見出し画像

書籍【ロボットと人間~人とは何か】読了

https://booklog.jp/users/ogawakoichi/archives/1/4004319013

◎タイトル:ロボットと人間~人とは何か
◎著者:石黒浩
◎出版社:岩波新書


ロボット開発者は、結局人間そのものと向き合っている。彼らが創作しているのはロボットなのか人間なのか。
これはロボット開発者でなければ分からない苦労なのだと思う。
ロボットを開発する上で、開発者は結局「人間」そのものと向き合わざるを得ない。
その開発されるロボットの目的や、ゴールをどこに設定するかによって、意味合いは相当に異なってくる。
大量生産する工場の中で働く工作用ロボットは、これはこれですでに完成されている。
人間のような意識を持つ必要はないし、工作用ロボットを人間側に似せる必要すらない。
しかし、我々が一般的にイメージする今後のロボットは、いわゆる汎用型だ。
人間をサポートしたり、人間とのコミュニケーションが必須の能力になる。
当然、ロボット開発の難易度は格段に高くなる。
現時点でも人工知能の進化は目を見張るものがあるし、企業の事務作業の代替や、サポートセンターの応答などは確かにAIの実装が進んでいる。
この状況で、社会全体にAIが普及し浸透するのには、一体どれぐらいの時間がかかるのだろうか?(我々人間にとって、どれぐらいの時間が残されているのか?)
著者の研究の中で一つに、人間にロボットを遠隔操作させることで、人がロボットと接した際、その人がどう感じるか、というのがある。
これは非常に面白い研究だと思う。
AIのLLM(大規模言語モデル)の進化が進めば、いずれロボットが自律して、対話なども人間が介さずにすべてロボットだけで完結する時代が来るだろう。
その来たるべき時代を見据えて、どういう点に気を付ければよいかを、遠隔操作の人間を使ってシミュレートしているということだ。
このシミュレーションによって、様々な発見があったというのが興味深い。
裏側で人間が操作をしていることを事前説明しないとして、人に相対するのがあくまでロボットである場合でも、人はそのロボットに対して「人間性」を感じることが多いという。
これは会話しているのが実際の人間であるのだから、電話で喋っているようなものと考えれば合点がいく。
つまり目の前に存在するものが、ロボットだろうと人間だろうと関係ないとも言えるか。
この「人間性」というのが曖昧な表現であるが、要は「何を以って人間っぽく見える。感じるのか?」ということかと思う。
こう考えると、ロボットの存在をどう定義するかが、非常に重要な気がする。
果たしてロボットは、人間をアシストしたりサポートしたりする存在だけなのだろうか。
もしくは、人間と寄り添って、一緒にいることで人間の能力を拡張させる存在なのだろうか。
人間自体がロボットをどう使いこなしたいのか。
それによって機能させるハードウェアとしての形式や、制御するソフトウェアも変わってくると思う。
「ロボットをどうしたいか」よりも「人間自身がどうなりたいのか」という部分に踏み込んでいく必要があるということだ。
ロボットを使ってどうやって自分自身を成長させていくのか。能力を拡張させていくのか。
単なる便利ロボットの開発に留まらず、非常に難しい問題を突きつけられているような気がする。
本書の中では一律の答えはなく、様々な実験を通して試行錯誤している様子そのものを紹介してくれている。
一つの回答例で言えば、「人間のようなロボットを作る」もあると思う。
必ずしも、人間型ロボットだけが正解ではないのだが、研究としては一つの目指すポイントだと思う。
ロボット自身をもし人間に似せて作るのであれば、より人間らしく、より人間の心が分かるように作る必要があるだろう。
そうなると、益々「人間自身のことを詳しく知る必要がある」ということに帰結する。
こんな簡単なことに私自身気が付かなかったというのも盲点なのであるが、これからのAIそしてロボット科学技術が進化した社会というのは、より人間のことを理解しようとする意識が重要ということだ。
ロボットの技術的な課題は、今後徐々に解消されていくのだろうと思う。
ネットワークはどんどん早くなり、遅延も少なくなる。
大容量のデータを一度に送るということも可能になってくる。
今リアルで目の前で受け取っている情報量と遜色ないだけの情報が、ネットワークを通じて送られてきた場合、人間はリアルとバーチャルの違いを認識することが出来なくなってしまうだろう。
そんな時に、リアルとバーチャルを分ける境目が、この「人間っぽい」という感覚に頼るような気がしてしまう。
バーチャル世界でアバターが喋りかけてきたら、それは人間がアバターを通じて話しかけてきたのか、それともAIアバターが自動的に話しかけてきているのか。
私のような昭和世代の人は、リアル・バーチャルの区別をついつい付けたくなってしまうが、次世代の人たちにとっては、「人間でもAIでもどっちでもよくない?」ということになるのかもしれない。
そういう時代になった時に、ロボットやAIアバターに対しても「人間っぽさ」を感じることで、友情や愛を感じたりするのかもしれない。
こんなことを考えると、ロボット製造の目的が非常に広い範囲を示していて、寧ろ理解しづらくなる。
あくまでも自己の能力の拡張と捉えれば、人間のサポートをするイメージが強いが、自分に良いアドバイスをくれる人生のパートナーのような存在と受け取れば、それも「自己の能力の拡張」と言えるような気もしてくる。
