「こうしたらできそう」の魔力

他人のゲームプレイを後ろで見ている時に。

「こうしたらいいのに」
「こうしたらできそう」

と、モヤモヤすることありません?
僕はあります。
特に子供のゲームプレイを見ている時に思います。
まだ知能の発達や状況認識が未熟な故にガバガバでダイナミックなプレイ。
つい「こうするんだよ」と口を出したくなるところを、ぐっと堪えて見守ります。

この「こうしたらできそう」の魔力は結構強力で、見守ろうと決めて眺めている子供の遊びに、ついつい口を出してしまうくらい。

友達同士なら、躊躇わず口に出してお互いにあーでもないこーでもないと言いながら遊ぶきっかけに。
これがとても楽しい。

ゲームデザインって、この「こうしたらできそう」を提示することだと思っています。
ユーザーに「こうしたらできそう」と思わせたら勝ち。

逆に「わかんない」もしくは「無理」と思われたら負け。
「つまんない」は「こうすればできそう」が終わった後にくる感情なので、「わかんない」より圧倒的にマシだと思ってます。

で、これってゲームだけに限らないと思っていて、
勉強も、仕事も、恋愛も、「こうすればできそう」と感じているその時は、夢中になれます。
思い返したらピンとくる人、多いと思うんですよね。

高過ぎる難易度、多すぎる知らない用語、短すぎる納期、美人すぎる人気者のクラスメイト…モチベーションを下げるのはこういった「自分には無理だな」と感じる場面です。
少なくとも自分はそう。

中にはこういった「無理そう」と感じるセンサーがぶっ壊れてて、かつ無限の体力を備えた超人がいたりしまして、
そういった人はめちゃくちゃな難易度のゲームをクリアするまで諦めなかったり、何日もほとんど寝ずに残業や休日出勤などしながら乗り越えたり、学校1番の美人にいきなりアプローチして意外とうまくいってしまったりして、「みんなも頑張ればできるよ!」とか言ったりしますが、基本的に参考にしてはいけない(笑

ゲーム製作時や部下に仕事を渡す時にそう言った人を基準にしたら、ほとんどの人が適応できずに破綻します。

ちなみに、ヒカキンのゲーム実況って「もっとこうしたらいいのに!」って思わせるのがうまいんですよね。
わざとなのか天然なのかわからないですが、そこがゲームがうまい人の実況にはない魅力としてある。
そのため、ゲームの宣伝としてはプロゲーマーよりもヒカキンの方が上だと考えてます。

世の中に、もっと「こうしたらできそう」が溢れてるといいのになと常々思ってます。
ニュースではすごい人のことばかり取り上げられて、世の中のモノやサービスはクオリティが上がりすごいものばかりで、
それに伴って社会人として要求されるものもレベルが上がり、
「僕はこの社会で役に立つなんて無理だ」と感じる人が多いような気がします。

デジタルゲームが発展してきたのも「こうしたらできそう」を提示するものが社会に少なくなって相対的にそれを提示する媒体であるゲームという仕組みに人が集まってきているのでは…というのは考えすぎですかね。

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