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【目印を見つけるノート】875. おとくさんの藤井さん

ひとつ気がついたのですが、EDIONが多いのですね。毎日どこかで見ている気がします。

今日も講演会聴講です。
学生の頃より真面目なのではないかと自嘲したりします。ふっ。
空が何となく、秋めいている気がします。

今日の朝の空

きのうは水野勝成さんの最初の妻の地元(本拠地というのか)を訪ねてきました。
なぜ、妻の地元なのかと思われる向きもあるでしょうが、訳があるのです。

地元は岡山県西部の井原(いばら)の辺り、芳井(よしい)というところです。その辺りで3ヵ所訪問希望なのですが、電車もバスも自転車も無理。ということで、最寄駅まで井原鉄道に乗って、あとはタクシーさんにお願いすることにしました。

福山からですと、福塩線の神辺で乗り換えて井原鉄道(神辺~総社)。初めてなのですが想像よりはるかによかった。新しいですし、高架ですし、乗り降りもしやすかったです。

『子守唄の里高屋』駅で待っていてくださるのは『日の丸タクシー』さん。この一帯を知り尽くされています(と思いました)。心強い。よろしくお願いします✨
行くのは、消渇神社(しょうかつじんじゃ)、成福寺(じょうふくじ)、正霊山城(しょうりょうざんじょう)の3つです。簡単に書いていますが、簡単ではないのです。
まず、なぜこの3つなのかというのを軽めに。ん?軽くないな。もしあれなら、◆から◆まで飛ばしてください。

◆妻の生家について

水野勝成の最初の妻は於登久(おとく)といいます。二人は備中成羽の三村家で知り合って仲良くなります。勝成は当時、放浪の六左衛門、おとくは三村家に世話になっていました。

おとくが三村家に世話になっているのには理由がありました。

おとくの出自は備中芳井の国人、藤井氏でした。
おとくが生まれるしばらく前のことです。
当主の藤井皓玄(こうげん)は尼子方に付き、毛利と対立することになります。その結果、神辺城(かんなべじょう)の争奪戦で敗れ、藤井皓玄が自刃したのをはじめ本拠地である芳井にも毛利勢が攻め込みました。一族は多くが討たれ、生き残っても遠くに去らなければなりませんでした。
おとくは皓玄の末子・好恒の子です。
生き残りの子といえるでしょう。

水野勝成が生まれ故郷の刈谷(愛知)から大和郡山(奈良)の領主を経て、福山(広島)の町を新たに開くに至ったのは、この地のいきさつをよく知っていたのが大きいと思います。その中には、おとくの藤井氏や世話になった三村氏(もうひとりの妻は三村氏の出です)など、滅ぼされ離散した国人領主の悲劇も含まれていたでしょう。

新しい藩を興すにあたって、勝成はそのような因縁を取り払うように、幅広く人材を登用します。藤井氏も三村氏も、これまでの家臣も、どこの家でも。逆にいえば、妻たちの家のことを身近に知っていたからこそ、そのような采配ができたのかもしれません。

話は戻ります。
やっぱり、勝手知ったる方の運転なしでは無理です~。
消渇神社は山の中でした。
こちらは、藤井皓玄の娘、一豊姫を祀っている神社です。もともと消渇の病(婦人系の病といわれる)を持っていた姫は、一族の悲劇を知り体調を崩してしまいます。いよいよ危篤というとき、姫は「祠を作ってください。同じ病で苦しむ人の助けになりましょう」と言い残して世を去ります。

狭い山道が続き、私は久しぶりに車で酔いました😅 土地勘がないと、絶対に着かないと思います。
そして、やっとたどり着きました。
感無量で参拝しました。

由緒

小説で道筋を書いているとき、つい平地の広い道を想像しがちです。ただ、それはよほど大きな街道の平坦な部分にしかあてはまりません。昔は山をいくつも越えていくのが、ごく当たり前のことで、当然夜は灯りもありませんでした。ということは、分かっているつもりなのですが、分かっていませんね。痛感しました。

そして、次の成福寺に向かっていただきます。運転手さんは「下に下りるより早いので、山を抜けますね」とひとこと。私は軽く動揺しましたが、続く山道はまあ大丈夫でした。ヨカッタ。

井原の辺りは千鳥のノブさんのふるさとだそうで、その話にもなりました。大悟さんのふるさと北木島はよくテレビに出ていますね。

成福寺に着いて、「藤井皓玄ゆかりの方の墓所はありますか」と何気に聞いてみました。ご住職が出て来てくださって、「何で知りましたか」と逆質問されました。
私は、水野勝成の小説を書くときに調べたという話を(要領悪くですが)しました。するとご住職が、「ご存じかとは思いますが……」とお話を始められました。芳井にも毛利が攻め込んで、藤井氏一族が倒されていったこと、一族が離散したこと、そして江戸になって、水野勝成が福山藩主になって、一族が戻れるようになったこと。簡潔に書きましたが、もっと詳細に語られていました。
大まかに知っている私もついていくのが精一杯でした。

ご住職はお話をされて、いろいろコピーを下さって、近隣の墓所に案内してくださるとおっしゃいました。
「あの、タクシーさんを待たせていて……」というと、
「それならタクシーに行ってもらいましょう」とタクシーに向かわれました。
この項目で細かく書けないのですが、藤井皓玄の居館(城)があった辺り、いく筋かに分かれた藤井家の墓所のひとつにも案内してくださいました。おとくのお父さん(医者でした)に関わりがあると考えられ、代々医者となっていたそうです。

藤井皓玄の居館(有井城)があった辺り

付いていくのが精一杯なのですが、私はとても感動していました。

ご住職はおそらく、このお話を伺うのにもっとも相応しい方なのだろうと思います。そのような方がひょっこり現れた私に熱心に教えてくださることが、どれほど稀有なことか。それでひどく感動したのです。
教わるに値するかは微妙なのですが。

ご住職にお礼をしてお寺を後にしました。
本当にありがとうございます。

以降、藤井皓玄の城・正霊山城に登るのは早々に断念し、麓から山を撮るだけにしました。

今回の旅ではつくづく、山城(跡)に登るぐらいの脚力を付けてこなければいけないなと反省しました。備中松山城に始まり……すみません😢
タクシーさんとは井原の駅でお別れです。お待たせする時間が長くなったりもしましたが、臨機応変に対応してくださってとても感謝しています。

ありがとうございます。

このルートをおとくさん(と六左衛門)が行く話をずっと前に書きましたが、本当にその検証というか、答え合わせのような1日でした。山道は相当きついです。
↓その部分のお話です。

(小説では一豊姫を豊姫としています)

きのう行った周辺をはじめ、岡山、広島、山口は「藤井さん」という苗字がとても多いです。その皆さんが関わるわけではないでしょうが、このようなお話があるということは広めてもいいのではないかと思います。

ご住職がおっしゃっていました。
「福山城が400年という年に、このような話ももっと知らせたほうがいいと思います」
私も同感です。

さて、総社行きの井原鉄道はモダンでした。これに乗って、総社で桃太郎線に乗り換えて、吉備津神社に行きました。何年ぶりかしら。

井原鉄道の座席
桃太郎線に乗り換え
吉備津神社

空がきれいでした。桃太郎線で知り合った福井の女性と岡山まで歓談しながら行きました。

フィールドワークというのがどのようなものか感じられた1日でした。

Tracy Chapman『Fast Car』

早い車ではなくて、ふさわしいときに、ふさわしいところに連れていってくれる車がいいですね。

それでは、お読みくださってありがとうございます。

尾方佐羽

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