の話は大事だと思うんだよ。「話す人がだれか」「聞く人がだれか」なんかはいろいろな組み合わせがあるわけで、相手が自分のことをほめてくれたり、自分が相手の武勇伝を話したり、相手がここにいない別の人の生い立ちを話したりする。当然、自分が自分の経験や思ったことを話をするのもありなんだよ。別に全然悪い話じゃない。

格好悪いとか自慢話ってとらえるのは勝手だけど、それは「聴く側がそもそも聞く体制になってない」ってだけだと思うんだよ。

ものを教える時には少なからず「わかってもらいたい!」って願望があるんだよ。それって正直言うと、今書いたように聞く側の都合も無視できないわけで、こちらとしては思いが届くまでトライし続けようとするわけだよ(うるさいだけでつまらないセミナーってのはこの「聴く側の都合を無視してる」んだよな。だから無駄にジョークを混ぜたりして興味を自分に向かせる必要がある)。

この状態の時って「こんな奴に何を言っても無駄だ」って思う事は案外すくない。別の言い方をすると、説明する側が「周りが見えてない状態」に陥るんだ。だからすごく気合と根性をむき出しにして熱く語ってるように見えるんだよ。

僕はこれを熱意だと思ってる。

熱意ってのは必要で、相手が固く心の扉を閉ざしていたら、それをこじ開ける効果があるんだよ。もちろん相手にダメージを与えてはいけないから、「そうか、そうかもね」と思わせないといけない。一種の暗示だし催眠術みたいなものだ。

これは「あなたの話を聞きたい!」という熱心な人と、「良くわからないけど聞くだけ聞いておこう」という人たちの底辺の高さを一律同じにする行為なので、どんどんやった方が良いと思う。そうすればより多くの人がこちらに耳を傾けてくれる。あくびしたり耳スルーする人も減るんだよ。時間の許す限り有効活用するとよいと思う。

熱意がない講師ってのはさ、聴く側と話す側の間に話をポンっと置くタイプで、どっちも退屈だし、お金払って聴こうってレベルじゃないんだよ。熱意が全くないからただ単純に聞いててつまらない。内容がどうであれ、つまらないって理由はDisられる要素が山盛りなんだよ。

熱意ってそういう効果がある存在だと思うので、セミナーの動画とかあとで自宅で一人で見ると、「この人ヒートアップしてるなぁ!」とか「一人劇場wwww」とか思うかもしれない。動画見てる時は冷静だからね。でもそもそもそういうものなんだよ、教えるってことは。一人で冷静になったときに見たら少し恥ずかしいくらいが一番ちょうどよい熱意。

まとめ

人にちゃんとものを教えるってことはめったに発生しない分、やるときは覚悟決めて気合入れて取り組めばよいよ。

聴きたい人、知りたい人がいて、教えられる人がいて、それで初めて勉強会とかセミナーが成功するんだよ。話聞かない人はとりあえずかかわらない方が良い。寝てる人を起こしたりもしない方が良い。無駄だから。

熱意がなく他人事のように話す人はどんなに内容が濃くても「つまらない」で終わってしまう。熱意をもって自分だけのショーを演出しなければならない。


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