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お茶出しなんてやりたくないんだが

お茶出しが苦手だ。

女性の役割を押し付けられているとか、そういう話ではない。
静かな応接室の中に自ら登場しお茶を出すその瞬間、視線が自分の手元に集まる独特な緊張感が苦手なのだ。

同じ理由で仲居の仕事も嫌だった。

大人数の広間は良い。あまり回話のない3〜4人の個室を担当する時は地獄だ。

「失礼いたします」

障子を開けた瞬間の表情、飲み物を置く手の指先、着物の袖。
視線を感じるたび顔つきは強ばり、一挙手一投足から心の内まで読み取られてしまいそうな気がして怯む。

そしてその度「私はこんな簡単なこともできないのか」と自己嫌悪に陥る。

しかし実際はそんなに見られていない。客はただなんとなく泳がせた視線がぶつかっただけなのだ。

要するに“自意識過剰“である。


こんな自意識過剰が私の生活には溢れていることを最近多く感じる。

例えば仕事中、自分のPC画面が見られているような気がして(特に人が後ろを通る時)仕事に集中できていなかったり、電話の内容を周りの全員に聞かれている様な気がしてボソボソと話してしまったり。

実際は誰も見たりしてないし、聞いてない。
みんなそんなに暇じゃない。

初対面の人と食事をするのが苦手な理由も、自分が食事をしている姿を見られているように感じ、そしてその際の挙動から人間性までも見抜かれてしまう気がするからだ。(考えすぎ!)

大体そういうことを言うと「他人からの視線なんて気にしなければいい」とか「人からどう見られるかなんて考えるだけ無駄」とアドバイスされる。

しかし神経質でHSP気質のある私は、そこを脱却出来ずに居た。
なにしろ、理屈では理解しているのである。


しかし先日


「心の矢印を変えてみては」


そんな目から鱗のアドバイスを、先日HSPメンタルカウンセラーの先生がくれた。
自分ってどうみられてる?と思ってしまう時、心の矢印は自分に向いているという。

これをお茶を入れるときに、そのお茶を飲んで相手が幸せになってくれたら嬉しいな、この空間を少しでも好きになってくれたらいいな、と言うふうに“相手に矢印を向けた”考え方で接すること。

そんな思いこそがスタートだと言うのだ。


そう言えば料亭でも同じような事があったっけ。月日が経って過去の経験は全て風化してしまっていた。


あぁ、これが私の求めていた正解だなと妙に納得した。


“自意識過剰ゾーン“に入ってしまっている時、大体矢印は自分に向いている。
しかし、どうしたら相手が喜んでくれるかな?どんなふうに接したらその日一日私と時間を共有する人が少しでもプラスな気持ちになったくれるかな?と考えはじめた瞬間、人と接する事が楽しくなった。

大切なのは「どうしたら相手の迷惑にならないかな?」ではなく
「どうしたらプラスにできるかな?」と言うポジティブな視点だったのだ。

そこに気づいてから、意識や行動は能動的になり、人とのコミュニケーションが楽しくなった。大袈裟に言えば生きている意味のようなものすら感じる。


これまでは幸福量保存の法則を信じて生きてきたけど、「どれだけ他人を幸せに出来たかで、自分の幸せが決まる」と今では自信を持って言える。


忘れないようにnoteに残しておきたい、今の私の一番大切なこと。


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