この辺のモヤモヤしたものが残りながらも、結局ロボットは、より人間に近づいていくというのが必然な気がする。
その時に問われてしまうのは「結局人間とは何なのか?」ということか。
本書の中で印象に残っているエピソードだが、必ずしもロボットにリアルな人間の顔がなくても、抱きしめてその耳元から囁かれる声を聞くだけで相手の人を感じることができた、というものがある。
結局人間が人間を認識するのは、いい加減なものなのかもしれない。
今までだって相手と電話で喋っていても、我々はそれに慣れてしまい、違和感を持たない。
コロナ禍によってオンライン会議が普通になったが、改めてその様子を考えてみると不思議なものだ。
江戸時代の人が現代にタイムスリップするという物語があるが、電話やPCというものが存在しない時代の人から見たら、その様子は滑稽でしょうがないことだろう。
つまり、今現在不思議だと思うことも、時代が変われば当たり前になることだってあるということなのだ。
本書内で、ロボットと人間が自然な会話をするための様々な実験がされていると紹介されていたが、この辺も非常に興味深かった。
ロボットと人間とで1対1で喋るだけでなく、人間1人に対してロボットを複数台設置して会話をすると、意外と会話が途切れずに話が続くという。
これは人間が喋らずとも、話が詰まったらロボット同士が会話を繋いでいくから、話題が尽きず会話が成立するのだという。
これらのことから、人間の会話というのは話の中身が重要ではなく、連携プレーのような作法でどうとでもなるということなのだ。
これも実は大きな発見で、今後は独居老人が益々増え、1人でいることで認知症を発症する確率が高まっている中で、話の中身は別としてとにかく会話に参加させて脳を活性化させるということに意味があるのではないか、ということだ。
当初想像していたロボットの使い方だけでなく、開発の過程で様々な社会課題を解決する方法を見つける可能性がある。
そんな副産物も得られながら、今後もロボットとAIは進化して、徐々に社会実装されていくのだろうと思う。
その中で世界を見渡すと、やはり日本というのは特殊な国ではないかと改めて感じてしまう。
西洋では「神が生命を作った」という宗教の力が強いために、ロボットはあくまで「道具」という位置付けでしかないらしい。
日本人のように、そこに生命が宿り、ともすれば自分のパートナーとなり、自分を成長させてくれる存在になる、という感覚を持つことは難しそうな気がする。
逆に言えば、日本人はそのハードルが極めて低いということだ。
これはマンガ・アニメの影響も大きいかもしれないが、根本的に八百万の神が当たり前の宗教観を持つ中で、ロボットに生命が宿ったとしても、我々は不思議に感じにくい。
昔話でも地蔵が生き物のように振舞ったり、妖怪の存在なども普通に受け入れてきたという文化の背景がある。
この「モノに心が宿る」ことに対して違和感がないという感覚は、非常に面白い文化なのではないかと改めて感じてしまう。
そういう特徴を持った日本人こそ、ロボット開発を世界に先駆けていくべきではないだろうか。
そもそもロボットのハードウェア面を見ても、日本のモノづくり技術こそ優位性があると思っている。
ガソリン車がEV車にシフトすることで、日本は苦境に立たされるという指摘がある。
ガソリンエンジンのポイントは「すり合わせ技術」であって、そこは日本に一日の長があるという。
これがEV車になると、部品そのものがモジュール化されて、組み立てるだけで性能が変わらないクオリティのものが出来上がってしまうため、日本は優位性が発揮されず苦しくなるという論理だ。
自動車はそうかもしれないが、ことロボットに関して言えば、当然同じように電気とモーターで動くとしても、これこそすり合わせ技術が必要な機器ではないだろうか。
人間と接する上で、相手を傷つけないように、最新の制御で稼働することが必要となる。
特に手と指の動きについては、部品を組み合わせただけで動くようになるとは到底思えない。
足においても、ゴツゴツした場所を倒れずバランスを取りながら歩くことも、様々なすり合わせ技術が必要なのではないかと思う。
さらにそれらを制御するソフトウェアという面でも、単純にAIを実装して動かすということでは済まないような気がするのだ。
ロボットが人間を傷つけないためのソフトウェアの設計はどうするのか。
難しい課題はまだまだあると思うが、ホスピタリティに溢れる日本人こそ、こういう点は得意なのではないだろうか。
ロボットが人間社会に普及するまでには、まだまだ時間がかかるかもしれない。
逆に、意外と時間がかからずに普及するかもしれない。
人間は技術を使うことで、自身の能力を拡張してきたというのは、歴史が証明している。
これこそが人間の特徴そのものと言っても過言ではない。
だからこそ、今後ロボットやAIを脅威と思うのではなく、自分の能力の拡張のために使えばいい。
そのためにどうすべきか。
どういう使い方をすれば、ロボットとAIの能力を最大化して、自身の能力の拡張に取り込んでいけるのか。
そういうことを真剣に考えていかなければいけないのだと思う。
(2024/3/12火)


この記事が参加している募集

ビジネス書が好き

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?